第67話「確信は可能性と共に」
源二がジントニックを一口飲んでグラスをカウンターに置く。
「私が本物を再現した味覚投影オフのバタピーを提供する、貴方はそれを出す、どうです?」
「本物を再現したバタピー……」
信じられないといった面持ちのマスターに、源二が大きく頷く。
「私なら作れますよ」
「確かに、味覚投影オフの料理が出せるなら……」
このような手口で金を巻き上げる詐欺は多い。警戒するに越したことはない。
一応、相手は本当に味覚投影オフ料理を出す「食事処 げん」の店主ではある。しかし、それもまだ言葉でしか聞いていないので本当にそうなのか確かめるまでは疑った方がいい。それこそ「食事処 げん」を騙った詐欺師である可能性も否めない。
ふっ、と源二が表情を緩める。
「まあ、いくら私が『作れる』と言ってもそれを証明していないのだから疑うのも無理はありません——が」
そう言い、源二は鞄からいつも持ち歩いている試食品のクッキーを取り出した。
「まずは、味覚投影オフ、試してみませんか?」
ごくり、とマスターが唾を飲む。
味覚投影オフ料理は噂で聞いただけだ。まだ実際に食べたことはない。
それを試してみないかと言われ、断る理由はマスターにはなかった。
興味がないわけではない。むしろ興味だらけである。
できるなら突き出しのおつまみも実際に味わってもらいたいと思っているくらいである。
それなら……とマスターは源二からクッキーを受け取った。
個装に取り付けられたショップカードの表裏を丁寧に眺め、それから封を切ってクッキーを口に運ぶ。
サクッとしたいつものクッキーの食感が口の中でほぐれた後、口内で味が爆発した。
「——!」
こんがりと焼かれた小麦粉の香ばしい香りと砂糖の甘み、そこに混ざるバターの油分と塩分。
味覚投影でよく食べるのっぺりとした味ではない。クッキーを構築するとされる材料それぞれのうまみがほろほろと崩れるクッキーから広がっていく。
「……すごい」
マスターの口からこぼれた声はこれだけだった。
いつまでも口の中で余韻を残すクッキーの味に、言葉が出ない。
そのマスターの反応を、源二は満足そうに頷いて見ていた。
「私が本物の『食事処 げん』の店主かどうかはさておき、『げん』の味はお分かりいただけたでしょうか」
「……確かに……」
呆然としながらマスターが頷く。
このクッキーの味は本物だ。実はベジミールの新しい味覚投影プラグインのサンプルなのではと味覚投影を確認するが確かにオフラインになっている。いや、マスターには分かる。
これは本物の味覚に訴えかける食べ物だ。今食べているのはクッキーだが、もし、これがおつまみのバタピーになれば——。
マスターの心臓が早鐘を打つ。
「食事処 げん」とコラボすることができれば。理想の酒とつまみを客に提供できる。
まだ目の前の客を信じることができないが、信じてもいいのではという気持ちも浮かび上がって心が揺らぐ。
マスターが店内を見回す。店内には源二とヨシロウの二人しか客がいない。
元から賑わっているような店ではない。数少ない常連が時々来ているだけで、それで経営がやっとの状態。
常に満席になるような賑やかな店にしたいとは思っていなかったが、常連には喜んでもらいたい、と工夫を凝らしたこの店を少しでも長く続けたい、という気持ちはあった。
実は、この店の近くには競合店ともいうべきバーがある。そちらの方が出す酒の種類も多く、内装ももっと煌びやかなもので、高級志向の上流階級はそちらを好む。
伝え聞いた旧時代風の内装やカクテルを出すこの店もコアなファンが常連として来てくれるが、それでも限度はある。ぎりぎり赤字ではないがこのまま店を続けるのも苦しい状態。
仮に、ここで目の前の客が提案するコラボを行なえばどうなるか。
「食事処 げん」の名前は常連も口にするくらい有名だ。コラボできるとすれば願ったり叶ったりだ。
だが、そこでどうして、という考えも浮かぶ。
コラボするならもっと大きくて有名な店とするものだ。こんな場末と言ってもいいバーとコラボしたところで「食事処 げん」のメリットは思い浮かばない。
やはりこれは詐欺なのでは、とマスターは手にしていたショップカードに視線を落とした。
二次元コードを読み取ると「食事処 げん」のランディングページが表示される。
アドレスや署名を確認、それが偽物ではないことを確信し、マスターは改めて源二を見た。
「申し訳ありませんが、ここではいしましょうと即答することはできません。一度持ち帰ってもいいですか?」
「いいですよ。いきなり言われても信用できないでしょうし、だったら一度店に来ていただければと。そこで改めてお話ししてもいいんじゃないですか?」
源二のその言葉でマスターはほっとしたように頷いた。
「この街では疑うことも大切だとは分かってますよ。いきなりふらっと立ち寄った客に声をかけられて信じろと言う方が怪しいですから」
「いや、信じてもいいかもとは思うんです。少なくとも『食事処 げん』については。ただ、貴方が本当に店主さんであるという確信が持てないだけです」
目の前で実演でもしてくだされば話は別ですが、そうマスターがぼやくように言うと、源二はふっと笑みをこぼす。
「この店に調味用添加物は?」
「え?」
源二の言葉にマスターが声を上げる。
「調味用添加物があれば実演して見せますが?」
「ってか、カプセルちょっと余ってなかったか?」
源二とマスターの会話を黙って見ていたヨシロウが割り込む。
「いや、カプセルはもう調合済みだからな、クッキーと同じで俺以外が使っても同じ結果だよ」
「あー、そうか」
源二に指摘され、ヨシロウが納得して引き下がる。
「調味用添加物……一応ストックはありますが」
「何があります?」
ある、と聞いた瞬間、源二の目の色が変わった。
その視線に射抜かれ、マスターは「これは本気だ」と感じ取る。
源二は自分の目の前で実演してみせるつもりだ。別に自分が「食事処 げん」に行けばいいだけの話なのに体験するのは早い方がいい、とばかりに挑発している。
それなら全力で挑むだけだ。幸い、調味用添加物は基本と言われている塩化ナトリウムと砂糖以外に十種類ほどは用意している。
自分には使いこなせなかったが、源二なら使いこなしてくれる、そんな確信に、マスターは頷いて奥の棚に収納していた調味用添加物を取り出して源二の目の前に置いた。
「ふむ……。オレイン酸、アルギニン、アミノ酸……」
真剣なまなざしで調味用添加物のボトルを眺める源二、それを緊張の面持ちで見守るマスターとヨシロウ。
「……まさか」
できるのか、とヨシロウがかすれた声で呟く。
源二のことだ、今ある添加物だけで再現してしまうのか。
そのヨシロウの考えは的中した。
「完璧に再現するならもう少し欲しいところだが、それっぽいものは簡易的に作れそうだ」
「そうだったこいつそういう奴だった!!」
犬も歩けば棒に当たる、ということわざは確かにあるが、源二の場合は源二が歩けば幸運に当たる、と言うべきではないだろうか。
これは行き当たりばったりで面白い店に出くわしたと思ったら、マスターも面白い奴だから源二が気に入ったというパターンだ、ヨシロウはそう確信する。
そもそも源二が「コラボしよう」と声をかけたのも源二のBMSには既にバタピーのレシピが収録されているからだが、それはそれとして信頼を勝ち取るために目の前で実演しよう、というのは源二の通常営業である。源二はいつも目の前の相手に自分の手の内をさらけ出して黙らせてしまう。
今回もただ試食を渡すだけでは決定打にならないというのなら、と動いた。
兵は拙速を尊ぶ、なのか。源二にはこのマスターを味方に引き入れる確信があるというのか。
「……いいでしょう」
源二が作れそうと言ったことで、マスターもそれなら、と考えたらしい。
「『食事処 げん』のお手並み、拝見と行きましょうか」
マスターに促されてカウンターに入る源二を、ヨシロウは不安半分、確信半分の眼差しで見つめていた。




