第75話「決意の時」
「おい、出かけるぞ」
唐突にヨシロウがそう言ったのは翌日は定休日、となった前日の夜だった。
いつものように閉店作業を終え、ヨシロウと夕食を摂った源二が帰ろうとしたそのタイミングの声かけ。源二がえっと声を上げてヨシロウを見る。
「お前がデートに誘うとは珍しいな」
「デートじゃない!」
ヨシロウの語気が強くなってしまったのは周囲から散々夫婦と言われて辟易してしまっているからだろうか。源二としてはそれだけ信頼し合っていると認められているという自覚からまんざらでもないのだが、ヨシロウはそんなことないと否定したいらしい。
「俺まだ三十二だぞ、まだまだこれからって時にむさくるしいおっさんと夫婦とか言われたくねえ!」
「えっ、お前三十二歳なの?」
初めて聞いたヨシロウの年齢。そういえばあと数か月もすれば出会って一年になるが、誕生日や年齢と言ったものは知らなかった。知ったところで何かがあるわけでもなく、別段気にしていなかったが、こうやって明かされるとそれはそれでいろいろ気になってくる。
「ああ、お前より年下だよ! だから嫌だったんだよ……」
ぶつぶつと呟くヨシロウに、源二がぷっと笑う。
「年下っつっても数か月だろうが。誤差の範囲だ」
ヨシロウが自分の誕生日を知っているのは分かっている。戸籍の偽造その他手続きで生年月日を書くことは何度もあったのでその時に仮の生年を設定している。
と、いうことはヨシロウだけ俺のこと詳しく知ってたのか……などと考えつつ、源二はそれで、と話を戻した。
「急に出かけるとか言い出して、どうしたんだ?」
「いや、明日休みだしちょっと気分転換したいなと思ってな」
ヨシロウの言葉に、源二がそうかとジャケットを手に取る。
「じゃあ、その誘いを断るのは無粋だな」
なんとなくだが理解した。ヨシロウは自分が気分転換したいというよりも源二を気分転換させたいのだ。
ここ数日、移転するかチェーン展開するかで様々なメリットやデメリットを比較して、考えるのが嫌になってきたところだ。家と店の往復ではなく、いつもなら行かない場所に足を運べばもしかすると何かいい案が浮かぶかもしれない。
「で、どこに行くんだ?」
ジャケットを羽織りながら源二が尋ねると、ヨシロウは「うーん」と唸りだした。
「ぶっちゃけ、何も考えてなかったわ」
「考えてないんかい!」
完全に行き当たりばったりなヨシロウに源二が苦笑する。
だが、それでいい、とも思う。
人間、何もかも計算ずくで生きていくのは息苦しい。
特に巨大複合企業が社会を支配している今の時代は何もかもが時間刻み、計算によって最適化されたスケジュールに沿って行動することが美徳とされている。だからこそ仕事の休憩時間に食堂で並ぶようなことは非効率だし、それ以外の時間に店に足を運ぶことは不可能。
とはいえ、最適化された時代であっても自由に生きる人間はそれなりに存在するわけで、ヨシロウのようなフリーランスや不労所得で生きているような人間、逆に職も金もないが面白おかしく生きているような人間は暇を見つけては「食事処 げん」に足を運んでくれる。
「ま、行き先は適当に電車に乗って考えればいいか」
それこそヤマノテ・ラインは基本的に循環しているのでぼんやりと乗り続けるだけでも気晴らしになると言えばなる。今では存在するかどうか分からないが、鉄オタという人間の一部はそういった行為も好んだと聞く。
それじゃ、行きますかと戸締りを済ませ、源二はヨシロウを促した。
「とりあえずは駅に行くか」
何も考えずに誘ったヨシロウが、それでも迷いを見せることなくすたすたと歩き出した。
◆◇◆ ◆◇◆
「——で」
派手な光で投影された自由の女神像を前に、ヨシロウはため息交じりに声を上げた。
「気が付いたらお台場まで来ていた、と」
「すまん」
源二が素直に謝る。
電車に乗る際、切符を買うといった行為や実体カード、もしくはスマートフォンを自動改札機に通すという概念が完全に消え失せ、ただゲートをくぐれば自動的にBMSと近接通信して運賃がウォレットから差し引かれるという状況に、気が付けばお台場海浜公園——今の時代ではダイバ・レインボー・パークと呼ばれている公園にまで足を伸ばしていた。
源二も別にお台場に来たいと思っていたわけではない。ただぼんやりと電車を乗り継いだらいつの間にかレインボーブリッジを渡ってお台場に来てしまっただけだ。
だが、同時にちょうどいい、とも思う。
自分が元いた時代でも一つの観光名所だったレインボーブリッジとお台場がどうなっているかは興味があった。無意識のうちに今のこの場所を見てみたいと思ったのだろう。
お台場に何故かある自由の女神像は老朽化のためか撤去されていたが、その代わりに虹色に輝く立体ホログラム投影でかつての姿を映し出していた。待ち合わせにはほどよく目立つため、合流場所として多くの男女が自由の女神像の周りで通話している。
闇に染まる海を見ると、これまた虹色に輝くレインボーブリッジが光の帯を描き、シバウラエリアとダイバエリアを結んでいた。
つい先ほど、電車で渡ったレインボーブリッジだが、軽く歴史を調べると開通した一九九三年から今の時代に至るまでに何度か大規模な改修と架けなおしが行われたらしい。橋の寿命は元の時代だと約百年くらいまで伸びていたらしいが、それでも今の時代は源二がいた時代から軽く数百年は経過している。時代の変化と共に橋の寿命も伸びていることを考えると気が遠くなるような錯覚を覚えてしまう。
「レインボーブリッジがまだあるってのがすごいな」
刻一刻と色を変えるレインボーブリッジに、源二がぽつりと呟く。
「あー……十年ほど前に架け替えられたばっかりだからな。ったく、『ミリシタ』と『アルファ・テック』の紛争はやばかったよ」
遠くを見るような目でヨシロウが口を開く。
「あの時、『ミリシタ』と『アルファ・テック』が大規模な紛争を起こしてな。ガチで戦場になったんだよ、このダイバエリア」
「マジか」
「まぁ、ダイバエリアは工業地帯だったし、人命的な被害で言えば最低限で済んだ——ってのが世論だがレインボーブリッジが落とされて、かなりの期間孤立してたのは事実だ」
ヨシロウの言葉に、源二の脳裏に浮かんだのは何故か「レインボーブリッジが封鎖された」だった。
厳密には落とされたが故の通行止めだが、不謹慎にもレインボーブリッジが渡れない状態になることはあるんだ、と思ってしまう。
ダイバエリアが戦場になった、ということはそれから十年ほどでここまで整備された、ということだろう。日本の土木や建築技術が完全に死に絶えていなかったことや、今こうやって観光することができるほどに復興したダイバ・レインボー・パークに日本もまだ捨てたものじゃないな、と思う。
もちろん、巨大複合企業という巨大な資本が動いているのは分かっている。そうであったとしても十年でレインボーブリッジを再開させ、ここまで人々が当たり前の平和を享受できるように復興した時点でメガコープの底力を思い知る。
——できるだろうか、俺に。
ベジミール社やアジトモ社をあっと言わせたい、その願いが根本から覆されてしまいそうな不安。
個人では勝てない。企業を立ち上げても業界一位のベジミール社を超えることは至難の業。それこそ企業を立ち上げれば各社が資本力にものを言わせて潰しにかかるはず。
今はただ個人だから見逃されているだけだ。どの企業も、源二が隙を見せれば即座に喉笛を食いちぎろうと狙っている。
ダイバエリアの復興という資本力を見せつけられ、源二は分からなくなった。
自分の願いはただの妄想ではないのか。少しでもチャンスを見つけ、企業に取り入り、高みを目指したいと願う凡百な人間の一人と変わらないのではないか——と。
過去から来た異邦人という立場、この時代では失われた本来の味を知っているということから源二は自分が特別な人間だと思っていたのではないか、と気づかされる。
確かにこの時代の人間から見れば大昔の知識を持っているという時点で特別ではあるかもしれないが、その前に源二もただの人である。元の時代に戻ればありふれた、ただの一般人。
特別なものなんて何もない、それでも——。
——やれるやれないじゃない、やるかやらないかだったな。
できるかどうかはともかくとして、動かなければ何も起こらない。
自分というちっぽけな自分が企業に挑んで勝てるとは思えないが、それでも100パーセント勝てないとは断言できない。「有り得ないは有り得ない」、それが世の常のはずだ。
それに、自分は一人ではない。ヨシロウやニンベン屋、白鴉組。それだけではない、多くの常連が源二を応援している。応援してくれる人間がいるのなら、諦めるわけにはいかない。
どうする、と自分に問いかけ、源二は大きく息をついた。
今更後には退けない。ヨシロウも他の人間も「無理はするな」と言ってくれるだろうが、そこで自分の夢を二度と諦めたくない。頂上に立つと決めたのなら、行けるところまでは食い下がる。
そのために必要なのは「食事処 げん」にもっと力を付けることだ。
ただし、他の企業に狙われている状態、しかもこちらに力がほとんどない状態でチェーン展開するのは危険だ。できるなら、もっと自分が力を付けてから。
それなら力を付けるにはどうすればいいのか。
そう考え、うん、と大きく頷く。
「ヨシロウ、」
「なんだ」
何かを決意した風の源二に、ヨシロウが話の続きを促す。
「『食事処 げん』を移転しよう。もっと大きな店にして、もっと多くの人を受け入れて、少しでも企業に立ち向かう力を付ける」
「チェーン展開はしないんだな?」
「それはまだ早い。店を大きくして、社会的な影響力がもう少し強くなってからだ」
そう言った源二の目は迷っていなかった。
ああ、とヨシロウが頷く。
源二が迷っていないならその背を押すだけだ。
「物件選びは任せろ。お前は店を大きくすることだけ考えればいい」
「頼もしいな」
「お前がてっぺんに立つのを見たいだけだ」
そう言い、ヨシロウは両の掌をパン、と合わせた。
「見せてもらうぞ、『食事処 げん』の成り上がり」
「ああ、どこまで行けるか分からんが、ホウライ氏の喉笛に噛みつけるよう頑張るよ」
光輝くレインボーブリッジを眺めながら、源二ははっきりとそう言った。




