第64話「「非日常」を「日常」へ」
「シェフを呼んでくれ」
その一言が場の空気を一変させる。
「こんな素晴らしいシャトーブリアン、食べたことがない。これを出力したシェフと話がしたい」
そんな声が上がり、次の瞬間、そうだそうだとホールが沸いた。
「『食事処 げん』だって? どんな人か見てみたい」
ホール内は「シェフに会わせろ」の声で埋め尽くされる。
そうですね、と司会者も頷き、近くのスタッフに声をかけた。
頷き、厨房へと移動するスタッフ。
「シェフに会わせろ」という声は厨房にも届いていたため、源二は緊張の面持ちで出入り口に立っていた。
「あ、お気づきでしたか。是非とも皆さんにご挨拶を」
スタッフに促され、源二がホール内へ足を踏み入れる。
その瞬間、ホールを割るかのような拍手が響き渡る。
招待客に何度も会釈しながら源二はホールの正面に立った。
「あー……『食事処 げん』の店主をしています山野辺源二です」
その自己紹介だけで大きな拍手が巻き起こる。
「味覚投影オフのシャトーブリアンはいかがでしたか?」
「最高でした!」
「また食べたいです!」
そんな声がホールのそこここから上がり、源二はそこで安堵の息をついた。
「今回はシャトーブリアンを提供させていただきましたが、『食事処 げん』ではさまざまな味覚投影オフ料理を提供しております。他の料理が気になりましたら是非とも当店へ」
「あいつ、商売うめえなあ」
ホールの隅で源二を見守っていたヨシロウが苦笑する。
苦笑しつつも警戒は怠らない。
現時点ではハッキングの気配も源二を襲撃しようとする人間の気配もない。
それでもどこかで何かが動くのではないかという警戒は怠らず、ヨシロウは源二が挨拶を済ませ、厨房へ戻るのを見守った。
「お疲れさん」
戻ってきた源二に声をかける。
「まぁ、俺にとっての本番はここからだろうがな」
アジトモ社が、アビコがここで何もせず「お疲れ様でした」と源二を解放するはずがない。
この後必ず動く。その布石も打たれた。
さて、俺に勝ち目はありますかね、と呟きつつも源二は洗浄されていく皿に視線を投げた。
◆◇◆ ◆◇◆
「お疲れ様でした」
高級レストランの応接室でアビコが正面に座る源二に声をかけた。
「ありがとうございました」
源二も軽く会釈する。
「シャトーブリアンにして正解でしたね。皆さん絶賛でしたよ」
いやぁ、プリントフードがあそこまで美味しくなるとは、と続けつつアビコが源二を見据える。
「——招待客の皆様から『このシャトーブリアンをレギュラーメニューに入れてくれ』という要望が多数上がっております」
「でしょうね」
アビコの言葉に源二は「早速来た」と身構えた。
味覚投影オフの料理に魅了されれば「レギュラーメニューに加えろ」という声が上がるのは想定の範囲内だ。それを理解して源二は今回のパーティーに手を貸した。
うまくいけば富裕層の新規客が見込める。アジトモ社に手を貸したのだからそれくらいのうまみがあってもいい。
だが、源二はここでシャトーブリアンの調合添加物レシピを開示する気はなかった。
「もしよろしければ、当店にシャトーブリアンのレシピを提供いただけないでしょうか? もちろん報酬はお支払いいたしますが」
「お断りします」
キッパリと、源二が即答した。
「当店の味は基本的に門外不出です。今回は特別に料理を提供しましたが、それとレシピの提供は話が別です」
「これは手厳しい」
源二の言葉に、アビコが一歩下がるような発言をする。
交渉は駆け引き次第だ。押し引きのタイミングを誤れば得られる利益も得られない。
ここは一旦引いて、とアビコが考えたのを源二は察し、口を開いた。
「そもそも、アジトモ社には不信感がまだありますからね。その不信が拭えない限りは協力できません」
「不信、とは」
貼り付けたような笑顔を浮かべていたアビコが真顔になる。
まさか、といった面持ちのアビコに、源二の隣に座っていたヨシロウが空中に指を走らせて一枚の資料を呼び出した。
「あんた、ゲンジのBMSへのハッキングを依頼しただろ」
呼び出された資料はハッカーとの会話ログとハッカーが連絡した相手がアビコだというIDの同定結果。
ここでだらだらと話し合っても仕方ない、と源二とヨシロウは初手でこの証拠を出すことにしていた。
証拠を出されたアビコの表情が一瞬、強張ったものになる。
だが、アビコも交渉のプロといったところか、そこでボロを出すような真似はしない。
「この同定結果が偽造していない、という証明はないでしょうに」
ただの画像データならいくらでも改竄可能ですよ、と言わんばかりのアビコにヨシロウはニヤリと笑ってみせた。
「これ、生データなんだよなぁ……。ワタミヤさんよぉ、証拠は徹底的に消したほうがいいぜ? なんでこのサービスから退会しなかったんだ」
退会してたらログしか残らないし、ログの改竄は簡単にできるんだよなあと続けるヨシロウにアビコは一瞬だけぐぬ、と呻き声をあげた。
「なるほど、彼の脳を焼いたのは貴方ですか」
「それこそ証拠はあるんか? 状況証拠は証拠として不十分だぜ」
このハッキングに関してヨシロウは自分の方が有利だという確信があった。
踏み台の数や仕掛けたトラップ、ログの削除や改竄、その辺りに抜かりはない。
アビコが会話サービスから退会していなかったことを考慮すれば彼のハッキングに対する知識はそこまで高くない。
実際に、アビコは報復してきたハッカーがヨシロウだった、ということを今察したがこの判断と実際に脳を焼いたハッカーを同定する証拠はどこにもない。
「ハッカーに依頼するなら自分もある程度のハッキングの知識を身につけておくことだな。ちなみに俺は金さえ積まれれば依頼を受けるぜ?」
ちゃっかり営業するヨシロウに、源二が隣で苦笑する。
ヨシロウほどの腕のハッカーならそこまで必死に営業せずとも依頼は来る。正体を隠していたとしても見つけ出すルートはいくつも用意している。
ここでヨシロウが自分をハッカーだと晒すのは危険な行為ではあったが、ヨシロウが普段のハッキングの証拠を完全に消しているのならあくまでも「自称ハッカー」というだけで警察組織もヨシロウを逮捕することはできない。
それなら、とアビコは源二を見ながら一つの提案を出す。
「報酬は弾みますからヤマノベ氏のレシピをハッキングで盗んでください、と言えば?」
「断る」
これまた即答だった。
「多分、あんたが想定してる金額じゃ俺は動かないぜ? それ以上の『報酬』を俺はゲンジから受け取ってるからな」
「ヤマノベ氏に関しては金では動かない、ということですか」
「そういうことだ」
ふん、と鼻先で笑うヨシロウに源二は「相変わらずだなあ」と思いつつも心強さを感じていた。
「それ以上の『報酬』」が何か気になるところではあるが、少なくとも今のヨシロウは裏切らない。それだけでこの場にいるプレッシャーが格段に減る。
一方で、アビコは自分の失策に気が付いていた。
ここでヨシロウに交渉を持ちかけたのはまずかった。アビコが源二のレシピを狙っていることは完全に開示されてしまったことになる。
こうなると正攻法で交渉するしかアビコには手段が残されていなかった。
「アジトモ社にレシピを提供する気はない、ということですか」
「条件が合わなければ」
源二はアビコに歩み寄る余地はあるぞ、とアピールする。
源二も完全に調合添加物を自分のものだけにするつもりはない。いずれは開示するつもりはある。
だが、現時点ではどの企業も時期尚早だと判断しただけだ。
「ヤマノベ氏も見たでしょう、このレストランとシャトーブリアンを食べた招待客の反応を。私はこの店に来る客に『非日常』を感じて欲しいのです」
「私は自分の料理を『日常』にしてもらいたいんですよ」
真正面からぶつかるアビコと源二の思想。
「私は自分の料理が多くの人に、当たり前に楽しめるようになって欲しいのですよ。ごく一部の人間が特別なものとして味わえるものであってはいけない」
「しかし、『特別』を演じることで莫大な利益が生み出せるんですよ?」
「それを、私は望んでいないのです」
きっぱりと、源二が言い切る。
「今の私の料理は確かに非日常ですが、それを日常にするべく『食事処 げん』を営業しています。それを邪魔するなら、メガコープが相手でも私は戦いますよ」
明らかな源二の宣戦布告。
その言葉に、ヨシロウも身が引き締まる思いになった。
源二は戦う覚悟を決めた。それなら自分も戦うまでだ。
源二が自分の料理を「日常」にしたいというならその手伝いをするまで。
さあどう出る? とヨシロウは真っ直ぐアビコを見据えた。




