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PREFER-TATION RUNNERS -嗜好と思考のコンフリクト-  作者: 蒼井 刹那
第5章「向けられた牙」
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第55話「都市社会の厳しさ」

 アクセス元は一台のPCだったが、それなりの性能を持っているとはいえノイマン式コンピュータ、量子コンピュータを使っているヨシロウの敵ではない。

 ファイアウォールをすり抜け、OS内部に侵入する。


 不正なアクセスがあれば即座に警告を鳴らし防御用のウィルスを展開する炎の壁(ファイアウォール)も量子コンピュータの演算能力とヨシロウの緻密なプログラム制御の前には何の役にも立たない。


 I.C.E.(アイス)くらい用意しやがれってんだ、と思いつつヨシロウはハッカーのアクセスログに接触した。


——ビンゴ。こいつで間違いない。


 量子コンピュータが使えるならその演算能力にものを言わせてPC間のあり得ない跳躍を行うことも可能。量子もつれ(エンタングルメント)を利用した量子テレポーテーションの応用で量子コンピュータ間を大規模跳躍、その際に跳躍ログも消すことで完全に痕跡を消すことができるがそもそもの話量子コンピュータを所持していなければお話にならない。


 その点ではヨシロウより格下のこのハッカーに逃げ道は残されていなかった。

 PCとのペアリングを確認し、一つのBMSを特定する。ハッカーの互助ネットワークで他のハッカーの踏み台に使われている形跡はあったが、それでもPCのユーザはたった一人である。


 PCから相手のBMSに飛び移り、侵入のためにセキュリティに接触する。

 BMSは脳という人間の生存に欠かせないパーツを利用しているためPCのファイアウォールよりは強固な防壁が展開されている。Intrusion(I.) | Countermeasure《C.》 |Electronics《E.》と呼ばれる攻性防壁ほどではないが、駆け出しのハッカー程度には破れないほどのセキュリティを備えておかなければそれこそBMSの生体ストレージに保管されたデータや記憶の盗難や改竄、果てはBMSの脳内ネットワークを構築するナノマシンを暴走させることが簡単にできてしまう。


 実際、先ほど源二が侵入されかけたのは本当に危なかった。調合添加物のレシピを盗むだけならまだしも、ナノマシンを暴走させられていれば今頃源二はB・ドックではなく病院の霊安室にいたはずである。


 セキュリティの種類を特定すべく、ヨシロウがホロキーボードに指を走らせコマンドを入力していく。

 視界に移るターミナルウィンドウに文字が流れていく。

 

 


[Q-Terminal v9.3.2 :: BOTRABBIT@GHOSTFANG]

 


>>probe --target "CON://81a2.f0e9.79c1/21.5s-valid#vx-004" --port-scan --fingerprint

 


[+] Initiating probe sequence...

[+] Routing through relay nodes... success

[+] Target firewall detected: Model VX-Prime (v3.4.1)

[+] Passive fingerprint match: FractalBarrier-Lite

 

 


「ふーむ、中央演算ネットワーク(CON)経由のオンライン同期ファイアウォール——有効時間は21.5秒……案外いいセキュリティ使ってんじゃねえか」


 打ち込んだ探査コマンドからの応答を見たヨシロウが低く呟く。


「ヨシロウ、もう特定を?」


 BMSをハッキングされた、という状況にも関わらず持ってきていた試食用ビーフジャーキーをツムグと食べながら源二がヨシロウに声をかける。


「ああ、向こうもバレたとなったら物理的に対応するはずだからな。時間との勝負だ——が、お前ら勝手に食うな、俺にも残しておけよ」


 今は一刻を争う。そうでなければいったん休憩してビーフジャーキー片手にビールを味覚投影していただろうがファイアウォールの更新時間を考えれば21.5秒で潜り込み戻ってこなければいけない。


 トラッカー()を付けてしまえばハッキングを中断してもすぐに戻ってくることはできるが、BMSの内部にはこの更新時間の間しか留まれない。留まり続ければファイアウォールに作った隙間がリセットされ、その瞬間に侵入者(異物)の混入が検知されてしまう。


 ただ、このファイアウォールの欠点をヨシロウは完全に熟知していた。

 敢えて侵入せずファイアウォールのパターン変異をチェックする。


 そこで見えてきたパターンに、ヨシロウは別のウィンドウを展開してターミナルウィンドウに同期させた。


「……現在のパターン004、258秒ごとにテーブル切り替え……。テーブルはVX、把握した」


 ここまで把握してしまえばハッカーにとって相手のBMSは丸裸も同然である。大抵のユーザーはここまでのセキュリティを利用していないのでもっと楽に攻めることはできるが、相手もハッカー、流石に対策は怠っていない、ということか。

 では、と、ヨシロウが精密指(マニュピレータ)を展開し、同じくターミナルウィンドウに同期させた。


「あ、ゲンジ」


 侵入の前に、ヨシロウが源二に声をかける。


「ちょーっと本気出すから暫くは喋れんぞ」

「? ああ、無理するなよ」


 ヨシロウの言葉に源二が一瞬不思議そうな顔をするが、ヨシロウの手がマニュピレータに分かれていることに気付いてすぐに納得する。

 依頼者が誰で、何を目的にしているかの把握は重要だ。それを把握しなければ手を打つこともできない。

 源二が頷いたことで、ヨシロウはにやり、と笑みを浮かべる。


「さぁて、お楽しみの時間だ。まずは誰に依頼されたか——見せてもらうぞ」


 ファイアウォールのパターンが切り替わった瞬間、ヨシロウはファイアウォールに察知されない程度の穴を開け、相手のBMSに侵入した。

 ヨシロウの視界が切り替わり、ワイヤフレームで構築された迷路が展開される。


 同時に自分のBMSをクロックアップ(超加速)させ、体感の時間を緩やかなものにする。

 視界の隅に映るタイマーは21.5秒ごとにリセットされるが、その時間の経過はコンマ01秒が1秒相当。


 ファイアウォールのパターンを目まぐるしく切り替えるタイプのセキュリティに対して行う裏技ではあるが、これもBMSを量子コンピュータと同期しているからこそできる超高速演算、発覚の危険を冒して企業で使用されている量子コンピュータにただ乗り(フリーライド)することを考えれば自宅に量子コンピュータを置いているヨシロウはハッカーの中でも超上流階級にいると言えた。


 迷路状に展開されたマップを軽く経路探索して目的のライブラリを突き止める。

 まずは会話ログの洗い出し。ハッカーならログの消失が早いチャットサービスを使うのが常套手段だが、まさかログが消失してから行動に移すという悠長な手段は考えにくいので真っ先に接続する。


——やはり。


 会話ログはまだ残っていた。最初の部分は消失しているが、それでもログ消失時間前の会話はばっちり残されている。

 会話の相手はログの欺瞞のために出会い系サイトで出会った女性を演じていたが、それも裏取引の常套手段なので会話自体はスルーする。


 重要なのは会話相手のIDである。時間をかければ相手のBMSにもアクセスはできるが、流石に今侵入しているBMSのファイアウォールを考えればそれは現実的ではない。

 とりあえず欺瞞されたIDの本来の持ち主を探るべく、ヨシロウはチャットサービスのサーバに追跡用のbotを送り込んだ。


——じゃあ、結果が出る前に仕込んでおきますかね。


 待っている時間が惜しい。

 ヨシロウのもう一つの目的はこのハッカーに「お仕置き」することだ。

 源二のBMSにハッキングを試みておいてお咎めなしで世に放つことはできない。


 そういう点では本来ならアンノも味方として引き込むべきではなかった。ただ、あの時は源二の懇願があったのと「使い道」が見えたから助けただけだ。


 ヨシロウのマニュピレータが高速で動き、一つのツールを選択する。

 そのタイミングでbotから結果が届く。

 それを見てヨシロウはもう一度やはり、と内心で呟いた。


——やはり、アジトモか。となると目的はレシピを盗み出す、で確定だな。


 大方ベジミールはじめとして数社が交渉に失敗していることを察知して、正攻法では取り込めないと判断したんだろう、と思いつつヨシロウは選択したツールを展開した。

 別のウィンドウに展開される脳内マッピングのイメージ図から項目を選択して決定ボタンを押す。


——恨むなら未熟な自分を恨むことだな。


 心の中でそう呟き、ヨシロウは迷路を逆走し、相手のBMSから離脱した。

 

「終わったぞ」


 ヨシロウが超加速モードを終了させ、息をつく。

 タイマーは残り10秒のところで本来のスピードに戻り、時を刻んでいく。


「おう、お疲れさん」


 はい、とビーフジャーキーを手渡され、ヨシロウが一口かじる。


「で、何か分かったのか?」


 ハッキングを終了させたということは目的は果たせたんだな、と判断した源二に質問され、ヨシロウはああ、と頷いた。


「依頼主はアジトモだ。その時点で目的はレシピを盗むの一択になる」

「あー……」


 高級レストランを経営するアジトモならそうだな、と納得して源二も頷く。


「他が交渉失敗してるからって……」

「ま、他企業を出し抜くにはこれくらいしか打つ手はなかろうよ。それに関してはこちらもメッセージを送っておいた」

「メッセージ……?」


 ヨシロウの言葉に、源二が怪訝そうな顔をする。


「あいつには見せしめとなってもらうよ。ま、運が良けりゃ——いや、なんでもない」


 最後まで言う必要はない、とヨシロウは言葉を途中で止めたが、源二はその言葉の続きを考え、次の瞬間顔色を変えた。


「ヨシロウ、お前、まさか——」

「それ以上は言うな。トーキョー・ギンザ・シティでは沈黙も生き残る手段だぞ」


 そう言い、ヨシロウは椅子に掛けていたジャケットを手に取った。


「異常がなかったなら帰るぞ。お前も今日はもう休め」

「ヨシロウ——」


 何か言いたそうな顔で源二がヨシロウを見るが、すぐに頷いてジャケットを手に取る。

 ヨシロウの言う通り、沈黙は生き残るための手段だ。

 ここで反論してヨシロウとの関係がこじれれば最悪の場合源二はこの街で生きることができなくなる。


 同時に、ヨシロウという人間の底知れぬ闇に気付かされる。

 源二はヨシロウをただのお人好しなハッカーだと思っていたが、裏社会で生きる人間がお人好しで生きていけるはずがない。


 そもそも出会った時も源二がスーツを着ていたから巨大複合企業(メガコープ)の社員かもしれないから後々うまい汁を吸うために保護した、と言っていたではないか。


 裏社会はきれいごとだけでは生きていけない。

 それを目の当たりにし、源二は何も言うことができずにヨシロウの後に続いてB・ドックを後にした。

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