第79話「新しい始まり」
移転のための休業から一週間。
「食事処 げん」は新しい店舗で営業を再開した。
「ヒャッハー! 新しい店だァー!」
「おい、大人しく食えよ」
以前よりも広くなり、テーブル席や個室も備えた店内。テンション高く新装開店記念メニューのシャトーブリアンに飛びつく常連や、店の噂は聞いていたもののなかなか足を運べなかった新規客がオニギリに舌鼓を打っている。
「個室ができたということで落ち着いて食べることができますわね」
先日の富裕層凸凹夫妻も個室でゆったりと料理を楽しんでいる。
「でも、個室だとなんとなく物足りないね」
「……そうね。ゆっくり味わえるけど、前の店で常連の皆さんとわいわい食べたのもよかったものね」
「次来たときは普通にテーブル席で食べようか」
そんな会話が個室で繰り広げられているとはつゆ知らず、源二は五台に増えたフードプリンタを相手にうろうろしていた。
「アキくん、二番出せる?」
「はい!」
流石にこの規模の店となると源二一人では回せない。
さらに、規模が大きくなったということで治安が悪化することも考えられたため、源二は白鴉組に声をかけて用心棒兼配膳係を雇っていた。あとは「食事処 げん」に惚れ込んだ数人の常連がアルバイトを申し出てきたことで、以前の店舗であったような人手不足は完全に解消されていた。
アキくんと呼ばれた青年——普段はビッグ・テック社が運営する大学に通っているミヤマ・アキラもその一人で、ストレスチェックでしばらくの休養が必要と言われたのをいいことに「食事処 げん」でアルバイトを始めていた。
ストレスチェックによる休養指示ではアルバイトも本来ならNGとなるはずなのに、アキラは「これが自分にとってのストレス解消法です!」と散々ゴネて例外的——試験的に許可を取り付けたらしいので行動力だけはある。
実際のところ、前の店舗で時々食べにきていた時のアキラは少しずつ明るさを取り戻していたもののまだまだ辛そうな顔をしていた。それがアルバイト初日、店がオープンした途端元気はつらつ、満面の笑顔で厨房の中を動き回っている。
「もしかして、僕ってデスクワークより体を動かす仕事の方が向いてるんですかね」
「さあ、どうだろ。でも張り切りすぎて後から落ち込んだりしないでくれよ」
厨房、といってもオープンキッチンなのでカウンター越しに店内を一望することはできる。
店内で楽しそうに食事をする客たちに、源二とアキラは顔を見合わせてにっこりと笑った。
「いい景色ですね」
「だろ?」
食事をただ生存のための行為で終わらせるのではなく、生きる上での楽しみの一つにする。
効率が最重要視されるこの時代で、娯楽もタイムパフォーマンス優先で見られがちだが、「食事処 げん」の店内はそんなものは関係ないとばかりにゆったりとした時間が流れていた。
初めて味覚投影オフ料理を体験しにきた客も、食べ始めこそはせかせかしていたものの、すぐに「急いで食べるのは勿体無い」とゆったりと食事を楽しみ始める。
以前の店舗ではピークタイムにのんびりしていると、多くの客を待たせることになったが、席数だけでも単純に数倍規模となったこの店では多少のんびりしていても他の客が待つ時間は大幅に減っている。
移転してよかった、と源二が店内を眺めていると、配膳係を務めていた白鴉組の若い衆がそっと近寄ってきた。
「タイショー、3番テーブルの客、酔っ払いだ」
「ん」
若い衆に囁かれて源二が店内の防犯カメラの映像を呼び出し、該当のテーブルをズームする。
囁かれた通り、この客は事前に飲酒して来店したらしく、隣のテーブルの女性連れにしつこく声をかけているようだった。
別に「食事処 げん」は飲酒入店禁止ではない。節度を守ってくれれば叩き出すこともない。
しかし、他の客に迷惑をかけるのなら話は別だ。
「よし、追い出すか。後で賄い出すから丁重にご退店願ってくれ」
「ウス」
「ヨシロウ、」
《なんだ》
若い衆に指示を出した後、源二はヨシロウにも声をかける。
「今、若い衆に酔っ払いの追い出しを頼んだが、穏便に済みそうになかったらPASSをぶちかましてくれ」
《あいよ》
「くれぐれも気絶させんなよ。ちょっとお仕置きする程度な」
ヨシロウのことだから脳を焼くまでは行かずとも昏倒くらいはさせかねない。
念の為に釘を刺して、源二は若い衆が酔っ払いに声をかけるのを見守っていた。
「なんだよー、可愛いねーちゃんと飯食いたいじゃん!」
「相手は迷惑がってるだろうが。大人しく食えない奴はとっとと帰れ」
若い衆は下っ端であってもヤクザの一人、それなりに腕っぷしは立つが、ここで暴力沙汰に出て「食事処 げん」を営業停止には追い込みたくない。
《《やんわりと》》酔っ払い客に警告する若い衆だが、相手は酔っ払っていても用心棒が実力行使に出られないことに気づいているのかヘラヘラとして警告を聴こうとしない。
用心棒もここまでおちょくられるとヤクザとしてのメンツが立たないのか、こめかみに青筋が立ちつつあるのに手を出さないので源二は「訓練されてるなあ」と眺めた後——
「ヨシロウ、やれ」
《応》
ヨシロウとしてはすでに枝をつけていたのだろう、即座に行動に移した。
「ふぎゃっ!?」
ごくごく弱いPASSを送り込まれた酔っ払いが小さい悲鳴を上げる。
同時に体内のナノマシンをアルコール分解モードに切り替えられ、酔っ払いの酔いは一瞬にして消え失せた。
「……はっ、俺は何を」
「正気に戻ったか。お前、酒癖悪いなら制限いっぱい飲むなよ」
ヨシロウが動いたことに若い衆もすぐに気づいたのだろう、元酔っ払いにウォーターサーバーの水を差し出しながら呆れたように声をかける。
「……すみません」
「ごめんで済んだら警察はいらねえんだよ。それに謝るのは俺に対してじゃねえ、そこのお嬢さんだろう」
若い衆がちら、と隣の席の女性客に視線を投げる。
「あ、あの、すみませんでした!」
元酔っ払いが深々と頭を下げ、それからそそくさと身支度を整えて店を出ていく。
「……すまんな、お嬢さん」
「いえ……ありがとうございます」
「詫びと言っちゃなんだが、これ、次使えるクーポン。これに懲りずまた来てくれや」
事前に打ち合わせはきちんとしているので若い衆の対応はスムーズだった。
お詫びクーポンの内容を確認した女性客が「きゃー」と黄色い声をあげる。
「映えスイーツ無料券! タイショーさん、太っ腹!」
「もう、来るしかないじゃないですかー! まぁ、クーポンもらわなくてもまた来るつもりでしたけどー」
若い女性らしく、きゃぴきゃぴと喜ぶ姿を見届け、源二はほっと息をついた。
「タイショー、これでよかったか?」
厨房に若い衆が戻ってきて確認してくる。
「完璧。さすが用心棒」
「イナバの援護があったからな。後でイナバにも美味い飯食わしてやってくれ」
「もちろん」
短い会話で用件を済ませ、若い衆がホールに戻っていく。
「いやー、イナバさん、マジすごいっすね」
一連の流れを、作業を進めつつ見ていたアキラが感心したように呟いた。
「イナバさん、やってることはクラッカーなのに技量的には本来の意味のハッカーじゃないですか」
「だろ? あれくらいの技量と設備があれば巨大複合企業のお抱えホワイトハッカーもよりどりみどりだと思うだがな」
ヨシロウのハッカーとしての腕は確かだ。フリーランスでいるよりも企業勤めの方がはるかに高い地位につけるだろうに、と源二も思ってしまう。
——ま、俺が言える立場じゃないか。
源二も企業からの打診を断り続けているから分かる。
ヨシロウはヨシロウで自由でありたい、と考えているのだ。
もちろん、自分が望む立場を得られるのなら企業勤めもやぶさかではない。ただ、少しでも自分の理想と乖離するのなら野良犬のままでいい、というだけだ。
そういう点では俺たちって似てるんだよなあ……と思いながら源二は素早くフードプリンタに視線を投げた。
「アキくん、五番できてる」
「はい!」
無駄話はここまでだ、と二人がそれぞれの役割を果たすために動き出す。
新しい店での挑戦は始まったばかり。
多くの客が料理を楽しむ様を眺めながら、源二はこれからの店の発展に期待せざるを得なかった。




