第51話「急いては事を仕損じる」
「食事処 げん」を狙っているのはベジミール社だけではなかった。
食品関係の最大手企業はベジミール社だが、それより小規模ながらもいつかはベジミール社を出し抜いて最大手に成り上がろうと画策する企業も存在した。
そんな企業がベジミール社が買収に失敗したという情報を仕入れたのだろう、これを好機とばかりに源二に接触してきていた。
ベジミール社のようにCEO自らが食事に来て交渉の場には立たない。その時点で源二の感情はあまりいいものではなかったが、それでも話だけは聞く。
「——ですから、こちらとしてはベジミール社以上の条件をお出ししているかと」
ヨシロウの家のリビングで、ペッパーフィッシュ社の専務が源二にそう言い放つ。
「うーん……」
専務に対し、源二の顔は険しいものだった。
《ゲンジ、ペッパーフィッシュの調査が終わった。食品関係では第三位、ウォーターフレーバーが主力商品だから調味用添加物との相性がいいと思ったんだろうな》
自室でペッパーフィッシュ社の調査をしていたヨシロウからウィスパーが届く。
(確かに、ウォーターフレーバーのお世話にはなってるな。ペッパーフィッシュのウォーターフレーバーは種類が多いから組み合わせやすい)
《条件としてはゲンジは今まで通り店を出してもいいというものだったが新しい味はまずペッパーフィッシュに提供、店での展開は半年遅らせろ、か。確かに店の自由度はベジミールより上だが味の自由度が下がるだろ》
ペッパーフィッシュ社が提示する条件に問題点はないか確認してもらうためにヨシロウとはウィスパー回線を開きっぱなしにしている。さらに視覚共有も行って源二が今目にしているものは全てヨシロウのPCに表示されている。
条件等が記載された無記名の契約書や専務との会話ログを確認しながら、ヨシロウはどうする、と源二に問いかけた。
《お前がこの条件でもいいというのなら止めはしない。だが、再現した味を自由に提供できなくなるぞ》
(そこなんだよな……)
契約書に目を落としながら源二が唸る。
確かに条件はベジミール社よりいい。ベジミール社は店自体に制限がかかった状態だった。その分「金銭的な」条件はよかったが、源二が欲しいのは利益ではない。
対するペッパーフィッシュ社の条件は金銭的な面ではベジミール社に後れを取っていたが店に対する条件は緩い。今まで通り自由に営業してもいいし新メニューを出すことも許されている。ただ、新メニューの提供は開発後半年を待てという条件が付けられている。
この条件が、源二にとって大きなネックだった。
ヨシロウの言う通りペッパーフィッシュ社はウォーターフレーバーが主力だが調味用添加物も手がけている。流通量はベジミール社に比べてはるかに少ないが、ペッパーフィッシュ社と提携すればベジミール社が報復的に供給を止めても優先的に卸してくれるはずだ。
だが、それは同時にペッパーフィッシュ社が「食事処 げん」よりも先に新メニューを展開することになる。そうなると「食事処 げん」の料理は後発となり、新メニュー目当てに来る客が減るということに繋がってしまう。
そう考えるとペッパーフィッシュ社との提携も源二にとってはリスキーなものだった。まだ、店舗展開は富裕層向けとはいえ新メニューの提供時期に関して言及のないベジミール社の方が有利である。
一長一短の条件に、源二はこの場で契約書にサインすることはできなかった。
「条件としては悪くないと思いますが」
再度、専務が源二に迫る。
「しかし、新メニューの展開が後発になるのはちょっと……」
言葉を濁す源二に、専務は不敵な笑みを浮かべて顔を近づける。
「でも、店舗展開を拡大できるチャンスですよ? 『食事処 げん』をチェーン展開する、そうすれば提携による契約金だけでなく店舗収入も倍増すると思いますが」
ペッパーフィッシュ社の提案はただ「食事処 げん」を現状維持することだけではなかった。
源二の店を本店としてのチェーン展開も打診してきたのだ。
味を再現できるのは源二だけだが、一度再現された味は全て調合レシピとして源二が作ったデータベースに登録されているので複製は容易である。源二がデータベースを開放すれば誰でも味覚投影オフの料理を出力することができる。
その点では、「より多くの人に味覚投影オフ料理を楽しんでもらう」という源二の願いは叶う。
しかし、それ以上に新メニューの提供制限は源二にとって大きなデメリットとなっていた。
「新メニューの制限、もう少し何とかなりませんかね」
「弊社も慈善事業ではないのです。こちらとしては最大限の譲歩をしています。それに、これ以上の条件を出す企業は他にないかと」
専務の言葉に源二がううむ、と唸る。
専務の言いたいことも分かる。これがペッパーフィッシュ社にとって最大限の譲歩と言うのも分かる。
それでも、源二も譲歩できる部分とできないところがある。
「うーん、少し考えさせてもらってもいいですか」
ウィスパーでヨシロウと話し合ってはいるが、白鴉組やニンベン屋の意見も聞きたくなり、源二は話を一旦保留にしようとした。
ベジミール社の時とは違い即答で断らなかったのはそれだけ源二にとって考慮する余地があると思ったからだが、ベジミール社をその場で断ったという情報をキャッチしていたペッパーフィッシュ社はここに勝利の鍵あり、と判断したのだろう、強気な姿勢で源二に迫っていた。
「時間は掛けない方がいいと思いますよ?」
囁くように専務が言う。
「兵は拙速を尊ぶ、素早い判断が、最大限の利益を生むこともあるのです」
「——時間を掛ければ、条件が悪くなるとでも?」
即決を求める専務に、源二が怪訝そうな顔をする。
こういうときは互いに一旦保留して条件を上方修正するのが戦略のはずだ。
それとも、時間を掛けたくないという理由がペッパーフィッシュ社にはあるというのか。
時間を掛けたくない、と考えるのは分かる。ベジミール社が条件を見直した場合、ペッパーフィッシュ社より好条件を出す可能性は高い。そうなる前に丸め込んでしまいたいのは源二もすぐに分かった。
それと、即決を求めるということは裏があるはず。
(ヨシロウ、契約書の条件をもう一度洗い直してくれ)
《今やってる》
源二と専務のやり取りに、ヨシロウも違和感を覚えていたのだろう。源二が頼んだ頃にはヨシロウも契約書に不審な点がないか洗い直し作業を始めていた。
「流石に、この状況で即決は難しいですね」
ヨシロウの作業時間を稼ぐため、源二が書類を押し返すようにして宣言する。
「どうしてですか」
「詐欺師の常套手段だからですよ」
そう答えた源二の目は真剣そのものだった。
「『今しかチャンスはない』と契約の即決を求める、詐欺師は少し言いすぎましたが、企業側に有利な契約を結ばせるのに使う常套手段ですからね」
「な——」
「確かに、『新メニューの提供制限』以外はとても魅力的な条件に見えます。しかし——」
《ゲンジ、見つけた。この契約書、予約更新が入ってる》
ちょうどいいタイミングでヨシロウから契約書の穴についての連絡が入る。
《サインをして一定期間が経過したら文面が自動的に書き換えられる細工がされてた。新しい契約条件は『チェーン店の収益の8割をペッパーフィッシュ社が受け取る』だ》
(おい、今の文面では3割だぞ)
《3と8の誤認を狙ってるな。ってか契約書に締結後書き換え不可の電子ペーパー使ってないとかふざけてんのかよ》
「流石にチェーン店の収益の8割徴収はぼりすぎじゃないですかね」
「なっ」
源二の言葉に、専務が硬直する。
嘘だ、現時点での契約書では3割と書かれていたはずだ、と専務が思わず契約書に目を落とす。
「え——」
契約書には「8割」と記載されていた。
嘘だ、提示した時には3割だったはずだ、と専務が狼狽える。
「そんな、まだ8割にはならないはずじゃ——」
「今、『まだ』って言いました?」
「あっ」
源二の鋭い指摘に、専務が己の失態に気づかされる。
ダメだ、源二に手の内を知られている、そう気づいた専務はひったくるように契約書を回収し、鞄に入れた。
「しょ、書類に不備があったようです! 出直しますので、ぜひともご検討を!」
そう言い、慌てて立ち上がる専務に源二は厳しい目を向けた。
「契約書に細工をして自社に有利になるよう工作する——ペッパーフィッシュ社はそういう企業なんですね」
「こ、これは」
「お引き取りください」
毅然とした態度で源二が廊下を指さす。
「この話はなかったことに。誠意を見せない企業と提携するほど私も困っていませんので」
「くそ……」
心底悔しそうに専務がリビングを出ていく。
玄関が開き、専務が出ていったのを確認し、源二はほっと息をついてソファに座り直した。
「……ヨシロウ、助かった」
いつの間にかリビングに来ていたヨシロウに、源二が声をかける。
「電子ペーパーにもハッキングできるのかよ」
「電子ペーパーの契約書はあくまでも控えだ。マスタがサーバにあって、そのデータのコピーが送信される仕組みだからな」
そう説明しながらヨシロウが源二の隣に腰掛ける。
「まあ、第三位がトップを出し抜こうと思ったらこれくらいはするわな」
それよりも、よく時間稼げたなと言うヨシロウに源二は苦笑した。
「俺の時代にもよくあった手口だからな。なんだかんだ言って即決させる、携帯業界で特にやばかったよ。まぁその辺は重要事項説明書の説明義務云々でクーリングオフできるが面倒だからな」
「? ケータイ?」
「ああ、この時代ではBMSの代わりに使った通信端末だよ」
そんなことを言いながら、源二は大きく伸びをした。
「緊張が解けたら腹減ってきた。ヨシロウ、何が食いたい?」
「じゃあ、『|四つくれ《Give me four.》』」
その瞬間、源二がくすっと笑う。
「二つで十分ですよ」
そう言い、源二は立ち上がってキッチンに向かった。




