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PREFER-TATION RUNNERS -嗜好と思考のコンフリクト-  作者: 蒼井 刹那
第5章「向けられた牙」
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第52話「するもしないも自分の責任」

「タイショー、なんだか疲れてますね」


 ピークタイムも過ぎた午後のひととき、たった一人店に残っていた客がのんびりと源二に声をかける。


「最近、いろんな企業に目をつけられてますね。依頼主がそう言ってましたよ」

「流石アンノさん情報が早い」


 源二が苦笑する。

 アンノと呼ばれたこの客は、先日尾行しているところを取り押さえられたスパイだった。

 どう見ても鉄砲玉のところをなんだかんだで助け、見逃す代わりに「食事処 げん」のスパイとしても働くようになったこの男はヨシロウとは違い「足で稼ぐ」タイプの情報屋として重宝されている。ヨシロウや本職の情報屋に比べて得られる情報の精度は低いが、企業間ゴシップの類は元々の雇い主が企業だからかかなりディープなものを持ち込んでくることがある。


「一応、依頼主から明かしていいと言われたので言いますけど依頼主は『食事処 げん』ではなくタイショー本人に興味があるそうですよ」

「え、俺に?」

「ってかお前こっちのスパイになったこと完全にバレバレどころか公認になってんじゃねーか」


 源二とヨシロウが同時に声を上げる。

 えへへ……と頭を掻いたアンノが苦笑する。


「いやだって脳を焼かれそうになったのに入れてたウィルスが不発だったので向こうも分かりますって。イナバさん、あんなこと言っておきながらワクチン入れてるんですもん、優しすぎでしょ。で、『食事処 げん』がそのつもりなら互いに有益な情報は流せばいいって判断されたんですよ」

「企業の割には甘いな。絶対裏があるだろ」


 この時代、人の命、それも一般市民のものなど軽いものと言われているのに察知されたスパイの口封じを行わないのは雇い主としてはかなり甘い。企業としてはよほど重要な情報は漏れないと確信しているのか、それともここで源二に恩を売って後から回収するつもりなのかは悩ましいところである。


「でも、俺はてっきり『食事処 げん』の料理を独占するつもりでいると思ってただけにびっくりですよ。なんでタイショーが目当てなんですかね」

「それを調べんのがお前の仕事だよ、アンノ。もしそれで口封じされたらちゃんと弔ってやるからしっかり働け」

「ひどい」


 アンノが苦笑しながらもヨシロウに一つのデータチップを差し出す。


「とりあえず、依頼主が突き止めてる『食事処 げん』を狙ってる企業リストです。どこもここの調合添加物に興味があるみたいですね」

「なのにお前の雇い主は調合添加物じゃなくてゲンジに興味があるってか……」


 ふむ、とヨシロウが手持ちの携帯端末でデータチップのウィルススキャンを行い、それから有線で端末とBMSを接続する。


「データはありがたくいただくよ。まぁ、ベジミールが交渉失敗したから狙い目と思ってんのかもしれないがあの程度で諦めるベジミールじゃねえぞ」

「ですよね。そういえばベジミールの出荷制限はまだ続いてるんですか?」


 ふと気になったのか、アンノが尋ねてくる。


「そうだな。ってもこっちは色んなルートで仕入れられるし調味用添加物が入荷しなくなるってことはよほどの締め付けをされない限りないかな。流石にフードトナーを止められれば商売あがったりだがそんなあからさまなことをすれば株が下がるのはベジミールの方だしな」


 源二の答えに、アンノがふむふむと頷く。

 それから、きょろきょろと周りを見て店内に源二とヨシロウしかいないことを確認して口を開いた。


「依頼人、なんなら裏で支援することも考えてますよ」

『なんだって!?』


 声を潜めて言われたその言葉に、源二とヨシロウが同時に声を上げる。


「支援って——」

「どっかの企業だとは思ってたが、マジで『食事処 げん』を買収する気じゃなさそうだな」

「だから、依頼人はタイショーにしか興味がないんですってば。なんででしょうね」


 味覚制御に長けた貴重な人材がほしいなら「食事処 げん」を買収するはずなのに、と続けるアンノに、ヨシロウはピンときた。


——まさか、依頼した企業はゲンジのことを——?


 源二の秘密は「調味用添加物を調合できる」だけではない。「過去から来た異邦人(ストレンジャー)」もある。

 味覚投影オフ料理に興味を持たなければ源二はただの一般市民だ。戸籍を偽造しただけの。戸籍の偽造など訳アリの人間なら誰でも行っているから源二だけをターゲットにすることはあり得ない。そう考えるとアンノの雇い主は源二の出自に興味を持っていると考えた方が妥当である。


 だが、アンノにはその旨が伝えられていないのかアンノ自身は雇い主が源二を調査する理由に疑問を持っている。

 これは何も言わない方がいいなと判断し、ヨシロウはちら、と源二に目配せした。


《ん、俺は何も言わない》


 源二からウィスパーが届き、ヨシロウがアンノに視線を投げた。


「まあ、無理はすんなよ。雇い主がお前を消さないと決めても他の企業がお前を狙う可能性もある。お前が死んだら貴重なメガコープ系情報ソースが潰れるんだからしっかり働け」

「はいはい。気を付けますよ」


 それじゃ、とアンノが皿に残っていたスシを口に放り込み、席を立つ。


「スパイはスパイらしく頑張ります。じゃ、お二人も頑張って」

「お前はスパイを名乗るにはひよっこすぎる。スパイスとでも名乗ってろ」

「えぇ~」


 不満そうに声を上げながらアンノが店を出ていく。

 店内に誰もいなくなったことを確認、さらに周辺で誰も盗聴していないことをざっくりと確認したヨシロウが源二の目の前の席に移動した。


「ゲンジ、」

「なんだ?」


 改まり、声を潜めたヨシロウに源二も声を潜める。


「アンノの雇い主は多分ビッグ・テックだ」

「は!?」


 思わず大きな声が出て、源二が慌てて口を押さえる。


「え、なんで。ビッグ・テックが俺に興味を持つことなんて——」

「忘れたか? ビッグ・テックが何をしているのか」


 そう言われて源二がビッグ・テック社の取り扱い分野を思い出す。

 ビッグ・テック社と言えば信用調査や各種情報管理テクノロジー分野の最高峰だったはずだ。となると自分が本物同等の戸籍を偽造されていることを突き止めたのか? と考えるが、それなら戸籍を偽造したヨシロウやニンベン屋に注目するはず、と考え直す。


 そうなるとビッグ・テック社が興味を持つことなんてなさそうだが、と思ったところで源二はとあることに気が付いた。


「まさか——」

「そのまさかだ」


 ヨシロウが頷き、もう一度周りを見回す。


「ビッグ・テックはタイムマシンの開発をしていると言われてる、というか将来的に時間旅行ができる技術を開発したいと明言している。そう考えるとお前を狙う理由も見えてくる」

「タイムマシンなしでタイムスリップした俺を調べたい、ってことか」

「多分な」


 それなら「食事処 げん」に興味を持たないことも、源二を裏でサポートしたいということにも説明がつく。


「ビッグ・テックはタイムスリップしたお前を調べてタイムマシン開発の段階を進めたいんだろう。裏でサポートできるという話を考えるに解剖とか手荒な真似はせず、協力してくれるなら真っ当な見返りは提示する、ってことか」

「なるほど」


 タイムマシン開発、という言葉に源二の心臓がどくんと跳ねる。

 もし、自分が協力してタイムマシンが本当に開発されたら自分は元の時代に戻れるのだろうか。

 あくまでもこれはヨシロウが立てた仮説だが、ビッグ・テック社の評判や公約を知れば知るほど現実味が増してくる。


 本当に帰ることができるのか、そう思って源二ははっとした。


——本当に、帰りたいのか?


 この時代に来る前の自分と今の自分を比較する。

 夢も叶えられず社畜として生きてきた日々と、少し違う形であれ夢を叶え、充実した日々を送る今。

 理性では「帰るべきだ」と分かっている。タイムスリップしたことで旧時代の味を再現できる者として生きる今の源二はこの時代にとっては特異点だ。

 本来ならあってはいけない事象を、このまま続けていいはずがない、そう分かっているのに源二は「帰りたくない」と思ってしまっていた。


 調味用添加物の調合は楽しい。誰も知らない味を生み出して人々が驚く様を見るのは優越感と万能感が満たされる。できるなら、このまま多くの人に尊敬されたまま生きていたい、という欲が源二には湧き上がっている。

 帰ればまた社畜生活に戻るか、もう一度ゼロからのスタートになる。誰も知らない味を作れるわけでもないので周囲はライバルが多い。成功する保障などどこにもない。


 ——それでも。


——元の時代に戻るのが、正しい道なんだ。


 自分の欲を抑え、源二が自分に言い聞かせる。


「……なんか、協力したくないな」

「ん?」


 思わず源二の口からこぼれた言葉に、ヨシロウは首を傾げた。


「帰りたいんじゃないのか?」

「あ」


 ヨシロウに言われ、源二は自分が思わず呟いていたことに気付かされる。


「うーん、正直、帰りたいのか帰りたくないのか分からない。帰らなきゃって理性では分かってんだが、なんか帰りたくないって気持ちもあって」

「なるほど」


 頷き、ヨシロウは源二を見た。


「別に帰りたくないなら帰らなくてもいいんじゃないか? タイムマシンが完成したら帰らなきゃいけないなんて道理はないだろ」

「え」

「時代を渡りたいなら渡りたい奴だけが渡ればいい。お前がこの時代を楽しいと思うなら死ぬまでいてもいいんじゃないか?」


 そう言い、ヨシロウはコップの水を一気に飲み干した。


「正直、俺はお前に帰ってほしくないと思ってるぞ」

「ヨシロウ、」


 ヨシロウの言葉に、源二が困ったような顔をする。


「……いいのか?」

「ああ、お前はお前のやりたいようにしろ。ガキじゃねえんだから自己責任で好きにすりゃいいんだよ」


 自分で責任が取れるなら何をしてもいい、それがヨシロウの考えだった。

 誰かに言われてやりたくもないことをするのはクソ喰らえ、なヨシロウに源二がぷっと吹き出す。


「そうか、分かった。まあ、タイムマシンが開発されたところで俺が本当に帰れるかどうかも分からんしな、考えても仕方ないことをグダグダ考えるのはやめるよ」

「そうだ、お前はただ店を守ることを考えとけ」


 ヨシロウも口元を緩めてそう言うと、源二は安心したように笑ってスシの入った皿を差し出した。

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