第54話「追跡開始」
「おう、ヤマノベか」
ヨシロウ行きつけの闇BMSクリニックに入った瞬間、院長のタチヤマ・ツムグはヨシロウではなく源二に声をかけてきた。
「うわあ、ゲンジに爺さんを取られた……」
「何を気持ち悪いこと言っとる。二人で来たってことはヤマノベのBMSに何かあったってことだろうが。いつもうまいもん食わせてもらってるからサービスするぞ」
源二とツムグの出会いは源二がトーキョー・ギンザ・シティに迷い込んですぐ、生活の基板を整えるためにBMSを導入しにきた、というものだった。ヨシロウが裏社会を生きる人間で、まだ戸籍も何もなかった源二にBMSを導入するには正規のB・ドックではなく闇B・ドックを利用するしかなかった。
そのBMS導入が縁で源二とツムグは顔見知りとなったわけだが、源二が「食事処 げん」をオープンしてすぐにツムグがふらりと立ち寄って以来、ツムグも味覚投影オフ料理に魅了されてしまい常連となっていた。
元からBMS技師として確かな腕を持っているツムグ、BMSによって起こる脳の反応などにも興味を持っていたが、当たり前のように行われる味覚投影がある種の幻想だったと思い知り、そこから味覚投影オフ料理に興味を持っている点では他の客とは一味違う。
「で、大方BMSがハッキングでもされたんだろう、さっさと上がれ」
「話が早くて助かるよ。ゲンジ、診療台に寝てくれ」
普段はツムグが店に行くだけで源二がここに来ることはよほどのことがない限りない。
そのよほどのことがあるとすればハッキングだろうと踏んだツムグにヨシロウは「伊達に調整技師やってねえな」と思いつつも源二を促す。
診療台に横になった源二のうなじにメンテナンス用端末から伸ばしたケーブルを接続し、ツムグは端末を起動した。
「イナバ、手伝え」
「あいよ」
源二の視界に【|MAINTENANCE MODE】の文字が映り込み、周囲にいくつものウィンドウが開いては閉じていく。
そこにヨシロウのアクセスが追加されたメッセージが展開され、【SECURITY STOPPED】にステータスが変わる。
ここで回線がオンラインモードになっていればハッカーが侵入し放題になるところではあるが、先ほど侵入が試みられて即座にオフラインにしている。ちょうど客が途切れたタイミングにハッキングされ、すぐに臨時休業にしてここに来たため、周囲に影響は出ていない。
とりあえずここで精密検査を行って問題がないと確認できれば念のためにウィルス検出、除去用のワクチンチップをインストールしてからオンラインに戻せば元通りになる。
ツムグとヨシロウがそれぞれ端末を操作し、源二のBMS全体をスキャンしていく。
「さっき簡易スキャンしたらセキュリティ表層に取り付いた時点で源二が気づいたせいかそこで撤退したというログが出た。だから多分トラッカーもトラップもないとは思う」
「イナバほどのハッカーがそう言うなら問題ないだろうよ。だがそのログを書き換えられるほどのハッカーだった場合は最悪、再セットアップだぞ」
そんなヨシロウとツムグのやり取りに、当事者の源二は「BMSのハッキングもPCと変わらないんだなぁ……」と暢気なものである。
「あー、ガチで表面引っ掻いただけで逃げてやがるな。ワクチン入れる必要もないレベルだこれ」
「いやワクチンは入れとけ。売り上げになる」
「がめついな、爺さん」
ヨシロウが苦笑しながらホロキーボードに指を走らせる。
「ついでだからハッキングしてきた奴を特定する。おイタをする奴にはお仕置きが必要だからな」
残されたログはほんのわずかなものだが、ヨシロウにとっては大きな手掛かりだった。
ログに記録されたアドレスを取得、ここで源二に対しての用は済んだので接続を解除し、ハッカーが源二にアクセスしてきたルートの探索に入る。
いくつものプロキシを刺した上に他人のBMSやPCを踏み台にして逆探知を免れようとしているが、そんなものは時間をかければいずれはスタート地点に到達できる。ただ、時間をかけすぎればスタート地点がBMS基板の交換などで物理的に消去されてしまう。
源二へのハッキングからまだ一時間も経過していない。ハッキングが察知された、とBMS基板の交換を行うにはあまりにも短時間過ぎる。
——勝負は一時間、ってところか。
B・ドックが仮に自宅の隣にあったところで基板交換には麻酔も必要で少なくとも数時間はかかる。ハッキング前に各種データのバックアップは取っているだろうからバックアップにもたついているとは考えにくいが基板を取り外される前に特定するとなると少なく見積もって一時間。
——余裕だな。
にやり、と笑いヨシロウが追跡プログラムを起動する。
起動したプログラムはヨシロウの特製、自宅の量子コンピュータを経由すれば超高速演算で幅優先探索ができるのでいくら複雑に経路を取っていたとしても同時の総当たりで逃げ道を塗り潰せる。
この世界の通信ネットワークはある意味一つの巨大な迷路だ。スタートもゴールも明確に設定されておらず、ユーザーとユーザーが求めているデータが仮のスタートとゴールとして設定される。
今回の場合、源二のBMSをスタートとしてゴールはハッカーのBMSもしくはPC。
スタートからゴールまではいくつにも枝分かれした経路があるが、BFSはその枝分かれ全てを総当たりする。総当たりして外れと分かればそのルートを切り捨てる、そうするうちに最終的に正解のルートが炙り出されるという迷路解析アルゴリズムの中では最速の探索方法ではあるがこれは使用端末のスペックが低ければ激しいメモリ消費に端末が耐えられないというデメリットが存在する。
だが、ヨシロウがハッキングに使用するメイン端末は一般の家庭にあるようなノイマン式PCではなく、小さな企業が中央演算システムに採用するくらいには高性能の量子コンピュータだ。導入費用は同じく小さな企業の会長が使用する高級車が購入できるくらいのものなので賞金で生計を立てられるほどのプロゲーマーやよほどのもの好き、界隈で名の通ったハッカーくらいしか所持していない。
そんな量子コンピュータを所持するレベルのハッカーが源二に察知されるとも思えず、察知されたとしてもオフラインにされる前に侵入を果たせるはず。
そう考えると源二のBMSに侵入したハッカーは明らかにヨシロウより格下であった。
ヨシロウが自宅の量子コンピュータにアクセス、自分のBMSからの遠隔操作モードに切り替える。
追跡プログラムを追跡モードに切り替えると、ヨシロウの視界でデータ解析の状況が高速でスクロールしていった。
待っている間は暇なので、ヨシロウはちら、と源二を見る。
源二はというとツムグの検査で異常なしと診断されたためケーブルを外して診療台に腰掛けている。
ツムグが源二にチップを手渡すと、源二はそれをBMSのスロットに差し込み、ワクチンデータをインストールしていた。
「被害がなくてよかったな」
スクロールするログに注意を払いながらヨシロウが源二に声をかける。
「うーん、早期発見でよかった、って話だったけどハッカーは何が目的だったんだろう」
そう呟く源二に、ヨシロウが小さく頷く。
「それを突き止めるのが俺の仕事だ。今、アクセス元を探索——おっと、もう見つかったようだ」
探索プログラムが【CPLT】の文字を浮かび上がらせる。
「さて、誰が、誰に言われてやったのか——まるっと暴かせてもらうぞ」
お楽しみの時間だ、とばかりにヨシロウは舌なめずりし、ホロキーボードに指を置いた。




