第91話「絶望、絶望、また絶望」
執務室で、ペッパーフィッシュ社のCEOが報告を受け頭を抱える。
「ビッグ・テックが介入しただと!? 基本的に中立の企業が何故!」
「それどころかベジミールとアジトモも同盟を結び、我が軍に宣戦布告を——」
「うるさいうるさいうるさい! 我が社としては『食事処 げん』を消し去りたかっただけだぞ! あんな木っ端食堂、吹き飛ばしたところで——」
「ベジミールとアジトモとしてはそれが許せない、といったところかもしれません」
激昂するCEOと冷静を取り繕う秘書。
報告では確実に「食事処 げん」が入っているビルを倒壊させるはずだった精密誘導爆弾はその上空でディフレクターシールドによって無効化された。周辺のビルにはわずかに被害が及んだようだが、そんなものはペッパーフィッシュ社も望んでいない。
ディフレクターシールドと言えばシールド発生装置から放出された重力子から発生した疑似重力の方向を拡散することで物体の運動方向を捻じ曲げ、着弾を防ぐ——というのがビッグ・テック社が公開しているデータで知られている。
しかし、重力子という新物質は発見されてからの歴史が浅く、実用化に至ったのはビッグ・テック社一社のみ。ビッグ・テック社は信用調査など情報管理系のテクノロジーで最大手とは言われているが、それ以外にも様々な新技術を生み出しては拡散する企業として広く知れ渡っている。
そんな世界最大規模の巨大複合企業であるビッグ・テック社が専門外である料理、それも個人経営の店を守るためだけに自社の所有軍でしか使用していないディフレクターシールドを提供したという事実がペッパーフィッシュ社のCEOを大きく動揺させていた。
しかも、報告によると同業最大手と第二位であるベジミール社とアジトモ社も同盟を結び、ビッグ・テック社に追従したという。食品系第三位企業であるペッパーフィッシュ社に対してチリ一つ残さぬと言わんばかりの布陣に、CEOはもはや成す術がなかった。
ただでさえ不正会計の火消しが終わったばかりで企業としてダメージを受けているペッパーフィッシュ社にはオーバーキルで済まないレベルの火の粉が降りかかろうとしている。
「くそ——」
「ベジミールから通達です。『今ここで降伏するのなら企業取り潰しにならない程度の便宜は図る』とのことです」
淡々とした秘書の物言いに、CEOがキッと秘書を睨みつける。
「クソが! そんなことをしたところでもう我が社は終わりだ! だとしたら邪魔する企業は少しでも道連れにした方が私の気持ちがいいわ!」
「しかし、それではトーキョー・ギンザ・シティへの被害が——」
「知るか! トーキョー・ギンザ・シティを焼き払ってでもあいつらに『食事処 げん』を渡すものか!」
CEOの支離滅裂な言葉に、さすがの秘書も「もう終わりだ」と感じていた。
できることなら今すぐここから逃げ出してしまいたい。ペッパーフィッシュ社から一抜けして自分を正当に評価してくれる次の就職先を見つけたい。
不正会計が発覚した時点でこの企業を見限るべきだった、と秘書は心底そう思った。
別に企業に対する忠誠心などない。よりいい条件を出してくれる場所ならどこへなりとも行く。そうやって強かに生きるのがこの世界での企業人の生き残り戦略だ。
それなのにずるずると残ってしまったのは何故だろう、そう考え、秘書はCEOに気づかれないようため息をつく。
ここで降伏すれば被害は最小限で食い止められる。トーキョー・ギンザ・シティが戦場になることもないしペッパーフィッシュ社はメガコープという括りからは外れるかもしれないが存続できる。
だが、CEOはベジミール社からの温情を感情だけで拒絶した。
感情で動くような人間にCEOは勤まらないが、度重なるストレス事案に自制心を失ってしまったのでは、と分析した秘書も言葉は冷静だったが心はもう限界だった。
秘書として生きる限り感情を出すことは許されない。私情で異を唱えてはいけない。自分の心を隠して働いてきたが、もう無理だ、となる。
もう、CEOを殴り倒して一時的に全権の責を引き受けて攻撃中止を命令するか——そう考えるものの、そんなくだらないことで前科が付くのだけは避けたい。そう、思える程度にはまだ冷静さを残していることに気付き、秘書は手にしていたノート型の端末を閉じた。
「——もう、終わりにしましょう」
そんな声が秘書の口から洩れる。
「何を言っている! 我が社はまだこれからだ!」
CEOの叫びが虚しい。
「いいえ、もう終わりです。私はこれ以上CEOに付き合いきれません」
そう言い、秘書がCEOに一つのデータを転送する。
「貴様、何を——」
データを受け取ったCEOの言葉が途切れる。
受け取ったデータは退職願。日付は——一か月前のもの。
期間を遡っての退職願に、CEOは秘書を睨みつけた。
「……裏切るのか!」
「いえ、私は適切に転職活動を進めたいだけです。取り潰しになった企業に取り残されるより、見切りを付けて転職活動を進めた方が危険予知の観点では有利になりますので」
では、と秘書——元秘書は端末をCEOの執務机に置き、迷いのない動きで退室していく。
「こんなことが許されると思っているのか! お前がもうどこにも再就職できないように根回ししてやる!」
そんな負け惜しみの声をドア越しに聞き流し、秘書はさっぱりした面持ちで前を見た。
もう取り潰し確定と言ってもいい企業のCEOがどう働きかけたところで他企業に与える影響などない。あんな脅し、脅しにすらならない。
「……さて、次はどの企業で働けますかね——」
晴れ晴れとした顔で、元秘書は廊下を歩く。
「一度、『食事処 げん』で食事をするのもいいかもしれませんね。各企業が欲しがる店の味——一度は味わってみたいものです」
もう、CEOに振り回されることもない。
ひと時の自由を謳歌しましょう、と呟き、元秘書はペッパーフィッシュ社を後にした。
◆◇◆ ◆◇◆
早期警戒管制機から届いた「ビッグ・テック、ベジミール、アジトモ統合軍がこちらに向かっている」という報せに、「食事処 げん」爆撃を実行したパイロットの操縦桿を握る手がわずかに震える。
超音速移動、高機動によって身体にかかる重力加速度は人間の限界を超えている。それに対応するため、パイロットは身体の様々な部位を義体化しているから手が震えるということは本来なら有り得ない。筋肉の収縮と弛緩によって発生する振戦は生身だから起こることであって、機械で身体機能を向上させる義体にそのような現象は発生しない。
それなのに、パイロットの手は確かに震えた。その証拠として機体が一瞬左右にぶれ、異常な振動としてパイロットのHMDに警告が表示される。
格闘戦に対する恐怖はない。企業間紛争による武力衝突は大なり小なり日常的に起こっている。トーキョー・ギンザ・シティそのものが戦場になることは約十年前の大規模紛争以来発生していないが、その平和がついに破られる時が来た、とは感じてしまう。
それはもうこのパイロットが精密誘導爆弾を投下したことで破られていたが、本来ならビル一棟倒壊させるだけで終わったはずの任務が更新され、三社統合軍と戦うことになるのはパイロットにとっても本意ではなかった。
できるなら戦わずして帰りたい。ベジミールとアジトモだけなら先ほど合流した近接航空支援部隊の協力を得て互角に戦える自信はあった。爆撃が主目的であったとはいえ、爆弾を落として「ほな、さいなら」ができる訳もなく、何かしらの企業による報復、もしくは鎮圧行動が行われるのは分かり切っている。そういった状況から生還するためにも各メガコープの所有軍は旧時代の自衛隊も驚きの訓練を行っている。
だが、統合軍にビッグ・テック社が加入したのは想定外だった。
ビッグ・テック社は世界最大規模のメガコープの一社として君臨している。他企業にはない装備も充実しており、常に最新鋭の兵器を配備している。
それが抑止力であるのは誰もが知ることだ。最大規模のメガコープがそれぞれ最強の兵器を備え、他企業に向けているから世界規模の企業間紛争は発生しない。同時に、牙は向けるが特定企業に対してそれを行使しない、それがビッグ・テック社だったはずだ。
それなのに、中立な立場のビッグ・テック社がベジミール社、アジトモ社と手を組んだ。他の最大規模の企業がそれに対して何も言わない、動いたという情報がないのは気になるが、ビッグ・テック社が統合軍に参加したことでペッパーフィッシュ社に勝ち目はなくなった。
数だけなら覆せても、装備の優劣は相手がよほどの無能でない限り覆せない。
詰んだ、というのがパイロットの素直な気持ちだった。
自分が生き残ることができるとすればそれはCEOが降伏を受け入れて戦闘中止命令が出た時くらいだ。その命令が来ない以上、死ぬと分かっていても戦うしかない。
味方機から寄せられる通信の雰囲気も完全に敗戦ムードまっしぐらだった。
とんでもない貧乏くじを引いた——そんな己の不幸を呪い、パイロットは最後の任務を全うすべく操縦桿を握り直した。




