第50話「骨を抜かれたスパイのその先は」
いつもの帰宅ルートは通らず、敢えて人通りの多い繁華街を歩いてヨシロウの言う尾行とやらを撒こうとする。
ヨシロウが空中で素早く指を動かすと、周囲の防犯カメラの映像が源二にも転送され、そこで現在どのような状況かを確認することができた。
「……」
誰、とはヨシロウは言ってこなかったが、防犯カメラの映像を見ていると確かに源二たちの後を尾けている男が映り込んでいる。
一見、ごく普通の通行人のように見えるが、源二たちがいくら角を曲がっても一定距離を開けて付いてくるのでこれは完全に尾行されていると考えていいだろう。
(なんで尾行が?)
ひそひそ通話を使って源二がヨシロウに尋ねる。
《ベジミールがガチで潰しにかかったか? 暴漢に襲われた体で殺す気か、それとも実は関係ない奴……?》
表情こそは変えていないが、ヨシロウも色々と考えているのかいくつかの可能性を挙げてくる。
源二としてはベジミール社の線が濃厚だと思っていたが、確かに所持金狙いのごろつきという可能性も否めない。
しかし、仮に所持金狙いのごろつきだとして、ここまでしつこく尾行してくることはあるのだろうか。
道を変えたりしているのだから警戒が強くて近寄れない、と判断して諦めるはずだ、と考えると尾行しているのは源二、もしくはヨシロウを目当てにしている何者か。
——いや。
(しかし、そもそも俺が邪魔で殺すつもりならあのBS屋で襲撃してくるだろ)
《あー……言われてみれば、確かに》
源二の言う通りだ。源二を消すつもりなら最も無防備な状態となるフルダイブ時に襲い掛かればこちら側になす術はない。
《しばらくはあの店行かないほうがいいか……? とは思ったが殺すつもりじゃないなら放置していてもいいか》
ヨシロウがそう言うと、源二はほっとしたような顔で苦笑した。
(あの店、お気に入りだから行けなくなるのは嫌なんだよな)
《おいおい、BS中毒になってんじゃねえよ》
ヨシロウも苦笑して源二を小突く。
《しかし、手を出してこないというのならこっちにも考えがある》
(え、捕まえるのか?)
できるのか? と源二が尋ねる。
源二は料理一筋、荒事に巻き込まれても料理で解決するレベルで戦闘能力はない。ヨシロウもハッキングがメインなので腕っぷしにはそこまで自信がないと言っていたはずだ。一応両手は義体なので殴られれば痛いだろうがそれだけだ。
《なあに、ハッカーにはハッカーなりの攻撃方法があるんだよ》
ニヤリと笑い、ヨシロウはスッと空中に指を走らせた。
源二には見えないがヨシロウの視界には何かしらのウィンドウが浮かんでいるのか、尾行者には気づかれないよう素早く指を動かしていく。
《よし、枝は付けた》
(早っ)
わずか十秒、尾行者のBMSを特定し、侵入の足がかりを付けたヨシロウが最後の一撃とばかりに空中をタップする。
「一気に捕まえるぞ!」
「!? 応!」
空中をタップした瞬間、身を翻したヨシロウに源二も合わせる。
その視界の先で、通行人の一人が頭を押さえてうずくまったのが見えた。
「PASSを送ったのか?」
「ああ、BMSのセキュリティがガバくてよかったよ」
路上でのたうち回る男を担ぎ上げ、ヨシロウが「こっちだ」と源二を促す。
ヨシロウを手伝った源二も後に続いて近くの路地裏に入る。
「特に通報もなかったな」
「トーキョー・ギンザ・シティじゃこういうことは日常茶飯事だからな。急病を装った強盗も多発してるから余程のお人よしじゃない限り倒れた奴を救護する人間なんていねえよ」
「じゃあ、俺たちはどっちかってと——」
「多分、強盗の方だと思われたかもな。チッ、後で防犯カメラのログ消さないと」
舌打ちをしながらヨシロウがベルトを外し、男の両手を拘束する。
「あー、ちょっと出力強すぎたか。まぁすぐに起きるだろ」
そんなことを言いながら、ヨシロウは目を回している男の頬を軽く叩いた。
「おい、起きろ」
「うぅ……」
低く呻きながら男が目を開ける。
焦点が合わないながらも目の前の二人を見て、その一人が尾行対象であることに気づいて身を強張らせる。
「必要なことを話してくれりゃ手荒な真似はしねえよ。なんで俺たちを尾けてた?」
ヨシロウが単刀直入に男に詰め寄る。
「誰が答えるか」
「だろうな。だが、こっちには色々準備があるんだよ」
視界に映るウィンドウに指を走らせながらヨシロウが不敵に笑う。
「で? リクエストは受け付けるぞ? ゴア画像がいいか? 痛覚保護を無視した痛みがいいか? それとも快楽堕ち? いや、知り合いにお前を好みそうな奴がいるからそいつのところに連れて行ってケツに訊いてもいいんだぞ」
「うわ怖」
男に詰め寄って手の内をチラ見せするヨシロウに、何故か源二が身震いした。
先ほど男を昏倒させたのもBMSにめちゃくちゃなデータを送り込んで感覚を麻痺させた、というのはすぐに分かった。ヨシロウに「とりあえず体験しておけ」と最低出力のものを送り込まれたので分かっている。最弱でも耐性がなければ数時間はまともに動けなくなるものをある程度の強さで送り込まれたのだ。ろくに抵抗することはできないだろう。それにしても最後の選択肢はなんだ。最後の選択肢だけは絶対に選びたくない、とふと思ってしまう。
だが、男はそれでも何も答えようとはしない。
「やるならやれよ。俺は絶対に答えんぞ」
「へえ、意外と根性あるな」
じゃあ、まずは手始めに……とヨシロウが手近なデータを展開しようとする。
が、それを源二が止めた。
「いや待てヨシロウ。こういう時はこういうものを使うって手があるんだよ」
源二がゴソゴソと鞄を漁り、お馴染みの試食用クッキーを取り出す。
ずい、とそれを突き出し、源二はニヤリと笑った。
「食いたくないか?」
「ぅ……」
ごくりと男が喉を鳴らす。
その目の前でクッキーの封を切り、源二は目の前でひらひらと振る。
「そういや、あんたここしばらくうちに食いにきてるよな」
「え、マジで」
まさかの発言にヨシロウが驚きの声を上げる。
「毎回変装してるからどっかの企業のスパイかなと泳がせてたが、時々変装せずに食べにきてるだろ。オフでも来るなんてスパイ失格だが、よっぽどうちの料理が美味かったのか」
「うぅ……」
こくこくと頷く男。
「最初は店主について調査しろと言われてたんだよ! だから客のふりして様子を見に行ったら思ってた以上にうまくて……」
「アホか。仕事ならちゃんと仕事を全うしろよ」
呆れ切ったヨシロウの声。
「お前、産業スパイにしては素人だな。ってことは鉄砲玉みたいな感じで雇われた使い捨てか——お前、やることやったら消されるぞ」
「え、マジで」
ヨシロウの言葉に、男の目の色が怯えに変わる。
「大方、今回の調査に成功したら正式に採用してやると言われたんだろ。それ、巨大複合企業の常套手段だぞ」
「嘘だろ、そんな」
先ほどの強気な姿勢から一転、一気に男の様子が命乞いをするそれに変わっていく。
「やだよ、俺死にたくないよ! せっかく成り上がれるチャンスだと思ったのに!」
「それは雇い主に言え。で、お前はどこからの差金だ?」
この状態になってしまえばもうこちらのものである。
「成功したら正式に採用」が嘘か真かはヨシロウには判断できなかったが、実際にこれを餌に釣り上げて不要となったら切り捨てるメガコープも多いのでヨシロウの言葉は単なるブラフではない。
震え上がった男がふるふると首を振る。
「いや、企業名は聞いてない。正式に採用するときに教えると言われて——」
「マジで鉄砲玉じゃねえか」
これは情報を仕入れるどころではない。今ここで解放したところで失敗した鉄砲玉は「処分」されるだろうし、だからと言って保護するわけにもいかない。
どうする、と話を聞いていた源二がヨシロウを見ると、ヨシロウも同じことを考えていたのか源二を見てくる。
(あのさ、泳がせることできないか?)
このままではこの男は殺される。それだけはなんとか阻止したいと源二がウィスパーでそう提案すると、ヨシロウが「ううむ」と唸って返答する。
《多分通話ログは取られているぞ。俺が尋問したことも向こうには筒抜けのはずだ》
(やっぱそうなるか。だが、逆にチャンスじゃないか? こっちは一応何の情報も得られていない。向こうとしては正体を知られていないのだから俺たちが泳がせる選択をした、を利用してさらに情報を仕入れようとするかもしれない。バレたのに泳がされたスパイを利用するとは考えないかな)
《なるほど。面白い発想だな》
源二の発言にヨシロウがなるほどと唸る。
こちらはこの男がスパイだとは分かっているがどこからの差金かは分かっていない。その点では相手側にアドバンテージはある。そこでこの男を泳がせるふりをして情報収集をしようとするのは相手も想定の範囲のはず。ここからはどちらがこの男を利用して情報を得るかの争奪戦である。それこそ、源二たちがこの男にかまけている間に別のスパイを送り込むことも可能だろう。
よし、とヨシロウが頷いた。
素早く男の視界外で指を動かし、男のBMSに素早くアクセスする。
強引にウィスパー回線を開き、ヨシロウは男に声をかけた。
《おい、聞こえるか? ウィスパーは通話ログも残らないし盗聴もできないからこっちで答えろ》
突然届いたウィスパーに男が驚いた顔をするが、すぐに頷くこともなく「聞こえる」と返答する。
《このウィスパーはゲンジにも繋いでる。とりあえず俺たちの提案を聞け》
自分にも届いたウィスパーに、源二も素知らぬふりをしてヨシロウの言葉を待つ。
《とりあえずお前を解放する。雇い主には『バレたけど殺すのも忍びないから』とでも言い訳しろ。なんとかして命乞いするんだ》
《それでダメだったら……》
《その時はお前の不運を呪え》
突き放すような言葉だが、実際にヨシロウに言えるのはこれしかない。
それは男も分かっていたようで、すぐに分かった、と応えてきた。
《で、実際にお前を泳がすわけだが一つ条件がある》
《なんだ?》
《お前はもう俺たちの支配下にある。雇い主の情報が分かれば教えろ》
ウィスパーでそう言いながら、ヨシロウは男のBMSに一つのデータを送り込んだ。
《今送り込んだデータはお前が特定のワードを口にした時に発火するように設定したウィルスだ。発火すればBMSのナノマシンが暴走して脳を焼く》
《えっ》
《つまり、お前は俺たちに逆らえない。せいぜい互いのスパイとして頑張るんだな》
ニヤリ、とヨシロウが笑う。対して真っ青になる男。
《死にたくなければ頑張るこったな》
「しゃーねー、何も知らん奴を殺すほど俺も暇人じゃないしな。解放するわー」
話は終わりだ、とヨシロウがわざとらしく言葉を発し、男の拘束を解く。
「いいのか?」
《分かった、できることはする。でも——》
《なんだ?》
《時々、飯食わさせてください》
いやだってマジでうまいんですもんと言い訳する男に、ヨシロウは「こいつ、太ぇ……」と内心で毒づいた。
まさかゲンジの飯でと思いつつ、ヨシロウはわざと男を乱暴に突き飛ばした。
《ゲンジは優しいから食わせてくれるよ。ほら、さっさと帰った》
立ち去る男の背を見送り、ヨシロウがはぁ、とため息をつく。
「まさかスパイの仲間が増えるとは思わんかったわ」
「俺の観察眼を舐めるなよ。あの程度の変装ならすぐに分かる」
伊達に客商売してねえよ、と言う源二に、ヨシロウは「やっぱこいつすげえわ」と独りごちた。
「なあヨシロウ、お前、本当にあいつにウィルス送り込んだのか?」
ふと気になって源二が尋ねる。
「あぁ? 逆だよ逆。ワクチン送り込んどいた。遠隔操作で脳を焼くウィルスが仕込まれてたから多分即口封じされるだろうなと思って無効化したんだよ。それで命を狙われて俺に助けを求めてきたらその時は白鴉組を頼る」
「おお」
まさかのヨシロウの配慮に源二が感嘆の声を上げた。
あの男をなんとかして助けたいと思ったのを汲んでそっと手を差し伸べてくれたのはとにかく心強い。
そんなヨシロウに、源二は心の中で「ありがとう」と呟いた。
「おい、ウィスパー繋がりっぱなしだぞ」
「げ」
慌ててウィスパーの回線を閉じつつ、源二もヨシロウと並んで歩き出した。




