第62話「敵地での戦い」
アジトモ社のオファーに対し、源二は「料理は一切残さない、食べ終えた皿も即座に洗浄すること」を条件に出した。
この条件ならパーティーで料理をふるまうこともやぶさかではない、と返答するとアジトモ社は意外にもあっさりとその条件を呑み、「ぜひとも頼みます」と返してきた。
「なんかあっさり通ったな」
メールの返信を見たヨシロウが拍子抜けしたように呟く。
「皿の洗浄はタイミングを見てとか言われると思ったんだがなあ……」
同じく拍子抜けした源二も首をかしげている。
「それとも、ハッカーの雇い主の方が一枚上手でアジトモを踏み台にしてたとか?」
「それはない——と言いたいが、断言はできないな。一応、ハッカーと接触した終端がアジトモの……いや待てよ」
記憶の糸を辿ったヨシロウが何かに気付いたかBMSの記憶領域にアクセスする。
自分のハッキングログを漁り、先日脳を焼いたハッカーから引き抜いた会話ログを呼び出す。
本来なら一定時間が経過すれば自動的に消去される会話ログではあったが、こうやってテキストデータとして抽出してしまえば半永久的に残される。
「うーわ、こういう当たってほしくない予想に限って当たるな」
「どうしたんだ?」
ウィンドウの共有は行われていないので源二にはヨシロウが何を見ているのかは分からない。
だが、先ほどの言葉からヨシロウには今回のパーティー参加を打診してきた人物に心当たりがあるのだろう、ということだけは分かった。
口ではどうしたんだ、と尋ねつつも源二も一つの可能性に行き当たる。
——まさか。
その可能性を口にしようとしたところで、ヨシロウが先に答えを開示した。
「今回打診してきたのはワタミヤ・アビコだったな。多分こいつ、ハッカーにお前のBMSへのハッキングを依頼したやつだわ」
「やっぱり」
当たってほしくない予想ほど当たるもの。
ワタミヤ・アビコなる人物は何としても源二のBMSにあるレシピを手に入れたいということだろうか。
「ってことは成分分析じゃなくて調理している俺にもう一回ハッキングを仕掛けるつもりか」
「流石にそれはないだろ。一度ハッキングに失敗して、こちら側には脳を焼けるハッカーがいると分かってるんだ。対策されるとは分かってるだろうしこっちだって対策くらいする」
ヨシロウが保存した会話ログでは全くの別名ではあったが、そこから辿ったBMSのIDは確かにメールを送ってきたアビコと同一のものだった。ここから繋がる枝もなく、ルートの終端がアビコであることは明白。
ハッキングを依頼した奴が直接打診してくるとはなかなか太いな、と思いつつもヨシロウはどうする、と確認した。
「どうするもこうするもここまで来たら行くしかない。それに、BMS周りはヨシロウが対策してくれるんだろ?」
「ああ、任せてくれ」
どうあっても源二はオファーを受けるだろうから、とヨシロウはもう準備を進めている。
源二もそれが分かっているから多少無茶はしてもヨシロウの手に負えないようなことはしない。
「——じゃ、俺は行く、ということで」
「まあ、俺もアシスタントとして行くがな」
別に源二一人で行かせてもいいが、それだと対策が不十分である。それこそアジトモ社の人間が源二を取り囲んで監禁でもすればヨシロウは手も足も出ない。
だが、そこにヨシロウがアシスタントという形でついていけばセキュリティ面でも戦力面でも安心できる。ヨシロウのハッキング能力をフルに活用すれば囲まれたところで全方位に無差別PASSを発信すれば無力化できる。
決まりだな、とヨシロウが源二にメールを返す。
オファーを受ける旨の返信を入力する源二を、ヨシロウは大きな不安を抱えることもなく見守っていた。
◆◇◆ ◆◇◆
「うわあ……」
パーティー当日、迎えに来た空中機動リムジンに乗ってアジトモ社の高級レストランに連れてこられた源二は思わず声を上げるしかできなかった。
豪奢な装飾が施された店内は一歩踏み込んだだけで外界とは隔絶され、全く別の世界を作り出している。
完全な非日常、日常では味わえない特別な空気、そんな印象に源二はぶるりと武者震いした。
「おい、ビビってんじゃねえよ」
源二の隣に立ったヨシロウもわずかに声が震えている。
こんな豪華な空間、生まれてこのかた踏み込んだことがない。源二がいなければこんな場所に近寄ることすらなかった。
上流階級の人間はこんなところで飯を食うのか、と思いつつもヨシロウはそれでも、と考えを巡らせた。
この高級レストランは確かに高級だが「最上級」ではない。
最上級のレストランは本物の食材を使った料理が供されるがこの店はそれよりランクが落ちるため出てくるのはプリントフード。
それでもベジミール社の高精細フードプリンタを使用していると謳っているだけあって出される料理の見た目が美しいというのは事前調査によって得た情報だった。
そんな高級レストランで開催されるパーティーの、それもメインディッシュを源二は依頼されていた。
アビコから事前にメニューが送られ、その中から一つ選んでくれ、と言われて源二が選択したのはフィレ肉のステーキ。メインディッシュとしては申し分なく、見た目でも味でも参加者を満足させる一品だと源二は確信していた。
メニューを決めてからは実際の味を再現するべく調味用添加物の調合実験が行われ、アビコにも確認済みである。
ほんの一口味見しただけだったが、その時のアビコの反応から源二は調合の成功を確信した。
あとは当日、参加者がどれだけ満足するか、である。
「よくお越しくださいました」
厨房に案内された源二は、そこでアビコと改めて対面した。
ふっくらとした体形の、温和な顔つきの男。
だがその目の奥には昏い炎が燃えており、源二が隙を見せればいつでも食らいつく、と言わんばかりの雰囲気を漂わせている。
前に会ったのは実際に味を確認してもらった時で、それもほんのわずかな時間だった。それでも源二は「やっぱりこいつは苦手だな」と漠然と考えていた。
「まさかこんな素晴らしい場所で料理が出せるとは思いませんでしたよ」
そう言い、差し出された手を握る源二は隙を見せることなく周囲に注意を払っている。
《ざっくりチェックしたが怪しいものはなさそうだな》
ヨシロウからウィスパーが届く。
分かった、と応え、源二は厨房に置かれたフードプリンタを見た。
「打合せ通り、メインディッシュを作らせていただきます。事前にお知らせしたとおり廃棄はなし、食器もすぐ洗浄する、で大丈夫ですか」
「ええ、大丈夫ですよ。ヤマノベさんの門外不出のレシピを守りたいという気持ちはよく分かりますので」
このアビコの言葉には源二も閉口せざるを得なかった。
アビコは完全に源二の意図を把握している。把握したうえでレシピを盗む隙を狙っている。
今回、源二はハッキング対策としていくつかの手段を講じていた。
一つはBMSのオフライン。
オフラインにしてしまうとオンラインのレシピ閲覧はできなくなるが、今回作る料理は決まっている。
グローバルネットワークに接続せず、あらかじめダウンロードしておいたレシピをフードプリンタとの直接通信で接続して出力すれば問題ない。調味用添加物はあらかじめ調合を済ませ、必要数のみカプセルにしてフードプリンタに投入するようにしているためカプセルそのものを盗まれない限りアビコが調合添加物のレシピを知ることはできない。
ただ、それだと何かあった時にヨシロウと秘匿会話ができないためヨシロウとの間だけローカルネットワークを構築してウィスパーのみ使えるようにしている。
これだと源二のBMSはネットワークに接続されていないためアクセスすることはできず、唯一接続されているヨシロウのBMSを経由するしかない。
当然、ヨシロウのBMSはセキュリティの塊なのでハッキングすることは困難を極めるし、ヨシロウ本人もハッカーなのでハッキングされればすぐに分かる、というわけだ。
そんな源二のハッキング対策に気付いているのか。
アビコは落ち着いた様子で厨房の設備を軽く説明し、「それでは」と源二を見た。
「出力に関しては事前に打ち合わせたとおりのタイミングでお願いします。それまでは他のメニュー出力を手伝っていただければと」
「分かりました。お任せください」
私は他に用事がありますので、と厨房を出ようとしたアビコが一瞬だけ源二を見る。
その視線を源二も真っすぐ受け止める。
ほんの一瞬だけ二人の間で散る火花。
アビコを見送り、源二とヨシロウは「さて、どう動く?」とアビコの次の動きを予想しようとした。




