第83話「押し寄せた嵐」
ベジミール社が味覚投影オフで食べられる丼シリーズを発売してからも「食事処 げん」の客足が遠のくようなことは起こらなかった。
むしろ、味覚投影オフの料理を知ったことで「食事処 げん」の存在を知ったり、存在は知っていたものの足踏みしていた人間が客として来るようになり、発売前よりほんの少し忙しくなったくらいである。
これは源二の予測通り、ベジミール社の商品で満足して「食事処 げん」を離れた派閥と同じ商品で興味を持って店に来るようになった派閥がいい感じに拮抗した結果だった。
「まあ、丼シリーズはベジミールにしちゃ安く出しやがったもんな」
店の状況を確認したかったのか、ヨシロウが営業中の「食事処 げん」で夕飯を摂りながらぼやいている。キッチン正面のカウンター席を陣取ったため、源二が作業をアキラに任せて雑談に応じている。
「先発商品って普通は高めの値段設定になると思ったんだがな。それとも今後高級志向に転向して高価格帯にするのかな」
「つまり、最初は手軽に体験してもらって沼らせて、それから大量に金を落とさせる、ということか」
「多分な」
利益最重視のベジミール社ならこれからずっと安価に商品を出し続けることはないはずだ。フードトナーなどは生存に必要なものなのでそこで暴利を貪れば貧困層が蜂起することもあり得るのでできないが、味覚投影オフの料理はまだ嗜好品に近い立ち位置にあるので、のめり込んだ場合、多少高くても購入に踏み切る可能性が高い。依存症にでもなろうものなら借金してでも金を出すというのが世の常だった。
以前、ヨシロウが「お前の料理は麻薬だ」と言ったことを源二が思い出す。
あの頃はいまいち実感が湧かなかったが、今ならなんとなく分かる。
もし、ベジミール社の丼シリーズが大ヒットし、後発で様々な料理が発売された場合、依存症になる人間は必ず現れる。
現時点でも「食事処 げん」に毎日のように訪れる客もいるのだ。彼らが依存症でないと断言することは源二にはできない。
もし、依存症となった場合——ベジミールが高価な料理を出せば必ず手を出す。それによって無理をして資金調達するか破産する人間が出てくる可能性もある。
ベジミール社としてはそんな顧客は取るに足らないかもしれない。富裕層がリピーターとなってくれれば長期的に収益は得られるし、そうでない人間がのめりこめば短期的に搾り取ることができる。
企業時代の厳しい現実だが、源二はそれに異を唱えることはできない。
「食事処 げん」も慈善事業ではないからメリットがない限り手を差し伸べる義理も義務もないのだ。
「ま、他の奴らのことなんて考えていてもしゃーない。俺らは俺らで今後どうするか考えるだけだ」
「そうだな」
そう、源二も頷いた——その時。
「はーい皆さんこんばんはー!」
突然、店内に何人もの男が乗り込んできた。
「は!?」
以前にも見たことのあるような光景に一瞬硬直するものの、もう慣れたもので源二は咄嗟にカウンターの後ろに身を隠す。
店内の客も何が起こったのか分からない、といった様子できょとんとしているが、ヨシロウは男たちが手に手に何かしらの得物を持っていることに気が付き、即座にカウンターを飛び越えて源二の隣に身を潜めた。
「ゲンジ、やばい!」
「強盗?」
「いや、多分——」
そう言いながらヨシロウが防犯カメラにアクセスして店内の状況を確認する。
男たちの一人が代紋のホログラムを呼び出し、店内の客に見えるよう掲げる。
「白鴉組さんよぉ、なに勝手なことしてくれるんですかねぇ」
その声と代紋に、ヨシロウがやっぱり、と呟く。
「やばい、早房組がカチコミに来やがった!」
ヨシロウがそう声を上げる頃には白鴉組の用心棒も手に特殊警棒や電磁式メリケンサックなどを構えて男たち——早房組の前に立ちはだかっている。
一部の店員が素早く客にお詫びクーポンを配りつつ避難させ、店内はすぐに白鴉組と早房組の面々だけになった。
「え、なんでカチコミ? ここ、白鴉組のシマだよな!?」
むしろ早房組がシマ荒らししてるよな? と源二がヨシロウに確認すると、ヨシロウもああ、と頷いてホログラムキーボードを呼び出す。
「最近、早房組がシマの境界で色々動いていると思ったが——攻め込めると思ったんだろうな」
店内と外の防犯カメラからカチコミに来た早房組の規模を確認、ヨシロウがいけるな、と呟く。
「血の気の多い奴らが殴りあったら店が壊れる。その前にPASSを——」
「庶民の憩いの場を荒らすとはおふざけにもほどがありますわァ!!」
「ふぐぅっ!?」
突然、店内に女性の声が響き、直後、最後尾にいた早房組の男がその場に崩れ落ちる。
「何だ!?」
あまりのも唐突な出来事に、ヨシロウがハッキングの手を止めて防犯カメラを確認する。
店の入り口には仁王立ちするドレス姿の女性、その目の前で尻を突き上げた状態で倒れる早房組の男。
その尻の谷間に深々と突き刺さったフォークに、流石にヨシロウも絶叫せざるを得なかった。
「何やっとるんじゃー!!」
「え、何が起こってんの!?」
ヨシロウばかりが防犯カメラで確認していて状況が飲み込めず、源二がカウンターから頭を出して店内を見る。
ドレス姿の女性と尻にフォークを突き刺した状態で気絶している男の姿を認め、源二もうわあ、と声を上げた。
「容赦ないなあ……」
ドレス姿の女性と言えば移転の少し前から常連になった富裕層の凸凹夫妻の妻の方だ。今日も夫と二人で食べに来ていたのは知っていたが、まさかカチコミしてきたヤクザ相手に突撃するとは。
旦那さん、止めて!? となりつつも源二が夫の姿を探すと、夫は妻の後ろでスプーンを構えてガタガタと震えていた。
「だから止めて!?」
この際、フォークを破棄するのはやぶさかではない。流石の源二も尻に刺されたフォークを食器として利用したくない。
それよりも問題はヤクザに喧嘩を売ったカタギの人間である。いくら富裕層でもヤクザなら最底辺に引きずり落とす方法はいくらでも用意できる。
「——この、アマァ!」
早房組の何人かが妻に向かって得物を振り上げる。
「させるかオラァ!」
白鴉組の用心棒もさせまいと早房組に殴りかかる。
妻によって引き金が引かれた乱闘は、あっという間に店内全体に広がっていった。
「うわ……」
流石の源二もこの状況にはおろおろするしかできない。
「よ、ヨシロウ……」
「っ、あんなのにかまけてる場合じゃない!」
源二の声に我に返ったヨシロウがハッキングを再開する。
「ゲンジ、遅くなってすまん!」
そんな謝罪と共に早房組の男たちに送り込まれるショックデータ。
『ぎゃあああぁぁぁぁああぁぁぁぁ!!!!』
ヨシロウも怒りに任せて強めのPASSを送ったのだろう、早房組の男たちが得物を取り落とし、頭を抱えてその場で悶絶し始めた。
「今のうちに縛っとけ!」
「応!」
ヨシロウの指示に、用心棒たちが悶絶する白鴉組の男たちを縛り上げていく。
カチコミからわずか数分。起こさなくてよかった乱闘は当初の予定通りヨシロウのハッキングによって鎮圧された。
「タイショー、大丈夫ですか!?」
妻がドレスの裾をたくし上げてカウンターに駆け寄り、源二の安否を気遣う。
「いや、俺は大丈夫ですけど……」
歯切れ悪く源二が答える。
「……奥さん、あんなことしなかったら乱闘起きなかったんだけど……」
「……え」
源二が最初の被害者を指さして言うと、妻もその方向を見て、あらあらと呟く。
「あらあらまあまあ、私ったらついかっとなっちゃって」
「……こわ。旦那、ちゃんと手綱握っとけよ」
悪びれた様子もなく、それでも自分の一手が余計な事態を引き起こしてしまった自覚だけはあるらしい妻に、ヨシロウが肩を落とした。
「申し訳ありません! 店の修繕費用はうちが払いますから!」
駆け寄ってきた夫が土下座する勢いで謝罪し、源二が慌てていえいえと首を振る。
「そんな、ご迷惑をおかけしたのはこちらですし——」
「いえ! 僕に払わせてください!」
ぺこぺこと頭を下げる夫にそこまで言われると源二も断れなかった。
「……それなら、まあ……」
そう言って源二が乱闘後の店内を見回す。
倒れたテーブルやいす、飛び散った食器、幸い破損したものはなさそうだがとりあえず清掃は入れた方がよさそうである。
そこまで考えてから、源二はあっとヨシロウを見た。
「ヨシロウ、警察来るんじゃ」
「あぁ? 避難してもらう時に警察を呼ぶまでもないって伝えてあるし通報はもう揉み消してある」
「早っ」
いくらヤクザが店のケツモチをしていることが暗黙の了解となっていても、店内でヤクザ同士が抗争を起こせばそれは完全に警察沙汰である。そうなると流石にヤクザとの関わりを指摘して営業停止、最悪の場合廃業もあり得るのでヨシロウのもみ消しはありがたい話だった。
「……とりあえず、こいつら起きたら話は聞くか。回答次第じゃ東京湾に沈めればいいだろ」
「そうならないように祈るがな」
PASSの影響がまだ抜けきらず、呻き声を上げる早房組の男たちを見ながら、源二は少し考え事を始めた。




