3.『娘』の真偽(4)
ティアナ共々寝室を出たディルクは、寝椅子に引っかけてあった上着を羽織った。
「殿下、外へおいでになるならわたくしが」
「いい、俺が行く。甲斐甲斐しく看病してやればちょっとは心を開いてくれるだろう。それにしても生意気な娘だな。面白い」
「……すっかり警戒しておいででしたね」
「他人が寝室へ入ってきたらあれくらい当然さ」
ディルクはカーテンをめくって外の様子を窺った。月が出ていて外へ行くにはちょうどいい。ティアナにユニカの傍を任せ、灯り一つを持って部屋を出る。
自分を拒む娘とは珍しい。
歩きながらディルクは考える。ああいう娘はどうやって口説き落とすのがいいのだろうか。こちらが努力しなくては靡いてくれないような娘はあまり相手にしてこなかったのでよく分からない。
遊び相手にするなら、従順で無邪気で、か弱く何も考えていない女が一番だった。気位が高かったり計算高い者は面倒くさい。恋の駆け引きを楽しみたいならそういう相手もいいかも知れないが、後始末が煩わしいのは嫌いだ。
ユニカはそのどれとも違う。精一杯に人を拒絶する目。拒絶は人恋しさの裏返しであることを教えてやるのも楽しいだろう。道のりが長そうだということだけが憂鬱のもとであるが。
ディルクは溜め息をつき、不意に立ち止まった。
長い廊下に響いていた足音が自分のものだけではなくなっている。
西の宮は夜ともなれば人の出入りがないことになっているようで、廊下には一つの灯りも灯っていない。自分が持っている灯火一つが視界のすべてだ。
ほかに聞こえてきた足音は二つ。周りは暗闇――と思ったら、すぐ傍の曲がり角からぼんやりと橙色の光が伸びてくる。
やがて角を曲がって現れたのは、侍従を一人伴った王だった。
「陛下……」
呼ばれて立ち止まったその人は自ら手にした灯りを掲げ、自分を呼んだ声の主が誰であるかを確かめた。そしてくすんだ金の口髭の奥から唸るように言った。
「ここで何をしている」
ディルクはとっさに答えられなかった。
数日前、立太子式の前後に見せてくれた身内を歓迎する温かさが、王の声音からまったく感じられなかったからだ。王は、怒っていた。
(まずい――か?)
「何をしているかと聞いておる」
再度重苦しい声で問われ、ディルクはようやく困惑の表情を作りその場に跪いた。
「先ほどこちらの宮の主が、温室近くの柱廊で衛兵の姿をした何者かに襲われるのを目撃いたしました。襲われた方を介抱させるため私がこちらへ運び……重傷でしたので、気にかかり様子を見ております」
ふ、と鼻で笑うのが聞こえる。
「見え透いた嘘を言うでない」
そう言うと、王はディルクの脇を素通りしていく。ユニカの部屋へ向かうつもりのようだ。
「……陛下」
呼び止めるが、無視される。てっきり立ち去るように言われるのかと思ったがそれもなく、彼はディルクが来た道を進んで行ってしまう。仕方なくディルクもその後を追った。
「ティアナ」
迷うことなくユニカの部屋にたどり着いた王は、主室で薬の瓶を片付けていたティアナを呼びつける。
「はい、陛下」
すぐにその傍へ駆け寄り叩頭した彼女が顔を上げた瞬間、王はその頬を力一杯はたいた。手加減がなかった証に、ティアナは吹き飛ばされるように床に倒れ込む。
「陛下! 何も手をあげることは……」
「ディルクをここへ近づけるなと、申しつけてあったはずだが」
ディルクに助け起こされたティアナは微かに肩を震わせた。
「申し訳ございません……」
いつものように毅然として釈明するのかと思ったら、ティアナはか細い声で謝罪しただけだった。エプロンを握る手が細かく震えている。彼女ですらまずいと思うほど王は怒っているのか。
退いた方がいいのかだろうか。しかし、
「お許しもなく西の宮へ立ち入ったことをお詫びいたします。ですが、あの姫君はどちらの――」
「見え透いた嘘はやめよと、先ほど言ったはず。そなたらはそろって耳が悪いのか」
王はその場に跪いたままの二人を残し、寝室の扉に手をかけた。そしてこう言い捨てる。
「城内に放った猫どもをいつまでも歩かせておくな。今後、余と娘の許しなく西の宮へ立ち入ることは、してはならぬ」
王は少しの音も立てずに寝室へ入り、扉を閉めた。それは紛れもなく中で休んでいるユニカに対する配慮である。
王の消えた扉を見つめるディルクに、侍従長ツェーザルが笑いかけた。
「お引き取りくださいませ、王太子殿下」
怒り、不快感、そういうもので胸をざわつかせながらも、ユニカは怠さと痛みに任せ再び眠ろうとしていた。
そこへ聞こえてきた騒がしい声。王太子と、もう一つは王の声だろうか。
首だけ動かして主室へ続く扉を見つめていたら、静かにそれが開く。
やっぱり。
入ってきたのは王だった。
ユニカは起き上がろうと思ったが、彼女が微かに動いたのに気づき、王は先にそれを制した。
そして寝台の傍にあった椅子に腰掛ける。横になったままこちらを見つめてくるユニカを見下ろし、王は呟くように言った。
「すまぬ」
何に対しての謝罪であるか説明はなかったが、ユニカはその言葉を受け入れた。
「いいえ」
そう言えば、「今夜は会える」というカードが届いていたことを思い出す。燭台一つの明るさでは少し離れたところにある時計が何時を指しているのか見えなかった。けれど王がやって来たということは真夜中に近いのだろう。
ずいぶん長い間眠っていた……幾度も短剣を突き立てられる感触を思い出し、ユニカは瞼を伏せた。
「わたくしの方こそ、申し訳ありませんでした」
ディルクの入城時、使節団の前に姿をさらしてしまったことを謝る。
すると王も、微かに首を横に振る。
今日はそれ以外、互いに話すこともなかった。
* * *
ユニカのもとを退出して柱廊を歩き、しばらく。ユグフェルトは突然呟いた。
「明日、マグヌス導主のもとへ書簡を届けよ。その場で判を貰い、急ぎ持ち帰るのだ。そなたが直接行け」
「おおせのままに」
「それから、」
まだ三十路に届かない若年の侍従長は、ユグフェルトが口に出すか迷っている言葉が何かをすぐに察した。
「城内で刃傷に及んだ者の捜査でございますか」
「――いや。よい」
ツェーザルは主の背を追いながら苦笑する。本当に、あの娘は王をひどく惑わしてくれる。迷惑なものだ。
ユニカを襲った犯人を探し出すことは出来ない。罪状がないからだった。
ユニカは〝いない者〟。王の力で〝いない〟彼女を傷つけた罪を問うわけにはいかないのだ。城内の秩序のためにも捜査したいところだが、動けない。ユグフェルトはしばし苦悩して諦めた。
ドンジョンの北側にある王の居住区に戻ると、ツェーザルは侍女に言いつけて用意させておいた温かい葡萄酒を就寝前の王に差し出した。
「明日は午前からアーベライン伯爵と会見のご予定が入っております。そのまま閣僚の方々と定期昼食会。バシュ領邦からあがっている水害の復興報告書と、同じ水害で破損したコンツドット大橋の修復予算への決裁印は明日までにお願いいたします。……ので、あまり夜更かしはなさいませんように」
ユグフェルトが机の引き出しから書類を取り出すのを見て、ツェーザルはそう付け加えた。
すでに齢五十五を数えた王だが、彼はまだまだ気力もあり、仕事好きだ。放っておくと決裁の署名と判捺しを明け方近くまでやっていることがある。今夜もそのくちかと思ったら、ユグフェルトはその書類を畳み、別紙に一筆書いて判を押した。
「先ほどおおせの書簡でしょうか」
「そうだ。明日は開門と同時に城を出よ。午までには戻れ」
「かしこまりました。マグヌス導主宛でございましたね」
マグヌス導主宛ということは、戸籍帳に関わることだ。そう想像しただけで、翌日の朝の支度を侍女に引き継ぎ、ツェーザルは退出した。
ユグフェルトも、今日は寝間着に着替えるとすぐに寝室へ入った。侍女たちが珍しがっているのを感じながらも毛布にもぐりこみ灯りを消す。
夜番の兵士の持つ灯りが窓の外をゆらゆらしながら通り過ぎて行く。
普通はこういうものだ。王城の内部で、灯りが絶えることはない。西の宮だけがその穴だった。
ユニカの存在はほとんどの貴族にとって不穏分子である。
しかし今回のように彼女が襲われ、しかも成功してしまったことはなかった。今までは、そうした計画を察知する度にユグフェルトが色々な手を用いて潰してきたからだ。
今回の襲撃は、ウゼロ公国から新しい世継ぎを迎えた変事の対応に追われる王の隙をついたにほかならない。いつものように計画を練らず、素早く決行したのはある意味正解である。
西の宮にも兵を置ければ、と思う。
しかしそれが出来ないことにも理由があった。
ユニカは城に〝いない者〟、そして〝いてはいけない者〟だ。それを排除する動きは正当なもので、ユグフェルトにはそれを戒める理由がない。
そしてもし西の宮に兵を置くことが出来ても、彼らがユニカの敵である可能性が高い。王の味方はユニカの敵なのだ。
ユニカを守る一番の方法は、彼女を隠し、誰も近づけさせないことだった。
――ただし、これまでは。
今日のように過激な手段に出られれば、やはり同じだけの剣でもって防ぐしかない。そして突発的な攻撃は今後も続く可能性がある。
百二十年ぶりにウゼロ大公家からシヴィロ王家の跡継ぎを迎えなくてはならないという変事が、王妃クレスツェンツの死に続いて王城内の力関係を乱した。
天秤は揺れ、和は損なわれた。
ユグフェルトは隠していたカードを切る。
次にユニカを害そうとする者が現れた時、クレスツェンツの残した守護が刺客の前に立ちはだかるように。
ユニカはそれを固辞するだろう。
しかしユグフェルトは、愛する王妃の選んだ娘を、形見を、失いたくない。
たとえ彼女に烈しく憎まれているとしても。




