題も無い、ただただ無駄な話
自分は自分が嫌いだ。
醜く、愚かな自分が。
小学校のころ、自分を許容できる範囲にするために足掻いた。
何度も立ち止まり、何度も駆け、何度も転んだ。
仲の良い友人は居たが、相談することなく。
自分を愛してくれる家族がいたが、相談できずに。
そうして足掻き、足掻ききれなかった。
「ガンバレ!」
――すでに頑張っているんだ。頑張ってこの状態だよ
「お前はやればできるんだから。」
――やってこのざまなんだよ。既に足掻ききったんだよ。もう疲れたよ。
苦しみが、痛みが怖くて自殺もできず。
自分を許容できる範囲に入れることもできず。変われず。
偽者の自分を、愚かな道化を演じる事で現実から逃げ、生きながらえている。
夢の中で、何度も死んだ。
交通事故、刺殺、絞殺。
自分が望んでいる終わりが、夢の中では訪れる。
しかしそれは、余計に死に恐怖するだけだった。
理不尽な死は、夢のようには訪れず。
生きたくても生きられない人間だっているのだから、こんなことを考えるのはおかしいかもしれない。
自分よりも不幸な人の方が多いのであろうから、こんなことを願うのはおかしいのかもしれない。
しかし、目標も無く、怠惰に生きる者が、本当に生きているといえるのだろうか。
自分には解らない。
『運命の人』とでも出会えれば、この人生は変わるのであろうか。
そう思った時期もあった。
しかしそれは空想。現実は余りに無情。
運命などは存在せず、今日もただ惰性で生きている。
それに――
「願わくば、自らに『運命の人』が訪れんことを」
――そんな台詞は自分のキャラでは無い。
それに、自分を愛せない人間がどうして他人を愛せましょうか?
そのような奇跡が訪れる筈が無く。
何時になったら、今の自分に終わりが訪れるのだろうか。