第87話「繋がった糸」
いつものように営業を終え、用心棒たちに腹いっぱい賄いを食べさせた源二がヨシロウと連れ立って帰路に就く。
「ヨシロウ、次に食べてみたい飯とかあるか?」
ホロサイネージで賑わう駅前の繁華街を歩きながら源二が尋ねる。
「んー……。なんか珍しい食いもんがいいな。ってもどんな料理があるかあまり知らねえ……」
「じゃあ、旧時代の外国メシとかどうだ? まぁ俺もあんまり詳しくないが」
「外国メシ!? 例えば?」
源二としては多分食いつくだろうな、と思って出した案だが、ヨシロウは案の定食いついた。
この時代、カレーやピザ、一部の日本で開発された中華料理といった定番メニュー以外はそのご当地であっても今は食べられていない。アフリカや密林の奥地で細々と生き延びている少数民族ですら巨大複合企業の「保護」という名目で文明化しており、今では昆虫食ですら存在しない。
ベジミール社の料理データベースには様々な旧時代の料理が登録されているし、定番メニュー以外は課金することで味覚投影による味の体験を行うことができたが、そんなもの好きはこの時代にほとんどいない。
だが、もし源二が味覚投影オフで旧時代によく食べられていた料理を再現すれば。
最初は源二の料理を知っている常連しか食いつかないかもしれないが、ヨシロウは源二の料理が水面に投げ込まれた石のように波紋を広げることをよく知っている。
投げ込まれた石は常連という小さな波となり、そこから口コミというさざ波で周囲に広がっていく。
実際に、新メニューを展開すると「面白そうな料理があると聞いた」とふらりと立ち寄る新規の客がいる。そこから源二の料理に魅了され、新たな常連となって次の波を作り出す、そんなサイクルで「食事処 げん」はどんどん客を呼び込んでいった。
今回の外国メシもそうだ。体験したことのない新しい扉を前に、ヨシロウはえも言えぬ高まりを感じていた。
胸が高鳴るような、新しいツールを目の前にしたような、年甲斐もなくはしゃいでしまいたいような、そんな感覚。
それがときめきというものであることはヨシロウも分かっていたが、こんなことでときめいてしまうとは源二の料理は本当に魅力的なんだな、と思ってしまう。
次の新メニューのジャンルは外国メシで決まった。それならどの料理をラインナップに載せるか。
「ヨシロウ、にやけてるぞ」
隣で源二がニヤニヤとしながら茶化してくる。
「い、いや別ににやけてないぞ」
慌てて真顔に戻り、ヨシロウが早足になる。
年甲斐もなく、それも源二の料理にときめいてしまったことが恥ずかしく、早く自分の部屋に引きこもりたい。
「なに早足になってんだよ」
源二も早足になってヨシロウを追いかける。
——と、そのヨシロウの足が突然止まった。
「っと!」
ヨシロウが目の前で立ち止まったことでBMSの衝突警報が視界に表示され、源二もぎりぎりのところで立ち止まる。
「危ねえ」
ヨシロウの隣に立ち、源二がヨシロウの顔を覗き込む。
「どうした?」
「——《《見られてる》》な」
周囲を見回し、ヨシロウが呟く。
その呟きに源二も周りを見る。
高層ビルに囲まれた、何の変哲もない街並み。
ビルの壁面に展開された無数のホロサイネージが様々なCM動画を再生し、街の喧騒を彩っている。
だが、何の代わり映えのしない景色なのに気温が一気に下がったような錯覚を覚え、源二はぶるりと身を震わせた。
「何だろう、急に寒気が——」
熱でもあるのか、と源二がヘルスケアアプリを呼び出し、バイタルを確認する。
脈拍、血圧、呼吸、体温——その全てが正常値なのに、寒気を覚える。
同時に感じる、周囲が色褪せたような感覚。
ハッキングか、と源二はヨシロウを見た。
ヨシロウはというと眉間にしわを寄せ、鋭い視線で周囲を警戒していた。
「ヨシロウ、何かヤバくね?」
まるでこの街の中に二人だけぽつんと立っているような孤独感。
一体何が、と源二が呟こうとしたとき、周囲の風景が塗り替えられた。
いや、街並みは何も変わらない。BSチップを使ったような|ヴァーチャルリアリティ《VR》空間に迷い込んだものとは違う。
だが、明らかに周囲の景色は変わっていた。
同じなのに違う、その違和感を突き止めようとして源二はすぐにその違和感に気付く。
「——俺?」
周囲のビル群に投影されたホロサイネージは全て同じ映像を映し出していた。
それは、源二の顔。
今、帰宅しようとして、違和感を覚えて立ち止まった源二の顔がリアルタイムで映し出されている。
「範囲限定の電波ジャックか!?」
ホロサイネージに映し出された源二の顔に、ヨシロウが即座にホロキーボードを展開して周囲の電波状況を探索する。
源二が不安そうにヨシロウを見る。その様子が全てのホロサイネージに映し出される。
大小さまざまの源二の顔が不安げに揺れる映像に、街を歩く人々も足を止めてホロサイネージを見上げている。
「——カメラは特定した!」
ヨシロウがそう言ってエンターキーを叩く。
ホロサイネージの映像がふっと揺らめき、沈黙する。
「くそ、相手も量子ハッカーか。量子ジャンプを繰り返して追跡できないようにしてやがる」
ヨシロウの言葉に、源二ははっと我に返った。
何者かが近くの防犯カメラと周囲のホロサイネージをジャックし、源二を映し出した。
分かったのはそれだけで、誰が、何のためにか、それは一切分からない。
だが、ホロサイネージの電波ジャックは終わっておらず、ハッカーが離脱しているなら回復するはずの映像は戻ってこない。
暗く沈黙するホロサイネージ——それが、突然再起動した。
映し出される「BIGTECH」のロゴ。それを切り裂くようにアナログ時計の針が出現してロゴをふき取るように移行する。
ホロサイネージに映し出されたのは短い映像だった。
無数の歪んだアナログ時計が飛び交う空間を一直線に奥に向かって飛ぶ機械仕掛けの鳥。
続いて表示される文字の数々。
「『夢物語が現実へ』」
「『歴史の実体験を』」
「『時間を巡る冒険、開幕』」
源二とヨシロウが交互に読み上げる。
映像は機械仕掛けの鳥が消失点へと飛び去り、光が画面を満たしたところで終了した。
次の瞬間、何事もなかったかのようにホロサイネージは一斉に本来の映像へと切り替わっていく。
立ち止まっていた人々も、特に疑問を覚えるでもなく再び歩き出す。
「……何だったんだ」
呆然と、源二が呟いた。
今の映像は何だったのだ。夢物語が現実へ、歴史の実体験、時間を巡る冒険——。
「まさか」
源二の中で全ての糸がつながる。
ビッグ・テック社はタイムマシンの研究をしているという噂が流れていた。
アンノは何者かに依頼されて源二を探っていた。
その何者かは味覚投影ではなく、源二自身に興味を持っていた。
ヨシロウはアンノの雇い主はビッグ・テック社だと推測していた。
つまり——。
「ビッグ・テックは俺がタイムスリップしたと確信したのか」
そう呟いた源二の声は震えていた。
今の映像はそういうことか。
「山野辺源二、お前を見つけた」というビッグ・テック社のメッセージ。
「……まずいな」
低い声でヨシロウが呟く。
「ただでさえベジミールとアジトモその他もろもろで手を焼いてるのにビッグ・テックまで手を出して来たら流石の白鴉組——いや、早房組を混ぜても勝ち目ないぞ」
ビッグ・テック社は近いうちに動きを見せる、ヨシロウはそう確信していた。
ベジミール社やアジトモ社は源二のレシピさえ手に入れられればそれでいいかもしれないが、ビッグ・テック社は源二自身を手に入れようとするはず。
実際に時間を渡った人間なのだ、研究材料としては申し分ない。
今までアンノに探らせていたのは陰で源二を支援しつつ、源二が本当に時間を渡った人間か確認するため。それが確定した今、こそこそ動く必要はもうないということか。
どうする、と源二がヨシロウを見る。
「どうもこうもねえよ。厄介な敵が増えただけだ。しかも、今までみたいにお前の矜持が武器となる相手じゃない」
そう答えたヨシロウの目が鋭く回りを見る。
幸か不幸か、周囲をビッグ・テック社の武装兵が取り囲んでいるようなことはなく、源二に対して捕獲したいという意図を持つ人間はいない。
あくまでもホロサイネージのジャックで源二に「見ているぞ」とアピールしただけと判断し、ヨシロウはほっと息をついた。
「とりあえず帰ろう。こんなところで道草食ってもいいことは何一つない」
「そうだな」
そう答えたことで、漸く源二もほっとしたように肩の力を抜いた。
緊張していたんだ、と気づいて苦笑し、歩き出す。
「……俺、どうなるんだろうな」
「さあな。だが、お前の自由を奪う奴は俺が許さん」
どの企業が軍を差し向けようとも源二には指一本触れさせない、そう低く呟いてヨシロウは自分の意識を切り替えた。
これからはどこでどのような敵が出てくるか分からない。
源二がいつも通りの生活を送れるように、自分が気を引き締めて警戒しないといけない、そう自分に言い聞かせ、ヨシロウは鋭く周囲を警戒しながら歩き出した。




