第53話「這い寄る不穏」
「タイショー、やばいっすよ」
今日も今日とてピークタイム明けに食事をしに来たアンノが開口一番そう言った。
「何が」
「いやー、まさかたった一件の店を巡って企業間紛争が起こるって誰が思ったんでしょうねえ」
ほら、とアンノが源二にデータを送る。源二が開くとそれはいくつかのニュース記事だった。
「あら、ペッパーフィッシュが不正会計」
「そりゃー契約書の数字を書き換えるとかセコい手を使ってたんだ、不正会計位するだろ」
源二からデータの共有を受けたヨシロウもそう言い、焼き鳥を貪る。
「あー、焼き鳥うめぇ……確かにこれは酒が飲みたくなるわー」
「ヨシロウさん、そんなこと言うなら今度酒持って来ましょうか?」
「お、気が利くな。楽しみにしてるわ」
そんな会話をするヨシロウとアンノを見て、源二がどん、と水の入ったコップを二人の前に置いた。
「俺はアルコールは出さん。味覚投影で我慢しろ」
「へいへい」
「はーい」
慣れ切った様子で二人が味覚投影で水を日本酒感覚で飲み始める。
「あーやっぱ酒に焼き鳥って合うわー……」
「で、このペッパーフィッシュの不正会計が発覚したのが他企業の工作の結果、ってことか」
お前ら、勝手に酒盛り始めやがって……と呆れる源二だが、味覚投影はあくまでも味覚と嗅覚をごまかすものであって実際にはアルコール成分は摂取されていないので二人は素面。
おうよ、とヨシロウが視界に浮かんだウィンドウを操作しながらより詳しく情報を収集する。
「……なるほどなるほど」
「何か分かったのか?」
データに目を通してふむふむと唸っているヨシロウに、源二が教えろと急かす。
「一応、不正会計自体は事実なんだが発覚の火元がやべえな。元々は虚偽の告発で株価操作を狙ったところガチで不正会計してるのが発覚したって感じだ」
「マジかよ」
ヨシロウから送られたデータに目を通し、源二も唸った。
企業歴と呼ばれるだけあって政府よりも巨大複合企業が力を持ったこの時代、公的機関も企業の圧力に屈することは日常茶飯事である。
今回もライバル企業が虚偽の告発を行い、それを受けた公的機関は告発者の身元をろくに調べることもなくペッパーフィッシュ社に切り込んだら本当に不正会計をしていた、という流れはいかにもな企業間紛争である。ペッパーフィッシュも食品系第三位という立場なので当然のようにもみ消しは図っただろうが、複数の企業が結託したのか、それともより上位の企業がさらに圧力をかけたのか、いずれにせよ今回の件でペッパーフィッシュ社も大きな痛手を受けたのは間違いない。
さて、どこが動いたのかな、などと呟きつつヨシロウが楽し気にどこかのサーバに侵入している。指を精密指に分割していないところを見るとそこまで精密なハッキングをしなくてもこれくらいは調べられる、ということなのか。
「ほーん、ペッパーフィッシュをコケにするくらいだから第一位のベジミールか第二位のAJITOMOだろうとは思ってたが、アジトモが動いてたか」
「アジトモといえば確か高級外食産業最大手じゃなかったっけ」
一応は源二も飲食店の経営者なので外食産業に携わる企業については調べている。
「飲食店なんてどこも同じデータベースを使ったプリントフードだから高級なんて、と思ってたがサイトを見てビビったよ。あんな豪華な店で、普通なら出力しないような旧世代の高級料理を出力したらそりゃ『エンターテインメント』としてはすごい経験になるよな」
「そうそう、ドレスコードとか下々の人間には流行らんが金持ちはそういう特別感が欲しいんだろ?」
あれ、三年先まで予約埋まってるらしいからな、と言うヨシロウに源二はうんうんと頷いた。
「まぁ、アジトモがうちを狙うのも分かるよ。ただでさえ特別な体験ができる店なのにそこでさらに特別を味わえるんだから下手すりゃベジミールを出し抜いて買収したいよな」
「その割にまだ手を出してきてないからきめえんだがな。なんならベジミールより先に手を出してくると思ってたのに未だにだんまりだからな……」
「ま、その辺も調べておきますよ。それじゃごちそうさまでした」
「食事処 げん」の裏方として働けるのか嬉しいと言わんばかりにアンノが両手を合わせて席を立つ。
「前にも言いましたが依頼人は裏でサポートするつもりはあるらしいので何かあったら言ってくださいね」
「依頼人も分からずによく言うよ。まぁ何かあったら声をかける」
店を出るアンノにそう言い、ヨシロウは改めて源二を見た。
「で、ゲンジとしては今回の件はどう考える?」
「うーん、俺のスキルって奪い合わなきゃいけないほど特別なものなんかねえ」
他人事のように呟く源二。
源二としては調味用添加物の調合は慣れさえすれば誰でも可能だと思っていた。
「食事処 げん」もオープンして何か月も経過しているのである。そろそろ模倣した店も出てくるのでは、と思っていたがそんなことはなく、いくつもの企業が源二のスキルを独占しようと買収を持ちかけてくるだけである。
うーん、と源二が思わず唸ったそのとき、
「……?」
源二の視界にほんの一瞬、ノイズが走ったような気がした。
まるでTVの映像が乱れたかのようなノイズ、それはほんの一瞬で、瞬きによる見間違いかと思いたくなるようなものだったが、それでも何故か大きな違和感として源二の心に引っかかる。
なんとなく、視界に映る風景が色褪せたような錯覚。周囲の温度が一気に下がったような冷感。
キン、という耳鳴りが聞こえたような気がして、源二は疲れているのか、と考えようとして——。
「ヨシロウ、やばい!」
咄嗟にシステムショートカットウィンドウを開き、通信回線をオフラインに切り替えた。
「どうした!?」
がたん、と席を立ち、ヨシロウが心配そうに源二を見る。
「ハッキングされたかも」
「何!?」
源二の言葉を聞いてからのヨシロウの動きは早かった。
即座にポケットから小型端末を取り出してケーブルを差し、自分のうなじにあるBMS制御ボードに端末を直差しする。
端末から伸びたケーブルを源二に手渡すと源二も慣れた手つきでそれをBMS制御ボードに接続し、ヨシロウを見る。
「回線は?」
「オフラインにした」
その回答にうん、と頷き、ヨシロウが自分の通信回線もオフラインにして源二のBMSにアクセスした。
導入時にセキュリティをカスタムして裏口を作ってあるので表層にある防御システムは全てショートカットする。
ストレージの入口までアクセスして、ヨシロウは源二のBMSにハッキングしたハッカーの意図を考えた。
——どっちだ。
源二のストレージにある調味用添加物のレシピが目的か、それとも源二に断られた企業が他の企業に奪われるくらいならと命を狙ったのか。
前者ならライブラリを封鎖したうえでB・ドックで精密検査を受けた後に今後の足掛かりとなる枝を取り除けばいい。後者の場合、B・ドックで精密検査を受ける前にウィルスの有無を確定させておかないと時間差で発火して脳を焼かれかねない。
この時代、暗殺といえば殺し屋を雇うという手法も残ってはいるが金に糸目を付けなければ腕利きのハッカーを雇ってナノマシンを暴走させるウィルスを送り込んだ方が手っ取り早いし証拠も残らない。
脳内のナノマシンを暴走させて脳を焼けば「ハッキングされた」とは分かっても誰が、どのルートで、といった痕跡を突き止めることができないからだ。
回線がオフラインになっていることを考えればリアルタイムでデータを盗むことも送り込むことも不可能だが、BMSを永久的にオフラインにすれば生活に支障が出る。身近なところでいけば味覚投影自体できなくなる。源二の場合、味に苦労はせずともフードプリンタでクラウドにあるレシピにアクセスできないので料理が出力できなくなる。
早く特定しなければ、とヨシロウが源二のBMS全体にスキャンを掛ける。
防御用の端末を介しているので仮に源二にウィルスが送り込まれた後でもヨシロウにまで感染することはないが、それでも何かしらのウィルスがBMS全体に浸透するまでに終わらせなければならない。
「——、」
スキャンを開始して十数秒、源二もヨシロウも何分も経過しているような錯覚を覚えたところでスキャンが完了する。
はぁ、と特大のため息をつき、ヨシロウは制御ボードから端末を取り外した。
「お前、よくあの段階でハッキングされたって気づいたな」
ほっとした顔でヨシロウが手を差し出してケーブルの返却を要求する。
「ハッキングは表層に取り付いてセキュリティドアを破ろうとした段階で止まってた。オフラインにしてもセキュリティドアにウィルスを仕掛けていたらオンラインにした瞬間に再接続できただろうに、気づかれたということで即撤退した感じだな」
「そうかー……」
ヨシロウの説明に、源二もほっとしたように調理場に置いていた簡易椅子に腰掛ける。
「いや、なんか違和感だったんだよ。ほんの一瞬だけどなんか変な感じがして、咄嗟に回線を切った」
「対応としては完璧だ。流石、元テクノロジー系の社畜だけあるよ」
「社畜は余計だ」
そんなやり取りを交わしながら源二はよろよろと立ち上がってコップに水を汲んだ。
「どこがハッキングしてきたんだろう」
「さぁな。まぁ、ここまで潔く撤退されると追跡も難しいだろうが、B・ドックの設備を借りて調査するよ。表層を引っ掻いただけで逃げたとはいえどこでどう枝を付けられてるか分からんから、精密検査する」
「ああ、頼む」
そう言いながらも、源二は「ついに来たか」と考えていた。
交渉に応じないのなら奪い取ろうという魂胆は分かる。その時が来ただけだ。
さて、これからどう動きますかね、と思いつつ、源二はコップの水を一気に煽った。




