第61話「ささやかなオンリーワン」
「スミさん、ちょうどいいところに!」
入ってきたカスミに、源二がこっちへ、と手招きする。
ピークタイムが過ぎ、ちょうど客足も途切れているタイミングだったため店内には源二とヨシロウしかいない。
普段なら「いらっしゃい」と言うだけで特に深く関わってこない源二がぐいぐいと来ることに戸惑いつつもカスミは案内されるがままに席に着いた。
「どうした、タイショー。いつもならここまで積極的じゃないのに」
不思議そうな顔でカスミが源二に尋ねる。
カスミはいかつい見た目の割には繊細なところがあり、積極的に源二や他の客と話すことはない。自分が必要だと思われたときには会話に参加するが、そうでないときは隅の席でひっそり食事をする程度である。
源二もそれが分かっているから普段は積極的に声をかけてこないが、顔を見た瞬間「ちょうどいいところに」と言ってきたことでこれは何か、自分が力になれそうな出来事が発生したな、と判断する。
「どうした、どこかの企業が宣戦布告してきたのか?」
「うーん、厳密には違うが似たような状態かな」
そう言い、源二は先ほど受け取ったアジトモ社員からのメールの話をざっくりと説明した。
「——ふむ」
話を聞いたカスミがなるほど、と頷く。
「そうか、アジトモも水面下で動いてたのか……」
「そうそう、そんなわけでパーティーで料理作ってくれって言われたが絶対成分分析するだろって思ったってところだよ」
源二の説明にカスミが再びなるほど、と頷く。
「アジトモが『げん』の料理を盗みたいと思ったらそりゃー成分分析するとは俺も思う。だがアジトモにサンプルさえ渡さなければ防げるんじゃないのか?」
カスミが源二に言われて真っ先に思った疑問を口にする。
成分分析はサンプルを様々な試薬を利用し、その反応から使用添加物の成分と量を計測するものだという認識は一応ある。そう考えると残り物などをサンプルとして提供しなければ防げるはず、というのがカスミの見解である。そこに自分が割り込む余地などないように思うが、源二は何か引っかかることがあるのだろうか。
それな、と源二がカスミを見る。
「義体の味覚センサーがどんな感じに味を分析してるのか気になって」
「あー……」
源二に言われて合点した。
源二は味覚センサーも味を構成する物質を正確に読み取ることができるのか気にしているのだ。
そうと分かれば話は早かった。
カスミがBMSを操作し、味覚センサーの分析画面を呼び出す。
それを源二とヨシロウに向かって弾いて共有した。
「で、牛丼は」
「はいよ」
タイミングよく、カスミの前に牛丼のどんぶりが置かれる。
カスミが入店してオーダーしたのを即座に出力開始していたからだが、その源二の手際の良さに感心しつつ一口食べる。
その瞬間、分析画面に変化が起こった。
表示されたのは五角形のレーダーチャート。
それぞれの項目は甘味、酸味といった五つの味覚が設定されており、カスミが牛丼を食べるたびにその多角形グラフが細かく変動していく。
白米部分を食べれば甘味と旨味が強めに反応し、牛肉の部分を食べれば塩味が追加で反応する——といったグラフの動きに、源二とヨシロウは同時にへぇ、と声を上げた。
「うわ、これ便利だな」
「こうやって視覚化すると色んな味が絡み合ってゲンジの味を作り出してるのか……」
刻一刻と変わるグラフは見ていて飽きない。
が、すぐに我に返って二人はなるほどとカスミを見た。
「ということはこのレーダーチャートを元にBMSが味を認識してる、ってこと?」
源二がカスミに尋ねると、カスミはああ、と頷いて水を飲んだ。
「味覚センサーはあくまでも五つの味の構造を視覚化するだけだ。だから何をどう使ってこの味を作ってるか俺には分からん」
「なるほど……」
今度は源二がなるほど、と呟く。
「ってことはアジトモが味覚センサー搭載の義体を持ち出してもすぐには成分は割り出せなさそうだな」
「だが、アジトモの最高級レストランは本物食材を使った料理を出してるぞ。同じ料理をリクエストされればそれをサンプルに再現——」
「それができたらとうの昔にしてるよ。向こうとしては本物の食材からサンプルを抽出するんじゃなくて俺の料理に使われた添加物を知りたいだけだと思う。というよりも本物と添加物の違いが分からないのかも」
ヨシロウの疑問を源二がバッサリと切り捨てる。
アジトモが本物の食材を使った料理を出す能力がある、と知った時点で源二はこの可能性はない、と判断していた。本物の味が分かっているならそこから調味用添加物を調合すればいいだけなのに、それをしないのはこの二つを紐づける概念がアジトモには存在しないからだ。本物の食材と調味用添加物は全く別のものとして認識されているなら源二には好都合だった。
そこへきての「味覚センサーはその味を構築する成分まで分析できない」である。サンプルさえ完全に封じてしまえばアジトモが調合添加物を再現することはできなくなる。
源二としてはそこまでの執念があるなら、と思わないでもないが姑息な手段を使うような組織に姑息なことで抜け駆けされたくない。調合添加物を合法的に使いたいなら筋を通せ、という話である。
白鴉組の影響受けたかな、と思いつつも源二はそれなら、と呟いた。
「アジトモのオファーは受けてもいいな。条件として出した料理のお残し禁止、使った皿も下げたら即洗浄を認めてくれるならでいける」
「それでも多少はサンプルが流れることを覚悟しとけよ」
念のために発生するリスクだけは確認しておこう、とヨシロウが一言添える。
「まぁ、それくらいのリスクは負わないとな。虎穴に入らずんば、だ」
「ん、俺のおかげで話がまとまった感じだな」
それならよかった、と牛丼に向き直ったカスミが「やっぱうめえなあ」と呟き始める。
そんなカスミの前に、源二はそっと小皿を差し出した。
「ん?」
差し出された小皿に視線を投げるカスミ。
「最近やっと再現できたやつ。牛丼に少し乗せてみな」
そう言う源二の目が笑っている。
小皿の上には赤く染まった、細切りにした何かが乗っていた。
なんだこれ、とカスミが源二を見ると、源二はにっこりと笑って説明する。
「紅ショウガだよ。なかなかうまく味付けできなかったんだがやーっと調合がうまくいって。まぁ牛丼と言えば紅ショウガって派閥とそんなんいらん、って派閥があるから万人にお勧めはできないが試してくれ」
「へえ、紅ショウガ」
興味津々でカスミが紅ショウガを牛丼に乗せる。
茶色一色に染まっていた丼に赤みが足され、それを見た瞬間、カスミはえも言えぬ感覚に襲われた。
ないはずの胃が収縮するような、口の中がぎゅっと痛むような、不思議な感覚が全身を駆け巡る。
まるで失ったはずの肉体がこの食べ物を求めているような感覚。
我慢できず、カスミは紅ショウガを乗せた牛丼を口に運んだ。
食べ慣れた牛丼の味にぎゅっと引き締まった強い塩味が混ざり、味覚センサーを刺激する。
レーダーチャートの塩味が一気に引き上げられるが、同時に辛みも変動し、全体的にシャープな図形が描かれる。
データの上では「塩辛い」はずなのに感じる味は牛丼の甘みも強く際立ち、心地よいぬるま湯の温泉が一気に深い底なし沼へと変貌しカスミを引きずり込むような錯覚さえ覚えてしまう。
いつもならしっかり味わって食べる牛丼を、カスミはものすごい勢いでかき込んだ。
「なんだこれ、紅ショウガを少し乗せただけで全然違うぞ!?」
興奮して牛丼をかき込みながらカスミが声を上げる。
「だろ? 好き嫌いは分かれるんだが、スミさんならきっとハマると思って」
「スミさんなら」という言葉にカスミの胸が熱くなる。
客なんて一人一人に気をかけるものではないだろうに、源二は常連一人一人、いや、新しく来た客ですら特別に扱う。
まるで目の前の客全てがオンリーワンの特別であるかのような対応に、カスミは自分が「人間」として扱われている実感を覚えていた。
たとえ義体でも食事を楽しむならそれは人間だ、そう言った源二を思い出す。
「タイショーにとって、客一人一人が大切なんだな」
ぼそり、と呟いたカスミに源二が「当たり前だろ」と苦笑する。
「俺は客一人一人に自分の特別を味わってもらいたいの。元は大量生産のものでもちょっと工夫すればオンリーワンになるんだよ!」
そうだ、源二は客一人一人特別に扱ってもその大元を辿ればすべて同じものになる。
客に合わせてほんの少しだけ流れを変えただけで特別を作り上げてしまう。
これならきっとアジトモ社のパーティーに参加しても他の料理に負けないはず。
元から源二の料理に負ける余地はなかったが、何よりも素晴らしいものができるはずだ、そう確信し、カスミはそれにほんの少しながらも力になれたことに誇りを感じた。




