第96話「たとえ揺らいだとしても」
「食事処 げん」は空爆騒ぎなどなかったかのような賑わいだった。
普段はあまり顔を見せないような常連も無事を確認するかのように駆けつけ、源二の安全を確認してからほっとしたように料理を注文しては舌鼓を打っていく。
「あっさり日常に戻ったな」
オーダーされた料理を出力しながら源二が呟くと、珍しく厨房で手伝っていたヨシロウがなにを、と反論した。
「被害がほとんどなかったんだ、だったらお通夜モードでいても仕方ないだろ」
「まあ、それはそうか」
「っても流石に被害が出たエリアはまだ避難も続いているらしいし各企業ががれきの撤去とかやってるみたいだがな」
トーキョー・ギンザ・シティ中心部から湾岸部を戦場とした今回の企業間紛争は最低限の被害で終わったとはいえ倒壊したビルもいくつかあり、十年前のミリシタ社とアルファ・テック社の武力衝突に匹敵する被害が予想されていた。十年前はレインボーブリッジが落とされたとはいえ被害を受けたのはダイバエリアのみだったが、今回はレインボーブリッジは落ちこそしなかったもののシンバシ、ギンザ、ダイバエリアと広範囲に被害が及んだ。特にシンバシエリアは現在ではお飾り同然の象徴となっている天皇家の住まい——つまり皇居にほど近い場所にあったために多くの人間がペッパーフィッシュ社CEOが乱心して天皇家の皆殺しに走ったのではないか、という噂までまことしやかに囁かれていた。
実際のところは「食事処 げん」を狙った空爆ではあったが、それを知るのはこの店を知る者のみ。さらにビッグ・テック社がディフレクターシールドを極秘裏に設置していたと知った常連は口を揃えて
「ビッグ・テック社まで味方につけたタイショーすげえ!」
と叫んでいた。
そういったことから被害を全く受けなかった「食事処 げん」は当たり前のように営業を再開した。周囲の店も被害を受けたとしても窓ガラスが割れたとかホロサイネージの投影機が破損した程度なので応急処置を済ませて営業を再開している。
数日もすればこれらも元通りに修復されてシンバシエリアは当たり前の日常に戻る——誰もがそう思っていたが、源二とヨシロウだけはそう楽観視することができなかった。
「食事処 げん」を狙っていた一社、ペッパーフィッシュ社はこの件で完全に争奪戦から脱落した。しかしベジミール社、アジトモ社、そしてビッグ・テック社はまだ健在である。今回はこの三社は手を組んだが、ペッパーフィッシュ社という一つの障害が取り除かれた今、仲良く手を組み続ける理由が三社にはない。
いつ、どの企業が動き出すか——。その不安は大きい。
それこそ、今日の帰り道に襲い掛かってくることもあり得るのだ。
「タイショー!」
カツカレーを貪っていたタモツがふいに源二を呼んだ。
「どうした?」
源二がヨシロウに任せてタモツの傍に寄ると、タモツは心配そうな顔で源二を見た。
「タイショー、大丈夫か?」
「大丈夫って、何が」
「今回の事件、ペッパーフィッシュがタイショーを潰そうと動いたわけだろ? だったらこの後——」
他の企業も手を出してくるんじゃ、と言うタモツを源二は片手で制した。
「それは分かってるよ。だけどこんなことがあった直後で来るとは思いたくない」
源二の言葉の後半は殆ど祈りのようなものだった。
立て続けに来てもらいたくない、それは自分の身がかわいいからではない。
トーキョー・ギンザ・シティに生きる無辜の人々が立て続けに苦しむのは源二の本意ではない。
今回の件で源二は自分の存在がトーキョー・ギンザ・シティそのものを揺るがしかねない危険因子であることをはっきりと思い知った。ペッパーフィッシュ社のように過激な思想に走った企業が出ればトーキョー・ギンザ・シティが戦場になりかねない。
それならどうするか——その答えを源二は出せずにいた。
味覚投影オフのノウハウを完全に開示する——いや、各企業と提携して広く一般に拡散する、それが最適解だろうとは思ってもそれを決断することができなかった。
仮に、源二にアプローチしているベジミール社とアジトモ社両社と提携した場合、この二社がそれを甘んじるとは思えない。それこそ独占を狙ってぶつかり合う未来が想像できる。
そうなれば新たな火種が発火する。流石にこの二社がトーキョー・ギンザ・シティを戦場にするとは思えないがかなりの量の血が流れる事態に陥るのは必至だ。
「……俺のやり方は間違ってたんだろうか」
ぽつり、と源二が呟く。
「どうした?」
「いや、俺が『食事処 げん』をオープンしたから企業同士がぶつかることになったのかな、って思ってな」
源二が心の内を吐露する。何故かタモツに対してはこれを言っていいような気がして、源二は言葉をつづけた。
「俺はただ自分の料理でいろんな人に笑顔になってほしかっただけなんだ。それなのに企業がそれを取り合って殺し合って……。俺は『食事処 げん』を開いちゃいけなかったんだろうかな、って」
「それは違うぞタイショー」
タモツが即答する。
えっと声を上げた源二に、タモツは手にしたスプーンをびしっと向けて口を開いた。
「タイショーの料理はたくさんの人を笑顔にしたじゃないか。それをベジミールが勝手に独占しようとしてるだけだ。で、俺はそれを阻止するために動いてる」
「タモツさん……」
「今まで、俺たちはベジミールが利権を貪るのが良くないと思ってレジスタンス活動をやってたが、最近気づいたんだ。俺たちが活動してたのはいつかタイショーをベジミールの手から守るための準備だったんじゃないかって」
タモツが目の敵にしているのはベジミール社のみなので出てくる敵の名前にベジミール社しか出てこないが、それでもタモツははっきりと言い切った。
「タイショーの料理で人生が変わった人間はいっぱいいると思う。『げん』を開いちゃいけないなんてことはなかったんだ。みんな、タイショーが好きだしタイショーのために力を貸したいって思ってる。タイショーが俺たちに希望をくれたから、俺たちはその恩を返したいんだ」
「そうだそうだ!」
「ベジミールだろうがアジトモだろうが『げん』を渡したりしないぞ!」
いつの間にか、店内にいた客たちは源二とタモツの話に聞き入っていた。
タモツの言葉に客たちが一斉に声を上げる。
「みんな……」
「そうだ、お前の料理で俺たちは変わった。生きることの意味や大切さ、他人に向ける優しさを知った。それを簡単にベジミールやらビッグ・テックに奪われてたまるかよ」
ヨシロウも厨房から出て源二の隣に立ち、肩を叩く。
「『食事処 げん』はある種の特異点かもしれないがだからと言って潰していいものじゃない。もちろん、お前がベジミールと提携したいと言うならそれを止める権利は俺たちにない。でもお前はまだ見つけられていないんだろう?」
「——そうだな」
ヨシロウの言葉に、源二が小さく頷く。
見つけられていない——ベジミール社やアジトモ社と提携してもなお、人々を癒す料理を出す方法を。
この二社と提携すればより多くの人間に味覚投影オフの感動を届けることができるだろう。だが、それだけだ。味覚投影オフは当たり前となりいつしかそれが当然のものとなっていく。
源二が望んでいるのはそれだけではない。味覚投影オフを当たり前のものにしたいがあって当然のものにしたいわけではない。
少し寂しい夜に口にしたらほっとするような心温まる料理、それを望んでいた。
源二も経験がある。ゲリラ豪雨の影響で停電し、世界に自分だけ取り残されたような不安に駆られたときに食べた一杯のカップラーメン。そのカップラーメンの温かさに元気づけられた経験は食を癒しと考える源二には大きな転機となった。
当たり前かもしれないが、それでも時には特別を感じるようなもの——ただの生命維持の道具ではなく、生きる気力を蘇らせる小道具として源二は自分の味覚投影オフ料理を広めたかった。
だから、それを無駄だと断じる企業にこれは手渡せない。源二のこの理想を理解し、背中を押してくれる企業にこそ託したい。
ビッグ・テック社はまた別だ。タイムマシンの開発の一助として源二を求めているのならどこかで協力はしたい、と思う。可能なら味覚投影オフ料理回りでのごたごたが片付いて、全てを託せた後でと条件を付けたいが。
自分の理想を全て託せる企業が見つかった後ならビッグ・テック社が求めるままにタイムマシンの実験に協力し、その結果死ぬことになっても構わないかもしれない、と源二はふと思った。
今はまだ死ねない、死にたくないと強く思っているが願いが叶った後ならその先にしがみつく必要もない。
ヨシロウが聞いたら怒るだろうな、とふと考えて苦笑すると、ヨシロウとタモツが不思議そうに首を傾げた。
「なんだよきめえな」
「いや、なんか色々考えてたらもうすぐいろいろ終わるんじゃないかなって思ってな」
そう言い、源二は天井を見上げる。
「こんなことがあったんだ、ベジミールもアジトモも動くだろうよ。だけど俺は俺の理想を貫きたい」
「それを手伝うってんだよ、俺たちは」
タモツが即答する。
「俺たちは、いや、この店の常連ならみんな思ってることだ。タイショーの願いを叶えたいって」
「主語でかいぞ」
源二が再び苦笑するが、それで止まるタモツではない。
「主語でかいわけあるか。なあ、みんな?」
「そーだそーだ!」
「少なくとも俺はタイショーの夢を見届けたいぞ!」
「食事処 げん」に響く常連たちの声に、源二は目頭が熱くなったような錯覚を覚えた。
この店は思っていた以上に愛されている。
はじめは味覚投影オフで驚かせたい、そこから客一人一人に寄り添いたいと思っていた「食事処 げん」は今や源二の思い以上に客たちを団結させる場として機能していた。
誰もが源二の夢を後押しすると意気込み、手を差し伸べる。
「……俺、幸せ者だな」
「だな」
源二の呟きにヨシロウが大きく頷く。
「だから、叶えろよ、お前の野望。てっぺん獲っちまえ」
「——ああ」
そうだ、負けるわけにはいかない。
そう自分に言い聞かせ、源二は各社の次の動きを考え始めた。




