第76話「温かく、思いを寄せて」
「食事処 げん」の移転の話はあっという間に常連の間で広がった。
どこに移転するか、も移転自体も完全にはっきりしていない状態ではあったが、それでも察しのいい常連はいるので、源二の様子に「もしかして……」と声をかけたら源二も「移転を検討している」と答えたからだ。
あくまでも「検討している」という回答だったが、それでも噂に尾ひれはひれは付くもので、一週間もしないうちに「『食事処 げん』が移転する」や「移転先はニホンバシエリアの一等地だ」など、かなり大げさに膨らんだ噂があちこちへと広がっていた。
「タイショー、マジでニホンバシエリア行っちゃうんか……?」
不安そうな面持ちの常連がラーメンをすすりながら源二に尋ねる。
「まだ移転先も何も決まってねえよ。まぁ、ニホンバシも魅力的っちゃ魅力的だが今までの常連が来づらいところにはしたくないよなーって思ってるし、あまりにも遠いと俺も通うのがしんどいからな。近場でいい物件がないかヨシロウに見てもらってんだよ」
「ニホンバシでも俺は通うぞ」
「はは、無理すんな」
実際のところ、「ゴーストネオン」とのコラボでニホンバシエリアも悪くない、と源二は思っていた。高級店舗が並ぶエリアで富裕層の出入りも多い。かといって中間層や貧困層が全くいないわけでもなく、うまく店を展開すれば多くの層の流入が見込める。
とはいえ、富裕層が貧困層を毛嫌うことはあるので折角の一等地に店を出しても富裕層が貧困層を排除しようとすることも、逆に貧困層が来る店には来たくないと排除される可能性も十分にある。
そう考えるとニホンバシエリアに今の常連を連れて移転するとトラブルの元になる。だからと言って今の常連を切り捨てる気は毛頭ないし、富裕層の利用を諦める気もない。
それに関しては少し考えが浮かんでいたので今夜ヨシロウに相談してみようと思いつつ、源二は入店してきた別の常連に声をかけた。
「……おう、調子はどうだ」
いつもなら閉店のタイミングで顔を出すヨシロウが、珍しくかなり早い時間に顔を出した。
「ヨシロウ、店選びはどうなんだよ」
「ま、どこに行っても俺たちは通うつもりだがな」
常連たちの言葉に片手を挙げて応じ、ヨシロウは空いた席に座って注文を飛ばす。
「ゲンジ、カツカレー頼む」
「あいよ」
その瞬間、常連たちが一斉に湧いた。
「なんだそれ!?」
「カツカレー!? カレーにトンカツが乗ってるのか!?」
食わせろ、とヨシロウに詰め寄る常連たち。
「お前らも注文すりゃいいだろ! カスタムオーダーできるだろうが!」
誰が食わせるか、とカツカレーの皿を手に攻防を展開するヨシロウ。
「カスタムオーダーだと!? いつの間に!」
「裏メニューだよ! 知る人ぞ知るオーダー方法だ!」
「マジか!」
どうやるんだよ、と常連たちの視線が源二に向けられる。
はは、と笑って源二は常連たちの前にメニューを開いた。
「カスタムメニューっつか、単純に二つ以上注文して合体させるだけだよ。カレーとトンカツをオーダーしてカツカレーと言ってくれればすぐ分かる」
「その料理名が分からんのだよ!」
「探せ! メニューの全てをそこに置いてきた!」
どこだよ、と常連が文句を言う——が、同時に納得もする。
以前のミソカツドンの時もそうだった。源二は常連のためにヒントをちりばめ、見つけ出されることを楽しみにしている。
そんな遊び心のある店だからこそ、常連たちは「食事処 げん」に通っている。
味覚投影オフで食べられる唯一無二の体験ができる、と言うのももちろんある。だが、それ以上にこの店の温かさや遊び心に常連たちは魅入られていた。この店が味覚投影オフという唯一無二のものがなくても通い詰めたかもしれない、それくらいこの店は常連たちにとってなくてはならないものだった。
「やっぱ『げん』の魅力ってこういうところだよなあ」
「食事処 げん」のサイトを開き、隠しメニューがないか探しながら常連が呟く。
「そうそう、味覚投影オフだけだったらどこかで飽きてたかもしれん」
そんな常連たちの気持ちに源二は気づいていない。
自分の店の魅力は味覚投影オフだけだと思っている節がある。
気づけよ、この鈍感タイショーめ、と思いつつも常連たちはどれどれとメニューを見て——。
「タイショー、オムカレー!」
「それまだメニューにしてないやつ! でも作る!」
「俺はパスタフェ!」
「お前それ本気で言ってる!? うちは喫茶登山道じゃねえぞ!?」
相変わらずの賑やかさで新メニューが作られていく。
それを見守りながら、ヨシロウは「やっぱこいつらは手放したくねえよな」と呟いていた。
「で、ヨシロウ、いい店候補あったか?」
騒ぎがひと段落したタイミングで常連の一人がヨシロウに尋ねる。
「あー……一応、候補はいくつかあるんだが今ので二軒ほど消えたわ」
そんなことを言いながら、ヨシロウが全員に見えるように不動産サイトのブックマークを表示させた。
「トーキョー・ギンザ・シティの幾つかのエリアで見繕ってたんだが、やっぱここからはあまり離れたくない。でももうちょっといい場所も狙いたいからシンバシ駅付近の物件に絞り込んだ」
ヨシロウがブックマークの付いた物件の一つをタップし、詳細表示する。
「……ふむ」
そこはシンバシ駅にほど近い場所にある商業ビルだった。
ビル全体が複数のテナントを受け入れるタイプのもので、偶然にもその一階部分に空きができたらしい。
見ると、広さも今の「食事処 げん」の数倍の広さはあるし、前の店舗の作りを見る限りカウンター席、テーブル席、個室と揃っていて客層の様々なニーズに答えられるようである。
「ヨシロウ、お前——」
店舗の間取りを見た源二が思わず声を上げる。
「お前、俺が個室を用意したいと知って——?」
「あぁ? そうだったのか? いや単に個室があった方が富裕層とか落ち着いて飯が食えるかなと思っただけなんだが」
その言葉に源二の顔色が明るくなる。
「ちょうどお前にそれを相談しようと思ってたんだ! やっぱり色んな客のニーズに応えるならテーブル席や個室があった方がいいんじゃないかなって」
お前も飲食店のマネージャーとしてちゃんと考えられるようになったな、と笑う源二。
その源二とヨシロウを、常連たちが囃し立てた。
「やっぱお前ら夫婦じゃん!」
「誰が夫婦だ!」
いつものやり取り。
否定はするものの、ヨシロウはなんとなく「こういうものか」と思い始めていた。
夫婦ではないが、自分たちの空気感は互いに言わずとも通じる熟年夫婦のそれ。
実際に夫婦と言われると照れ臭いが、それでもこの空気感が心地よいものだとヨシロウも気づいていた。
互いに困ったときは助け合えばいいという思考、言わなくても通じる安心感、そういったものを共有できるのが源二でよかった、と思う。
本音を言えば源二が女だったらよかったのに、と思わないでもないが仮に源二が女性で、今のような空気感になれたとして、プロポーズできたかというとその自信はない。どこかでいい相手を見つけて幸せになれよ、と一歩引いた目で見てしまう気がする。
それは今の源二でも同じだ。どこかで自分より頼りになるパートナーを見つけてほしい、と思ってしまうし、それこそベジミール社と提携した方が幸せになれるのでは、と思うところはある。
源二が自分の考えをしっかり持っていて、その考えとベジミール社の方針が食い違うから提携しないということは分かっているが、いつどの巨大複合企業が妨害してくるか分からない状況ではどこかのメガコープの庇護下に入った方が安泰である。
それでも戦うというのなら俺も全力で力を貸しますけど、と考えつつ、ヨシロウはそれなら、と口を開いた。
「まぁ、お前がここを気に入るとは思ってたがな。よかったら内見申し込み出しておくぞ?」
「オッケー、出しておいてくれ。ヨシロウが選んだ物件なら間違いがないだろうが、実際に内見してみて見えてくるものもあるだろうからな」
源二が頷くと、常連たちもうきうきとした様子で物件詳細を眺め、どのような内装にするか、や新メニュー何が出るんだろう、という話を始める。
「タイショー、引っ越すなら俺たちも手伝うからな!」
「おうよ、知り合いの引っ越し業者に声かけて安くしてもらうぞ!」
「はは、ありがとう」
温かい常連に囲まれ、源二はもう一度笑った。
だから、この店はやめられない、と。




