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PREFER-TATION RUNNERS -嗜好と思考のコンフリクト-  作者: 蒼井 刹那
第6章「戦いの幕開け」
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第65話「可能性は消え去ることなく」

 打てる手を全て封じられたアビコとしてはこれ以上の交渉はただの無駄だった。

 ここで一旦手を引いて、後日源二も納得できる条件を用意して再交渉した方が確実性は高いだろう。

 だが、それでもアビコはここで引きたくない、と思ってしまった。

 なんとしてもここで源二をアジトモ社に引き入れたい、そんな思いがアビコを突き動かす。

 

「アジトモ社は『非日常』を提供する企業です。貴方の『日常』を否定しませんが、人間にはたまの『非日常』という刺激が必要だとは思いませんか」

「……っ」

 

 アビコの言葉に、源二は息を呑んだ。

 確かに「日常」は大切だ。日常があるから、人間は当たり前のように生きていく。

 だが、その刺激のない日常だけでは人間は退屈する。当たり前が当たり前になりすぎてただ惰性で生きていくことになる。

 そこで必要なのが「非日常」だ。

 

 ほんのひととき、当たり前ではない体験をする。その体験が後の日常を彩り、生きる活力になると源二は身をもって体験していた。

 社畜として変わり映えのない日々を送っていた源二がトーキョー・ギンザ・シティと変わったこの時代に飛ばされたのがそのいい証拠だ。

 

 今ではこの街での生活は当たり前となったが、迷い込んだ当初の自分を思い出し、苦笑する。

 

「……初心忘るべからず、か……。すっかり忘れてましたよ」

 

 苦笑まじりに呟く源二を、アビコは不思議そうな目で見る。

 

「そういえば、私も『食事処 げん』を始めたきっかけはまず味覚投影オフに驚いて、楽しんでもらいたかったな、って」

「ゲンジ……」

 

 源二の語りにヨシロウもはっとする。

 今では当たり前になってしまったこの日常、始まりは確かに非日常だ。

 非日常が舞い降りたからこそ、今の日常がある。

 その点では、アビコの言う「非日常」の必要性も痛いほど分かった。

 源二の言う「日常」もアビコの言う「非日常」もどちらも大切だ。

 そして源二も「非日常」の大切さを再確認した。

 これはもしかして、とヨシロウもアビコも考える。

 

 源二はアジトモ社にレシピを提供するのか、そんな思いが二人の胸をよぎる。

 だが、源二はにっこりと笑って首を振った。

 

「でも、やっぱりレシピの提供は今は無理ですね」

「どうしてですか」

 

 ここはレシピ提供に同意する流れだったのでは、と思いつつアビコが尋ねる。

 

「私に非日常の大切さを思い出させてくれたことには感謝しますが、それでもやっぱり交渉前にハッキング仕掛けてきたことを考えると、どうしても、ねえ……」

「くっ」

 

 ほら、そこは信頼の問題ですよ、と続ける源二にアビコは肩を落とした。

 元々はベジミール社を出し抜くためにハッキングを決断した。それ以前に他の企業がことごとく断られていたことを考えればアジトモ社も同じ流れになると判断し、アビコは先にハッキングでレシピを盗むことを決断した。

 この時点ではアジトモ社は「食事処 げん」に目を付けていたが味覚投影オフ料理にまだ懐疑的なものがあったため静観していたが、アビコは独断で動いた。

 

 それが裏目に出た。源二の側にここまで優秀なハッカーがいるとは思わなかったのが敗因だった。

 はあ、とため息をつきアビコが源二を見る。

 

「負けましたよ」

 

 アビコが素直に負けを認める。

 もし、独断でハッキングを指示していなければ源二はこの話を受けてくれたのだろうか、そう考えるが過ぎてしまったことはしかたながない。

 その一方で、源二は源二で多少の歩み寄りは考えていた。

 

「ですが、絶対にアジトモ社に協力しない、というわけではありませんよ。今までの状況からしてハッキングと言う手段を選んだあなた方の事情も分かりますから」

 

 源二としては最大限の、他の企業に対しても見せる最大限の譲歩。

 その言葉にアビコが驚いたような顔をした。

 

「私だってちやほやされたいんですよ。もう暫く今の状況を楽しんで、それから世界に広めてもいいじゃないですか」

「……それは、」

「私にだって最大限の利益を得る権利はあるってことです。最初の印象は最悪でしたが、今後の働きかけ次第では動きますよ」

 

 源二に言われてアビコも頷く。

 そうだ、焦ってはいけない。互いに最大限の信頼を結んで、それから気持ちよく商談を締結させるべきだ。

 

「分かりました」

 

 そう言い、アビコは空中を弾いて源二に一枚の電子カードを転送した。

 

「今回の報酬です。皆さんの反応が素晴らしかったので本社から報酬上乗せの指示が来ておりますので多めに包んでますよ」

「それはありがたい」

 

 源二が受け取ったのは電子小切手だった。ブロックチェーン技術やさまざまなシステムが組み込まれた、偽造も不渡も出せない、この時代ならではの信頼できる送金方法。

 電子小切手を受け取り、額面を確認した源二が立ち上がる。

 

「それでは、今回はこれで失礼します」

「あ、その前に」

 

 応接室を出ようとした源二にアビコが声をかける。

 

「もしよかったら、またコラボしませんか? 一般営業ではなく、こういった限定パーティーの場で」

 

 そう言われた源二がふっと笑みを浮かべる。

 

「考えておきますよ。ただし、条件は今回と同じかもう少し対策を考えた上で」

 

 源二の姿がドアの向こうに消える。

 それを見送り、アビコは大きくため息をついてソファの背に体を預けた。

 

「……一筋縄では行かない人でしたね……」

 

 交渉はほぼ決裂状態だったが、それでも完全に縁は切れていない。

 少しでも糸が繋がっているのなら可能性はある。

 そう考え、アビコはどうやって源二を引き込むか、と作戦を練り直すことにした。

 

 

 ◆◇◆  ◆◇◆

 

 

 

「送ってもらわなくてよかったのか?」

 

 高級ショップが並ぶ繁華街をぶらぶらと歩きながらヨシロウが隣を歩く源二に声をかける。

 

「いやー、こんな高級店がある所に来るなんてそうそうないだろ。インスピレーションが欲しいんだよ」

 

 物珍しそうにキョロキョロしながら源二が答える。

 普段よく歩く繁華街に比べてこの高級ショップが並ぶ通りは雰囲気が全然違った。

 派手な音や光で客を寄せるようなことはしない。静かで重厚な佇まいで「選ばれた人」を呼び寄せる。

 

 よくある繁華街にあるようなホロサイネージの喧騒も車のクラクションもなく、静かな街並みに源二は圧倒されつつあった。

 通りを歩く人間はあまりいない。店に用事のある人間は運転手付きの車で店の前に付け、直接店に入って行く。歩いているのはそんな車を用意できない上流階級の中でも下位に位置する人間や中流階級の人間、といったところか。

 

 そう考えると源二とヨシロウもどちらかというと中流階級——の中でも下に位置する方だろう、道を歩く他の人間に比べてややみすぼらしい雰囲気を漂わせていた。

 

「やっぱ浮いてるなあ……」

 

 もうちょっといい服買えばよかった、とぼやくヨシロウに源二が笑う。

 

「お前は何を着ても変わらん」

「はぁ? 馬子にも衣装って言うだろ! 俺だってちゃんとしたものを着たらそれなりに——」

 

 言い返すヨシロウ、だが源二はさらに笑って肘でヨシロウを小突く。

 

「取り繕っても人間性は変わらんよ。お前は等身大の自分でいてくれ」

 

 それが身の丈にあった生活なんだよ、と言いつつも源二は一軒の店に目を向ける。

 

「とは言ったが、せっかくここまで来たし臨時収入も入ったんだ、パーっと使ってくか?」

「酒飲みたい、酒」

 

 ヨシロウの即答に源二は呆れた目をヨシロウに向けた。

 

「しゃーねーな。まあ、俺もたまには飲みたい気分だし、ちょっと寄ってくか」

 

 源二が目を向けたのも小洒落た雰囲気のバーだった。

 そういえばトーキョー・ギンザ・シティに来てから真っ当な酒を飲んでないな、と思い出した源二はヨシロウの提案に乗ることにした。

 

「さて、未来の酒はどんな感じなんですかね——」

 

 源二がそう呟き、二人はバーの扉を開け、中に入っていった。

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