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PREFER-TATION RUNNERS -嗜好と思考のコンフリクト-  作者: 蒼井 刹那
第5章「向けられた牙」
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第58話「波紋はさざ波のように」

「じゃ、行ってくる」

「ああ、また夜にな」


 いつものように店へ向かう源二を見送り、ヨシロウがさて、と呟く。


「俺も出かけますかね」


 そう独り言ち、ジャケットを羽織ったヨシロウは家の中のセキュリティシステムをざっくり確認し、靴を履いた。

 外に出るとまだ午前なのにじっとりとした熱が空気中に漂い始めているが、気温が上がったとしてもきちんと対策していれば熱中症にならない程度なので気にせず歩き出す。


 地下鉄(トーキョー・メトロ)で移動し、降りた先はトーキョー・ギンザ・シティの中でも比較的静かな郊外。

 どちらかと言うと高級住宅地になっている地区に降り立ち、ヨシロウはさらに歩き出した。


 地価の高騰で多くの市民は高層集合住宅に暮らしているが、この地区は高くても三階程度の、それも一軒家ばかり。都心部の高層住宅は階層によって家賃が変わるが今の時代は中層階が最も人気かつ高額であり、高層階は逆に貧困層向けの物件となっている。


 これに関しては以前源二が「へえ、高層階が貧困層向けとは意外だな」とぼやいていた。話を聞くと高層マンションは高層階ほど高価で富裕層向けだった、ということだがヨシロウにとってそれは逆に意外過ぎた。


 今や五十階超えですら低層マンションとも言われているトーキョー・ギンザ・シティのマンション群は高層階ほど作りが脆い。建物全体を支えるために軽量化も図られ、壁は薄く上下に足音が響きやすい。また、高層階に行くほど日差しを遮るものが無くなり室温が上昇しやすいことに加えて地上に比べて風が強い。大陸プレートのひずみによる地震の被害を最低限にするために定期的に行われるプレート調整で小規模ながらも地震を起こすとそれだけで高層階は大きく揺れる。それ以外にも地上に出るのに時間がかかる、火災が発生した時に逃げ場がないなど、そういった理由で富裕層は高層階を避け、セキュリティ面でも安全面でも有利な中層階を選ぶようになっていた。


 源二の時代では人気が高く、富の象徴ともされた高層階は今や健康被害が出てもいいから安く部屋を借りたい貧困層のものとなっている。


 そんな人気の中層階に輪をかけて人気なのが一戸建てだ。

 限られた土地の一部を自分のものにし、そこに自分だけの家を建てる。それは富裕層の中でも特に「選ばれた」人間しか購入できないこと。ヨシロウから見れば高級住宅街の一戸建てはただただ感心するしかできなかった。


 すべての家が高い塀で囲われ、防犯カメラで不審者が来ないか監視している。マップアプリの航空写真で見ればこの辺りの家には広い庭とプールがあり、富裕層の道楽はすごいな、と思ってしまう。

 その高級住宅街の一つが今回のヨシロウの目的地。


 周りに比べて堅牢な作りの門を前に、ヨシロウは大きく息をついてインターホンを鳴らした。


『誰だ?』


 インターホン越しに聞こえる声はドスの効いたもの。

 それに臆せず、ヨシロウは名乗りを上げる。


「イナバだ。ハクア殿に話があってきた」

『なんだイナバか。お前がここに来るの珍しいな』


 カメラ越しにヨシロウを確認したか、インターホンの向こうの男は安心したような声を上げる。


『ロック解除したから入ってこい。オヤジにも伝えとく』


 その言葉と同時に門扉のロックが外れ、重々しい音を立てて門が開いていく。

 人一人通れるくらいに開いた門を潜り抜け、和風テイスト漂う庭を抜けると重々しい雰囲気の建物が姿を見せた。

 玄関の前に立つとすぐに扉が開き、いかつい男が姿を見せる。


「おー、ご苦労さん」

「お前が来たと聞いてオヤジが喜んでたぞ。『食事処 げん』の話を聞きたいらしい」


 案内される間にそんなやり取りを済ませ、ヨシロウは応接室に足を踏み入れた。

 黒光りする本革のソファに腰を下ろして少し待つと、数人の護衛を連れてチハヤが応接室に入ってくる。

 ヨシロウの向かいに腰を下ろし、チハヤはじろり、とヨシロウを見た。


「イナバがここに来るのは珍しいですね」

「それだけの要件があったってことですよ」


 チハヤが「食事処 げん」の話をしたがっていることは分かっている。

 どこまで源二の状況を把握しているかは分からないが、それでもここしばらくの出来事、特に源二がハッキングされかけたことは報告しておきたい。


「オヤジ、ゲンジは狙われている——それも複数の企業に」

「やはり」


 単刀直入なヨシロウの言葉に動じることもなく、チハヤは小さく頷いた。


「ベジミールが接触した、それに関してヤマノベが拒否をした、となれば他の企業が動くのは当然のことですか」

「あと、推定ですがビッグ・テックも暗躍している可能性があります。依頼者不明のスパイを拾いましてね。現在当たり障りのない情報を与えつつスパイとして利用しています」


 ヨシロウがそう言うと、チハヤはほほう、と興味深そうに笑った。


「イナバらしくないですね。そういう手合いはいつもなら消しているでしょうに」

「ゲンジに殺すなと言われましてね。まあ、ゲンジのBMSをハッキングした奴は見せしめも兼ねて消しましたが」

「しかし、食品系企業が動くならまだしもビッグ・テックが動くとは不思議なこともありますね」


 チハヤもビッグ・テック社がゲンジを狙っていることに疑問を持ったらしい。


「こちらはヤマノベの出自に関して興味を持っているということですかね。私としてはヤマノベが過去の人間とは未だに信じがたいものですが」

「それに関してはビッグ・テックは比較的ゲンジに協力的なので警戒はしなくても大丈夫でしょう。だが、食品系企業はゲンジの調合添加物を巡って動いています」

「——で、しびれを切らした企業がレシピを奪おうとハッキングした、と」


 はい、とヨシロウが頷く。


「ハッキングに関しては俺が食い止めますが、今後企業が実力行使することも考えられます。なので白鴉組にもちょーっと動いてもらいたくて」


 提示する情報はこれくらいでいいだろう、とヨシロウは本題に切り込んだ。


「ハッキングをすればこちら側にも脳を焼けるレベルのハッカーがいると警告しました。そうなると企業軍が動く可能性がありますからね」

「——ふむ」


 チハヤが低く唸る。

 考えを読ませぬ目で考え込むチハヤを、ヨシロウは固唾を飲んで見守る。


「それはヤマノベと話し合った結論ですか」

「え」


 チハヤが発した言葉はヨシロウが予想すらしていなかったものだった。


白鴉組(我々)に動いてもらいたいというのはヤマノベと話し合って決めたことですか。それとも貴方の独断ですか」


 チハヤの鋭い視線がヨシロウを射抜く。

 視線に射抜かれ、ヨシロウはほんの一瞬だけ息を止めた。

 独断かと訊かれればそれはイエスだ。

 元々、「食事処 げん」は白鴉組の庇護下にある。みかじめ料を払う代わりに月一で店を貸し切りにし、白鴉組の構成員のために料理を提供している。


 その範疇を超えてヨシロウは白鴉組の協力を仰いだ。自分一人の力では巨大複合企業(メガコープ)が所有軍を動かした場合守り切ることはできない。白鴉組もどこまで手を貸してくれるか分からない。


 ここでさらなる協力を仰ぐということは同時に源二や「食事処 げん」もより深く裏社会に食い込むことになる。

 ヨシロウとしてはそれは不本意だったが、源二を守るためにはこれくらいのリスクは負わなければいけない、と考えていた。


 源二に相談しなかったのは源二なら「そこまでしなくても」と言うに決まっている、という思いからだったが、そこまでしなければいけないほどメガコープの力というものは大きかった。

 いくら源二の料理が唯一無二であったとしても企業の暴力の前には敵わない。あっという間に喰われて企業の糧になるだけだ。


 それは嫌だ、というのがヨシロウの本音だ。源二はもっと自由であるべきだ、源二の料理はこの企業社会の中で確かに輝く自由だと、信じたかった。


「俺の独断ですよ。ゲンジはまだトーキョー・ギンザ・シティの本当の恐ろしさを知らない」

「分かりますよ。ヤマノベは純粋すぎる」


 苦笑し、チハヤも同意する。


「いいですよ」


 その返答は意外にもあっさりしたものだった。


「いいんですか?」


 思わずヨシロウが訊き返す。


「ヤマノベの料理は特別ですからね。月一の会食で組員の士気も上がってきましたし、『食事処 げん』ができてからあの地区のトラブルは激減しましたからね。たかが料理と思っていましたが料理の力は恐ろしいものですよ」


 そう言い、チハヤは大きく頷いて見せた。


「トーキョー・ギンザ・シティの治安のためにもヤマノベの料理は必要不可欠です。企業が吸い上げて富裕層ばかりがうまい汁を吸える状態にしてはいけない。白鴉組は全面的に協力しますよ」

「ありがとうございます」


 チハヤがそう言うなら心強い。

 同時に、チハヤがあっさりと同意してくれるほど、源二の料理が人々を動かしていた事実に驚愕する。

 これは確かに企業が欲しがってもおかしくない。

 そんな源二の料理の魔力を改めて思い知り、ヨシロウは「絶対に守らないとな」と改めて誓うのだった。

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