第89話「魚のひと噛み」
「——本当に、実行するのですか」
間接照明のみで照らされた広い室内で、秘書らしき男が執務机から離れて窓際に立つ男に問いかける。
「ああ、今まで泳がせていたが、このままでは確実にベジミールかアジトモの手に落ちる」
「しかし、だからと言って武力行使など」
相手はただの料理店ですよ、と反論する秘書に、男はくるりと振り返り、秘書を睨む。
鋭い眼光に射抜かれ、秘書が口を閉ざす。
「手に入らないなら——潰すまでだ。徹底的にな」
低く、そう言い切った男のスーツの襟で、デフォルメされた魚の骨格を模した社章が間接照明の弱い光を受けてきらり、と光を放った。
◆◇◆ ◆◇◆
「食事処 げん」は今日も変わらず営業していた。
客が食事を楽しむいつもの風景、相変わらず仲が悪い白鴉組と早房組の用心棒たち、厨房で静かに動くフードプリンタ。ただ、ここ数日は店の周囲で道路補修か何かが行われているのか、工事の音が店の中にまで響いている。そんな工事のスタッフが連れ立って立ち寄り、普段よりほんの少しだけ忙しい「食事処 げん」。
あの時のビッグ・テック社によるホロサイネージジャックが夢だったかのような何事もない日々が過ぎていく。
とはいえ、ベジミール社やアジトモ社は時々探りを入れてくるかのように連絡を寄越し、源二はそれをのらりくらりとかわしていた。
「アキくん、一番できたよ!」
「はい!」
源二の指示を受けて、アキラがてきぱきとフードプリンタから料理を取り出し、後付け調味料で仕上げをして配膳担当に渡す。
配膳担当も慣れた手つきでトレイを運んでいく様子を見て、源二は今日も平和だな、と何もない日常を噛み締めていた。
しかし、この日常もいつまで続くか分からない。
ビッグ・テック社がどう動くか分からない上にしびれを切らしたベジミール社とアジトモ社が強引な手に出る可能性もある。幸い、「食事処 げん」はまだ個人商店で、株式といったものは用意していないので敵対的買収を行われる心配はなかったが、個人商店だからこそ実力行使に出られればすぐに吹き飛んでしまう。
ベジミール社が味覚投影オフ料理を販売した反響で客も増加の一途を辿っており、チェーン展開も視野に入ってきている。それでもこの三社の動きが分からない今、下手に事業拡大することもできず源二はどうしよう、と考えていた。
事業を拡大するには今の自分の資金力だけでは難しい。ヨシロウに|マイニング報酬の横取り《マイニングジャック》させて資金を得ることはしたくない。かといってサトルに出資を頼むのにも限界がある。表向きクリーンな店で通っているため白鴉組の資金援助を受けることも不可能。
自力で資金を得るには法人登録、株式の発行、それによる会社の設立、そういった手順が必要だった。
それなら株式会社を設立した場合何が起こるかといえば敵対的買収である。
証券取引所を介さず、事前に株主に有利な条件を提示して株式を買い付ける株式公開買い付け——これに応じるか応じないかは株主次第だが、「食事処 げん」がよほどの株主優待を行わない限り株主が手持ちの株を売却する、その結果株式の過半数を敵対企業が手にしてしまう可能性は非常に高かった。
もちろん、源二とヨシロウで株式の過半数を所持していればそれは防げる。だが、それができるほど二人は裕福ではなかった。
「……タイミング、誤ったかなあ……」
料理を出力するフードプリンタを眺めながら源二がぼやく。
「タイショー、どうしました?」
アキラが首をかしげると、源二はああ、と小さく頷いた。
「チェーン展開考えたけど、今だとベジミールとかアジトモがネックになってるんだよなあ、って」
「あー……」
つい納得してしまい、アキラは難しい顔になって考え始めた。
「確かに、ベジミールとアジトモに睨まれてる状態でチェーン展開は厳しいですね」
「でもこのままだとこの店も回らなくなる。何とかして拡大はしたいが、難しいところだな」
はぁ、と二人が同時にため息をつく。
「あ、もうこんな時間か。アキくん、もう上がっていいよ」
ため息をついたところで視界の時計が指定の時間を指し、源二は慌ててアキラの肩を叩いた。
「いくら楽しくても残業はよくない。アキくんは今療養中の身なんだからしっかり休むんだよ」
「はい、タイショーありがとうございます!」
アキラがぺこりと頭を下げてバックヤードへと移動していく。
それを見送り、源二もフードプリンタの状態を確認した。
閉店まであと一時間。もう少ししたらヨシロウが顔を出すはずだ。
今日の賄いは何にしようか、そんなことを考えながら源二は視界に飛び込んだオーダーに応えるべく調味用添加物のカプセルを取り出した。
「うぃっす。今日は俺も来たぜ」
閉店直前、ヨシロウとニンベン屋が連れ立って「食事処 げん」に顔を出した。
この店の常連は訓練されているため、閉店の十分前にもなれば全員が退店しており、店内は用心棒たちが閉店準備を進めている。
「お疲れさん。俺も手伝うぜ」
ヨシロウがテーブルの片づけを手伝い、ニンベン屋も厨房に入ってまだ食洗器に入っていなかった食器を投入していく。
「今日の賄いは新メニュー、カオマンガイだぞ」
後片付けをするヨシロウたちを見ながら源二が声をかけると、店内のそこここから歓声が沸き上がった。
「新メニュー来たな!」
「これだから用心棒はやめられねえ!」
口々に叫ぶ用心棒たちの作業のスピードが目に見えて早くなる。
「お前ら、現金だなあ」
そんなことを言っているヨシロウも動きが目に見えてきびきびとしており、誰もが新メニューに期待を寄せていることが分かった。
「ほんと、お前らは……」
張り切るヨシロウたちに苦笑する源二。
これはたくさん作らないといけないかと考えていると、突然、正面入り口から一人の男が飛び込んできた。
「おい、もう閉店——」
「タイショー、まずいです!」
用心棒の一人が追い出そうとするが、その腕をするりとかわし、男——アンノは源二の前に駆け寄った。
「アンノ? どうしたんだ」
息を切らしながら駆け寄ってきたアンノに、源二が水を差し出しながら尋ねる。
差し出された水を一息に飲み、アンノは源二に縋りついた。
「ペッパーフィッシュがこの店を爆撃しようとしてます!」
「——は?」
アンノの言葉から一拍遅れて源二が声を上げる。
「ペッパーフィッシュが——」
「爆撃?」
まさか、といった面持ちでヨシロウがホロキーボードを展開し、フライトレーダーアプリを起動する。
「冗談はよせ、フライトレーダーに爆撃機の情報なんてないぞ」
「何言ってんですか、軍事作戦中に一般公開のフライトレーダーにデータ載せるわけないでしょう!」
とにかく、早く避難を、と叫ぶアンノに、源二も周りの用心棒たちを見る。
「あぁ、でも間に合わないかも! 俺も雇い主から『コマツからペッパーフィッシュの爆撃機が離陸したから早く伝えろ』って」
「コマツ……イシカワエリアか。連絡を受けたのは?」
落ち着いた様子のヨシロウの言葉を聞きながら、源二も頭の中で計算する。
小松基地のある石川県から東京まで約三百キロメートル、この時代の爆撃機の速度は知らないが、超音速に届かないなら十五分以上はかかる計算になる。連絡を受けたのが十分前であったとしても今すぐ店を出れば人的被害は免れるはず。
しかし、いくらアンノが連絡を受けて駆け付けたとしてもあまりにも遅すぎた。
「食事処 げん」が入っているビルには他にも店舗やオフィスが入居している。爆撃ということを考えるとビル単体を狙ったとしても周囲にも被害は出る。
せめて人的被害が出ないようにと周辺の入居者に連絡するにはあまりにも時間が足りない。
「俺も飯食いたくてこっちに向かってる時だったから——五分くらい前です!」
「とすると十分ちょっとは猶予があるわけか——」
「いや、五分もねえな」
横から、ホロキーボードに指を走らせていたヨシロウが悔しそうに呟く。
直後、ヨシロウから転送された爆撃機のスペックに源二も唸らざるを得なかった。
想像していた爆撃機とは違う。どちらかというと搭載した武装で状況に応じた攻撃ができる多用途戦闘機の印象を受ける。
無理もない、広範囲を爆撃するなら爆弾を大量に搭載できる大型爆撃機を使えばいいが、「食事処 げん」が入ったビルだけを爆撃したいなら精密爆撃のできるマルチロール機を使った方が効率がいい。
そうなると普通にマッハ2は出せるだろうから五分前に小松基地から発進したとしても十分もかからず到着できる、ということか。
「クソッ、今から逃げても間に合わねえぞ!」
強引にペッパーフィッシュの管制システムに割り込んだのか、ヨシロウが叫ぶ。
「駄目だ、攻撃中止命令を出すにはCEOの権限が要る、取得してる時間もねえ!」
そう騒いでいる間にも刻一刻と爆撃機は近づいている。
逃げても間に合わない。逃げられたとしても店は無くなる。
絶体絶命の状況に、流石の源二も打てる手は何もなかった。




