第68話「勢いには任せずに」
カウンターに入った源二はまずフードプリンタを見てどのメーカーの、どの機種のものか確認する。
別に調味用添加物が機種を選ぶことはないが、機種によって出力結果は大きく異なる。安物であれば源二の時代にもあったFDM方式の3Dプリンタの、それも抽出されるフィラメントが太いタイプの積層が見られるし、高級なものなら同じ3Dプリンタでも光造形方式かと思いたくなるほど精密な出力がなされる。
この時代の3Dプリンタは源二の時代のものに比べてはるかに精細で、強度もしっかりしている。金属パーツの多くも今では3D出力されていると聞いて技術の発展を思い知ったものだ。
——やっぱ高級店だけあってプリンタもいいやつ使ってんな。
「食事処 げん」よりは前にオープンしているためか、源二が使用しているものよりは旧型ではあったが、同じベジミール社の上位モデルを使用している。
これなら使い慣れたプリンタと同じ感覚で使えるな、と思いつつ源二はマスターから調味用添加物を受け取った。
BMSの計量モードを呼び出す。
手にかかる重みを0.1グラム単位で計量してくれるこのモードは今の源二にとってありがたい。秤を使えばマスターが何を何グラム取り分けたか見て記憶することができるからだ。
脳内保存領域に保存されたレシピメモを呼び出す。前にヨシロウやニンベン屋に見せた時は「簡単には解読できない」と評価された手書きのメモは源二なら苦も無く読める。
ただ、レシピに記載された調味用添加物が全て揃っているわけではないので、そこは今ある添加物を微調整して味を整える。
初めはレシピ通りに調合しなければ思い通りの味は出せなかったが、調合に慣れた今は今までの経験からあるもので微調整することも可能。
数分で調合を終え、源二は添加物をフードプリンタにセットした。
「……え、これだけですか」
源二の動きを見守っていたマスターが驚いたような声を上げる。
「ええ、あとは普通にバタピーを出力するだけです」
そう言いながら、源二がフードプリンタを起動させる。
静かに動き出し、出力を始めるフードプリンタ。
数分も待たずに、皿の上には見慣れたバタピーがこんもりと山を作っていた。
「できましたよ」
フードプリンタからバタピーを取り出し、源二がにっこりと笑う。
「食べてみてください。ヨシロウ、お前も試食してくれ」
「え、いいのか?」
小皿に取り分けられたバタピーを差し出されたヨシロウが声を上げる。
「やっぱりここは複数人でジャッジしたほうがいいだろ。しかもお前は前に俺が作ったバタピーを食ってる。味の差くらい分かるだろ」
「なるほど」
じゃあ遠慮なく、とヨシロウがバタピーを受け取り、それから、
「あ、マスター、ダイキリ頼む」
と、ちゃっかりおかわりを要求した。
「おや、明るい未来を信じていらっしゃるようで」
マスターがにっこり笑ってそんなことを口にする。
「いいでしょう、今後の『ゴーストネオン』の未来を占うにもちょうどいい」
マスターが慣れた手つきでカクテルを抽出し、ヨシロウに差し出す。
「あんがと。さっき飲んだジョンコリンズがうまくてな。こりゃー制限いっぱい飲みたくなるわ」
「ったく、ヨシロウは……」
苦笑しながら源二もヨシロウの隣に座り、飲みかけのジントニックの隣に出力したバタピーを置く。
「では、実食タイムということで」
「あ、その前に」
いざ試食しよう、というタイミングでマスターは源二を止め、抽出マシンに向き直った。
いくつかボタンを押して一杯のカクテルを抽出する。
「吉か凶か——《《選ばせていただきます》》よ」
その瞬間、ピリッとした空気が店内を張り詰めさせる。
三人は無言でグラスの酒を一口のみ、それから出力したバタピーを口に運んだ。
「——っ!」
真っ先に声にならない声を上げたのはマスターだった。
ほんのわずかに苦味を含んだ濃厚な旨味と甘味。そこに交わる塩味。
噛み締めるとバタピー出力に使われた油分が旨味と甘味を纏って口の中に張り付いてくる。
フードプリンタが元の料理の食感をかなり精密に再現できるのは分かっている。その食感に、調味用添加物で味付けされたバタピーの味が纏わりつき、口に残っていたアルコールと合わさって複雑な旨みを醸し出していく。
たまらずマスターはもう一口酒を喉に流し込んだ。
これはまずい。このバタピー数粒で何杯でも飲めてしまう。
バタピーをつまみ、酒を飲む手が止まらない。
気がつけば、マスターの手元にある皿とグラスは空になっていた。
「あ……」
物足りなさそうにマスターが声を上げる。
「いやーうまいなこれ。簡易レシピでこれかよ」
源二の隣で、ヨシロウがバタピーを噛み締めながら幸せそうな顔をしている。
「うーん、でもやっぱり正式なレシピに比べて雑味は多いんだよな。だけど試食するには十分な出来だと思うぞ」
源二も自分で出力したバタピーを評価し、それからマスターを見た。
「どうです?」
「……ださい」
「え?」
ボソリ、と呟かれた言葉を源二が聞き返す。
すると、マスターは顔を真っ赤にして源二に空の皿を突き出した。
「おかわりください!」
「あ、落ちた」
顔が赤いのはアルコールのせいではないだろう。
まるで恥を忍ぶかのようなマスターの態度に、源二とヨシロウは顔を見合わせてくすりと笑った。
「……いやこれなんですか、アルコールにすごく合うんですけど」
再出力されたバタピーをつまみながらマスターがさらに出力したカクテルを飲み干す。
「マスター、制限」
「あと二杯いけます!」
心配する源二をよそに、マスターは完全に酒盛りモードに入っている。
「ゲンジ、これは出直したほうがよさそうだぞ」
流石に酔った勢いで契約はまずいだろ、とヨシロウが囁くと、源二もああ、と真顔で頷く。
「マスター、これで『食事処 げん』の味がお分かりに——」
「コラボする! コラボします!!」
源二の言葉を遮ってマスターが源二に詰め寄る。
「契約書はどこですか、もう今契約します!」
「マスター、落ち着いて」
流石にまずい、と源二がマスターを止める。
「ヨシロウ、悪い」
「ああ、流石に悪酔いしすぎだろこいつ」
源二の意図を汲み取り、ヨシロウが空中に指を走らせる。
あっさりとマスターのBMSに侵入し、ヨシロウは体内に注入されたナノマシンのステータスを確認、モードを「アルコール分解」に切り替えた。
「……」
瞬時にスン……と静まるマスター。
「……お騒がせしました。すみません」
アルコール分解モードのいいところは記憶がなくなる前に酔いを完全に醒ますことができる、というものである。
ヨシロウのハッキングで強制的に素面に戻されたマスターは恥ずかしそうに顔を赤らめながらもじもじと言い訳を始めた。
「すみません、私お酒が好きなので……。いつもは営業が終わってから飲むようにしているのですが、流石にこのバタピーを見ると止まらなくなって……」
「いやゲンジの飯を食えば大体の人間が即堕ち二コマするから……」
分かる、分かるよと頷くヨシロウに源二が「そこまで」と言いたげな顔をする。
「とにかく、確かに私はコラボしませんかとは言いましたが即答しろとは言いませんので。それに私が『食事処 げん』のレシピと手順を盗んだ詐欺師という可能性だって——」
「いや、貴方は本物の店主だと確信しています。先ほど『食事処 げん』のページにあるメニューは見ましたが、そこにバタピーはありませんでした。店に出ていない料理のレシピを盗むとは考えられませんし、貴方の調合の手つきは慣れていた。しかも本来のレシピで必要な調合添加物が揃っていないのにここまで調整できるのは本当に慣れている人間にしかできません」
「うわ、すげえ観察力」
料理屋の人間ってそんなに観察力あるのかよ、とヨシロウが考えていると、源二ははは、と笑って頷いた。
「確かに、おっしゃる通りですね。逆に言うとそれだけ素面の状態で確信しているのなら問題ないでしょう」
ただし、と源二が続ける。
「やっぱり即食いつくのは危険だと思うんですよ。とりあえずはコラボするという方向で今日のところは終わらせておいて、後日改めて——」
「私は契約するつもりですよ。このバタピーがあれば常連の皆さんを驚かせることができると思うんです」
早く、皆さんに味わってもらいたい、と続けるマスターに、源二はなるほどと頷いた。
このマスターは自分と同じだ。早く店に来る常連を喜ばせたいという気持ちは源二にもよく分かる。自分も「食事処 げん」を早くオープンさせるべく奔走したのだ。そう考えるとマスターの望み通りさっさとコラボの契約をしたほうがいいのかもしれない。
「分かりました」
笑いながら源二が頷いて見せる。
「まあ、契約書は改めて作らなければなんですけど、まずはバタピーを卸す感じでいいですかね?」
「ええ、とりあえずはそれで」
マスターも頷く。
同業者で、同じくこだわりを持つ人間同士だから分かる。ここで欲をかいてあのメニュー、このメニューと要求するのは失礼だ。それに、マスターは酒に合うつまみを出したいだけで料理で店を広げる気はない。
うまい酒とうまいつまみ、それだけでいい。
恐らく源二もその考えに共感してコラボを申し出てくれたのだと考え、マスターはよろしくお願いします、と頭を下げた。
「そういえば自己紹介が遅れましたね。私はこのバー、『ゴーストネオン』のマスターを務めるジョウジマ・サキトと申します。以後お見知り置きを」
「では改めまして。私は『食事処 げん』の山野辺源二です。お互い、頑張りましょう」
そう言い、源二が右手を差し出す。
その手をしっかりと握り返し、バー『ゴーストネオン』のマスター——サキトは期待に満ちた目で源二を見るのだった。




