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天槍のユニカ  作者: 暁子
第1章 凍てつく槍の来歴
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5.救療の花(3)

 迎賓館を守る兵士が振り返ってまでこちらを見てくる。その視線を痛いほど感じた。


 職務に専念するよう叱るのは容易いが、あまりむきになってはかえって記憶に残ってしまうだろう。だからここは涼しい顔をしておくのが一番いい。ディルクはそう割り切って迎賓館の中を進んでいく。


 が、彼に抱えられているユニカはそうはいかなかった。侍官の外套を羽織り、フードを目深に被って顔を隠していても、兵士やすれ違う侍官の視線が突き刺さるようだ。


 あれからディルクはユニカを馬に乗せ、雪の積もった坂と階段が連続する道程をものすごい速さで駆け下りてきた。その馬術の素晴らしさは褒めるべきだろう。


 しかし悲鳴を堪えてディルクにしがみつくのが精一杯だったユニカは、途中で結び目の解けかけていたサンダルが片方脱げて飛んで行ってしまったことを訴え出せなかった。


 怪我が治りかけの身体を激しく揺すられたせいもあり、迎賓館へ着く頃には自力で馬から降りられないほどあちこちが痛んだ。これではディルクに抱えられて移動するほかない。


 そしてこれではあまりにも目立つ。人目に晒されることに慣れていないユニカはずっと息を詰めているしかなかった。


「ティアナ」


 迎賓館の奥まった一画、宿泊用の部屋が並ぶ辺りへさしかかったとき、二人の横を一人の侍女が駆け抜けていった。呼び止められた彼女はいらだたしげに振り返り、しかし直後にははっと息を呑んで腰を折る。


「殿下、ご無礼を致しました」


「エイルリヒが何を飲んだか、知っているか?」


 ディルクが問うと彼女は激しく首を振る。どうやら今回の企みはエイルリヒ一人のものらしい。イシュテン伯爵やティアナが協力しているならどこかに解毒剤を用意しているはずとも思ったが、その望みもないというわけだ。


「分かった。だが、お前はエイルリヒのところへ行くな」


「なぜですか!? わたくしも手当のお手伝いをいたします」


「だめだ、お前は〝王太子付きの侍女〟。公子とはまだ何の関係もない。そうだろう」


「……それは、」


「代わりにもう一つ部屋を用意してくれ。そこへ医女も呼ぶんだ」


 ティアナはやっとディルクが誰を抱えているのかに気がついた。侍女の外套を着たユニカの顔を覗き込み、思わず声を上げそうになった自分の口を塞ぐ。


「はい、ただいま。空いているお部屋へご案内いたします……!」


 エイルリヒが運び込まれた部屋からほど近い一室へ案内され、ユニカはようやくディルクの腕から解放された。緊張が緩んだせいでどっと痛みが湧き上がり、ソファに降ろされた途端クッションにすがりついて倒れ込む。


「寝室の方がよかったようだな」


「結構です」


 差し出された腕を勢いよく払いのけるが、それだけで胸の傷がずきずきと痛んだ。


 必死に強がるユニカの姿を見てディルクは苦笑し、言葉を掛けるかわりに自分の上着を脱いでうつむくユニカにかけてやる。すると彼女は跳ね上がらんばかりに驚いた。


「部屋が暖まるまでに時間がかかる。着ているといい」


 ユニカは礼も言わず、黙って上着の襟を掻き合わせた。


 そして片方のサンダルが脱げた足を見つめられていることに気づくと、彼女は膝を抱え、出来るだけ小さくなってソファの隅に座り直した。外套の下でもぞもぞと動きながら片方だけ履いていても仕方ないサンダルを脱ぎ、ぽいと放り出す。そのまま虫の居所が悪い子供のようにディルクからつんと顔を背けてしまう。


 機嫌は、やはりよくないか。


「すまない、足が冷たかっただろう。気がつかなかった」


 放り出されたサンダルを拾い上げ、ディルクはさりげなくユニカの隣に座った。するとユニカは一層隅の方へ身体を寄せる。ご機嫌を損ねている彼女に対して申し訳ないのだが、みの虫のようなその恰好はどうしてもディルクの笑いを誘った。


「笑いごとではないでしょう。早く医女を連れてきて」


 ユニカは眉根を寄せて睨みつけてきた。その顔は真っ青だ。やはり寝室へ運ぶべきかと考えるが、ディルクにはユニカを休ませる前に確認しておきたいことがあった。


「今、呼びに行っているよ。ここまで来て今更の質問だが、君の血で毒に倒れた者を助けられるのか?」


「分かりませんわ……毒を盛られた方を助けたことがありませんから」


「そうか」


 ならば結局、「ユニカには毒が通用しない」という事実からエイルリヒが救われることを期待するしかないらしい。


 もし解毒が叶わなかったらどうなる? 自分はどうすればいい?


 いや、エイルリヒの喪失に伴う混乱を鎮める手立てはない。彼はシヴィロ王国、ウゼロ公国の両方にとって最も欠けてはならない人間だ。


「あの馬鹿……」


 ディルクが舌打ちと一緒にそう吐き捨てると、ユニカはフードの陰から彼を窺った。


 この王子、今「馬鹿」と言ったような……。誰に対して言ったのかは分からない――まさかユニカに対してではあるまいが、王太子なのにずいぶん口汚い。


 無言でユニカのサンダルを玩ぶ彼の様子は、やっぱりいらいらしている。弟の命が助からなければ困るというのは本当なのだろう。冗談や演技で王族にあんな真似をされてはたまらないが。しかし。


 ディルクの左手中指に納まる王家の指輪を見つめて、ユニカはふっと鼻で笑った。


「なんだ?」


「いいえ、殿下が先ほどおっしゃった言葉……誰かの父で、夫で、兄で、恋人である民を、というあの言葉、覚えがあると思っていました。古典の一節でしょう。バイルシュミット王の騎士、アウデンの台詞にあったわ」


「……よく知っているな。古典が好き?」


「暇潰しになるなら、なんでも読みます」


 人の言葉を借りたということは、やはり先ほどの〝あれ〟は、少々大げさに振る舞っただけの演技だったのだろうか。


(どちらでもいい、関係ないわ……)


 ユニカはますます身体を小さくして、膝頭に額を埋めた。


 考える必要はない。血さえ提供すれば西の宮へ戻してもらえる。もう二度と、請われたからといって血を分け与えたりしない。幾度も重ねたその決意を、ユニカは自分の心の中にさらに上塗りした。


 再び重苦しい沈黙がおりてから間もなく、扉を叩く音が。返事を待たずにそれは開き、息を切らしたティアナと医女が入ってきた。


 医女はソファの上でうずくまるユニカに睨まれて息を呑んだ。見知った顔だと思ったら、彼女はいつもユニカの血を採り王に届けている医女の一人だ。エイルリヒの手当を手伝っていたのだろう。


 ディルクの手招きに応じて彼女は恐る恐る二人の傍へやって来る。


「陛下のお許しはあるのでしょうか?」


「ユニカが承諾するならよいとおおせだ」


 医女はそれでも何かをためらっているようだった。消毒用の火酒で針とユニカが差し出した彼女の前腕の内側を拭くが、なかなか針を刺そうとしない。


「早くして」


 ユニカが叱りつけると、医女はようやくユニカの皮膚に針を宛がった。


 その先端がぷつりと皮膚を貫く瞬間、ユニカは静かに目を閉じる。そして次に目を開く時には一切の表情を消した。


 溢れ出していく血の雫をじっと見つめる。この血は、果たして公子を救うのだろうか?


 毒に冒された者を救うことが出来るのかはユニカにも分からない。その最たる理由は、この血を解毒に用いたことがないからではなかった。


 ユニカの血は、時に〝救う者を選ぶ〟。そしてそれは、ユニカの意思と関わりがない。


 やがて二口ほどで飲み干せるほどの血が杯に溜まると、針は静かに抜き去られた。ユニカは血が拭い取られた腕をさっと袖の中に隠す。


「これでよろしいでしょう。宮へ帰して」


「――いや」


 医女が出て行く後ろ姿を眺めながら、ユニカは気怠そうにそう言った。これで用は済んだものと思っていた彼女は予想に反したディルクの返事に驚き、彼の横顔を凝視する。


「血は差し上げたわ。まだ何の用があるとおっしゃるの?」


「あとで送っていくから、私の手が空くまでこの部屋で休んでいてくれ」


「話が違います! 送ってくださらなくても結構だわ、履きものさえ用意してくだされば自分で歩きます」


「……だめだ」


 返答とともにディルクが手を伸ばしてきた。ユニカは逃れようとするが、ソファの隅に陣取っていたお陰で少しも動けない。首を竦めただけのユニカの頭からフードを外し、彼の大きな手はユニカの頬に添えられた。親指がそろりと唇をなぞる。


「予想していたよりずっと回復はしているな。だけどまだ顔色が悪い。無理はさせたくないんだ」


 吸い込まれるようにディルクの瞳を見つめていたユニカだったが、彼の手がゆっくりと首筋を伝って降りてきたことに気づき、我に返った。


「無理矢理攫うような真似をしておきながら、何を今更……」


「無理矢理? 君は『分かった』と言った」


「外に出ることを了承したわけじゃないわ。とにかく、私に出来ることはもう終わりました。いいから帰して。用はお済みでしょう」


「よくない。無理矢理連れてこられたなどと陛下に言われては困る」


 ディルクの指は、外套を胸元で留めていたブローチの金具を外した。


「何を……!?」


「具合が悪いところ連れ出したのは悪いと思ってる。だから休んで行って欲しいんだ」


 自分が貸し与えた上着ごと、ディルクはユニカが羽織っていた外套を剥ぎ取った。薄手のガウンを着ているだけになったユニカは自分の身体を抱えて隠すように縮こまるが、そうするとまた、さっき経験したような浮遊感に襲われた。


「ティアナ、扉を開けてくれ。そっちじゃない、寝室の方だ」


「やめて、何て横暴な人なの! 人を荷物みたいに、好き勝手に抱えて……っ」


「大人しくしなさい。暴れられたら落とすかも知れないぞ」


 じたじたと足をばたつかせるユニカを寝台まで運ぶと、ディルクはわざと乱暴に、半ば投げるように彼女を降ろした。


 寝台の上でわずかに弾み、そのために痛んだ身体を抱えながらユニカは呻く。痛みをやり過ごしディルクに抗議しようとした途端、顔の両脇に降りてきた彼の腕に動きを封じられた。


「寝ていなさい。命令だ」


 見下ろされているせいか、彼の青緑の瞳に灯る尊大な輝きのせいか、ユニカは言い返す言葉が思い浮かばなかった。


 悔しげに唇を噛んでいる彼女の頬をひと撫でし、ディルクはふと笑う。


「……冗談だよ。あとで迎えに来る。それまで好きなだけ眠っていてくれればいい」


 目と鼻の先で微笑む整った顔にどぎまぎしながら、ユニカは頬に触れるディルクの手をぴしりと叩き、追い払った。そして寝台の縁に腰掛けた彼に背を向ける。


 それきりユニカが動く気配はない。


 彼女が大人しくなったことを確かめると、ディルクはユニカに毛布を掛けて寝室を出た。


「ティアナ」


「はい、殿下」


 こちらの娘もたいそう顔色が悪かった。落ち着いて仕事をこなすいつもの余裕がすっかり消えている。


 ディルクには、エイルリヒが一方的にティアナに対して強い想いを抱いてはしゃいでいるように見えていたのだが、この侍官の鑑のような侍女も婚約者のことを想っているようだった。


 微笑ましいなと思いながら、ディルクは彼女の耳許で囁いた。


「エイルリヒの容態は細かく伝えるから、ここで待つんだ。ついでにユニカを見張れ」


「――はい」


 ディルクは上着を拾い上げて羽織り、部屋を出る。そして真っ直ぐにエイルリヒが運び込まれた一室へと足を向けた。

 まだ、彼が助かると決まったわけではない。





 しかしそれから一時間と経たない内に、エイルリヒの容態は安定に向かった。

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