中編
本当にネガティブクオリティ。
今は少しずつ、いつものポジティブ思考へ。
――ある時、ミラから明かされた一つの真実。
それはネットの向こうの、本名という名の真実。僕らはお互いの本名を知ったのだ。
「容態はどうかな、勇気くん?」
「はぁ……まぁ、普通といったところです」
「普通、か……」
何とも困ったというような顔つきで、僕を見ている担当医。だが僕には、こう言わざるを得ないのだ。
確かに体の弱さは認める。世間一般的にいう健康体ではない。だが余命半年というのが、嘘のように感じる程、僕の体はピンピンしている。
「ふむ……また、様子を見にくるよ」
「はい、ありがとうございます、先生」
出ていこうとする先生を尻目に、僕はパソコンの電源を入れ、いつものネットゲームの起動準備をする。
早くミラに会いたい。会ってどうこうするわけでもないけど、ただ会いたいという感情が先走っていた。
「――勇気くん」
「何ですか、先生?」
「君は明日、いや数時間後に大地震が起きて、死んでしまうな」
「はぁ? 何を言っているんですか、先生。そんなのわかるわけないじゃないですか」
先生は微笑気味に笑いながら、
「そうだな、わからないな」
と答えた。
そして一呼吸置いてから、口を開く。
「わからないからこそ、思った事は早く伝えるべきなんだよ。私はね、若い頃に文通をしていた相手がいたんだ。今の時代のネットに近い関係だろう。私はそんな文通相手に片思いだった」
「恋文ってやつですね?」
「ははは、そう言われると恥ずかしいが……それで、ある時に彼女からの連絡が急に途絶えてしまったんだ。私は一体何があったのかと、手紙に書いてあった住所を便りに、失礼ながら自宅へと足を運んだんだ」
「……それで、どうしたんですか、その人は?」
僕が問いかけると、先生は出入口に向かいながら、続きを話してくれた。
「――自殺したそうだ。学校からの帰り道に、暴行を受けて……それを苦に、と私はその人のご両親から聞かされた」
言い終わるのと同時に、先生は退室していった。
その話の内容は、僕の心に多大な衝撃を与えたのだ。僕は確かにミラ――東城未来が、好きなのかもしれない。だからこそなのか、今の話で東城未来という人の事を案じてしまった。
僕は、とても大きなため息を吐き出した。
「……どうしてだろう」
――どうしてなのだろうか。
僕はミラのプレイヤーである、東城未来の姿形すら知らない。だからなのだろうか、姿形が見えない、いわゆる性格だけが剥き出しのフィールドだからこそ、僕は彼女に恋をしたのだろうか。
僕は、一体、どうする、べきなのだろう。
『こんにちは、ユウキ! 今日は遅かったね、どうかしたの? ちょっと心配しちゃったよ(;^_^A』
考え事をしている間に、慣れた習慣で、体が勝手にゲーム画面を進めていたらしい。
メールはミラからで、
『ちょっと色々あって……。良かったら今日もレベル上げのご指導、宜しくお願いします!』
と、返事を書き、送信する。
そして、しばらくすると、ミラからの返信があり、急いでそれを開けた。
『りょーかい! 今日もバリバリやっていこうね! ……話が変わるんだけどさ、今日もフレが何人か引退しちゃった……って、こんな長くなりそうな話、メールでする事じゃないよね! いつもの所で待ってるね、早く来てね』
こんなメール内容だった。
心なしか、ミラの悲しい気持ちが伝わってくるようだった。
「……ミラ」
これも別れなのだろうか。
僕達のようなネットの住人は、現実のように顔は見えない。だからこそ簡単に出会いがあり、簡単に別れる事ができてしまう。
――本当にそれで良いのだろうか。
出会いの数だけ、別れがある。その経験の数だけ、人は成長する。だが、そんな安易な出会いと別れが、はたして本当に経験になっているのだろうか。
僕は嫌だった。ミラとの出会いが、何の意味も成さないなんて、何の経験にもなってないなんて、決して認めたくはない。現に外の世界を知らなかった僕は、彼女から数えきれない事を、教えてもらった。
じゃあ、彼女は僕と出会って、何かを得たのだろうか。
そんな疑心暗鬼のような心だけが、今の僕にまとわりついている。
「そうだ、早く行かなくちゃ。ミラが待ってる」
だが今の僕には、揺るがない一つの小さなか細い光がある。それは例えゲームといえど、彼女がそこで待っていてくれているという、かけがえのない、小さすぎる真実だ。
僕がミラとの約束の場所にたどり着くと、そこには膨れっ面で待っているミラの姿があった。
「ごめん、待った……よね?」
「遅い! 凄い待ったっ、五分くらい」
「って、たったの五分じゃないか!」
「普通の五分と、心配の五分は違うでしょ……」
ミラはあまりにも小さな声で、その言葉を発した。おかげで僕自身は、何を言っていたのか微妙に聞き取れなかった。
「さっ、早く行こうよ」
「そうだね、遅れた分を取り戻してみせるよ!」
「うん!」
そうして僕とミラは、レベル上げに適したクエストへと出発した。
――さすがに慣れたダンジョンだけあってか、二人のパーティ構成だがスムーズに事が終わる。
「ユウキも大分、強くなったよね」
「ミラのおかげだよ、ミラのおかげでここまでできたんだ」
「えへへ、そっかな?」
照れたような、嬉しそうな表情を見せるミラ。現実と仮想の見た目がどうあれ、ただ一つ言えるのは、彼女が喜んでくれると、やっぱり僕も嬉しいという事だ。
「ねぇ……ユウキ……」
「ミラ? ……どうしたのさ」
それまでの明るかった表情を一変させ、俯いて今にも泣きそうな声を出す。突然の出来事に、僕自身、頭の中が完全に真っ白になっていた。
「ユウキは……ユウキは、ちゃんと一緒にいてくれるよね?」
「ミラ……」
「私、ここが好き。たかがゲームの世界かもしれないけどさ、みんなで遊んで……時間を共有し合った場所だもん。そりゃ、私自身も、いつかはここから離れるのはわかってるよ……。でも……でもさ……やっぱり別れるのは嫌だよ、ネットだからって……どうしてそんなに簡単に別れる事ができるんだろう」
――泣いていた。
ミラの嗚咽を聞いたわけでもない、流れる涙を見たわけでもない。でも、ミラは泣いていた。
僕は、僕達は、確かにネットという名の仮想で出会った存在だ。現実で出会ったわけではないのかもしれない。いや、出会ってはいないのだ。
だけど――はたしてそれは重要な事なのだろうか。現実と仮想。二つは対ではないのだ。いつから二つは対のように仮想と現実と区別されたのだ。
――同じなんだ。
現実と仮想ではない。現実という世界があるからこその仮想なのだ。仮想の出来事は決して仮想ではない。仮想の出来事は現実なのだ。そして現実の出来事もまた現実なのだ。
彼女は泣いている。それは仮想なのか。確かにこの画面に見える、彼女の流す涙は仮想なのかもしれない。しかしこの画面の中の、仮想の奥の現実という場所で、彼女は仮想ではなく現実の涙を流しているのだ。
――この事は、仮想ではない、現実なのだ。
「大丈夫、僕はここにいる。いるじゃないか!」
「ユウキ……。ありがとう」
ミラは涙でも拭いているのか、それから数分間だけ動かなくなった。
この待ち時間の間、僕はふとある衝動に駆られてしまう。それはミラに想いを伝えようという事だ。だがあまりにも突然すぎる告白。それに僕自身、人との交流すら疎いのに、恋愛の、ましてや告白なんてした事もない。当然、された事もない。
画面の前の僕は、鼓動がこれ以上ない程に脈打ち、掌にこれでもかと言えるぐらいの、汗がにじみ出ていた。まさか、人に想いを伝えるというのが、これ程に緊張するなんて、いや緊張と呼べるものではない。
僕は、自分の名前を何故か思い出し、情けなく思えてきた。
「ごめん、お待たせ」
「うわおっ!?」
「ど、どうしたの、ユウキ?」
自分でもどうしたのかわからない奇声だった。どうしよう、考えた事が一瞬で蒸発していき、体が思ったように動かない、いや体が動くように考えられない。
「ちょ、ちょっと、具合でも悪いの!?」
「い、いや、だ、だだ、大丈夫さ、っ」
「とても大丈夫そうには見えないけど……」
そうだろうと思う。とても大丈夫ではない。代わってもらえるのなら、喜んで代わってもらいたい。
「あ、あのさ……僕、ミクに、は、話があるんだ。話、突然だけど……」
「え、話? なになに、今度は私が、ユウキの話聞くよ」
僕は僕自身に渇を入れた。ここまでお膳立てをした、ここで言わなければ、きっと次のチャンスはない。
でも、僕には大きすぎる一つの悩みがあった。それは僕の余命の事だ。あと半年、いや数ヶ月と言っても良いのかもしれない。
そんな少ない余命を持つ人間から、告白なんかされては迷惑にならないだろうか。いや、十中八九、迷惑になる。――でも、僕の心の中に溜まった感情は、既に破裂寸前のところまで、きていたのかもしれない。
「あの……その……」
「何よ、そんなに言うのが難しい事なの? 男ならバンと言ってみなさいよ!」
「そのっ、僕は、ミラの事がっ、を……す……」
駄目だと思ってしまう。 ここまで勢いで言ってみたけど、どうしても次の言葉が出てこない。意図的に出さないようにしてしまっている。
もしも、もしもこの言葉を言い、成功したのなら良いのかもしれないけど、失敗したらどうなる。もう、この瞬間までの二人には、どうやったって戻れない。それを失ってしまうのが、何よりも怖いんだ。
「……素敵な、人だと思ってる」
「えっ……!?」
結局は言えなかった。
でも、あまりの心臓の高なりに、あまりの恥ずかしさに、僕はミラと同じ場所に、これ以上いられなかったんだ。
「――ごっ、ごめんっ、今日は僕、もう落ちるねっ、また……明日、会おうっ!」
半ば強引に、僕はログアウトして、ミラと別れた。
数分後、落ち着いた頭で、よく考えてみた。あれは不味かったのではないかと。とにかく、明日になったらミラに会い、今日の非礼をお詫びしよう。
「う、あ……地震か?」
突然、体が揺れた。まるで立ちくらみのような感覚で、最初は自分の体調からくるものかと思った。
病室にあるテレビをつけて、状況確認をする事にした。
『……県にて、震度七の非常に強い地震を観測しました――』
「すぐ近くというわけでもないのに……凄い揺れたなぁ。やっぱり、自然災害って恐いな」
しばらくは情報をおっていく為に、テレビをつけっぱなしにしていた。
そして、僕は気づかない間に深い眠りについていたんだ。