第47話「急がば回れ」
肉じゃがを口に運ぶケントを、源二はただ固唾を飲んで見るしかできなかった。
料理を提供してしまった以上、今の源二にできることは何もない。
食品産業最大手のベジミール社、そのCEOが自ら出向いたということはこれはもう戦いだった。
源二の味覚投影オフ料理がベジミール社に通用するのか。いや、通用はするだろう。それが源二一人で守り切れるものなのか、それともベジミール社に買収されるものなのか。
店内BGMだけが静かに流れ続ける中、ケントは小さく「ほう」と呟いた。
「よくここまで本物の味を再現しましたね」
「……それはどうも」
ケントの口からこぼれた言葉がまずは賞賛だったことにほっとしながら源二は小さく頷く。
油断はできない。油断を見せた瞬間、必ず食われる。
ひとまずは賞賛を受けたとしても次はどの言葉が飛んでくるのか。
なんとなくの予想は、源二にはあった。
「——しかし、調味用添加物も限界があるということですか」
——来た。
想定通りの言葉に、源二が身構える。
今までのヨシロウとの会話で答えは出ている。
この時代、本物の食材がごくわずかしか生産できないこと、それを口にすることができるのはよほどの富裕層であることを考えると、ケントは本物の味を《《知っている》》。肉じゃがをチョイスしたのもただ日本の文化的な料理だから、ではない。日本の文化的な料理だからこそ、ケントは本物を食べたことがある。
その確信から、源二の次の予測は「調味用添加物による味の再現の限界」に対する言及だった。
その予測通り、ケントは調味用添加物に言及した。
「いくつもの調味用添加物を調合することで本来の味に限りなく近づける——しかし、調味用添加物はあくまでも添加物。添加物としての雑味はどうしても出る、ということですか」
「本物を口にした人が、よく調味用添加物の限界に気づけましたね」
ケントの指摘はもっともだ。源二も料理人として誰よりも鋭い鼻と舌を持っているから分かっている。
調味用添加物は化学調味料なのでどうしても薬品としての雑味が混ざっている。それを極限まで減らすために調合にも工夫はしているが、分かる人間には分かる、ということか。
そしてケントもまた鋭い鼻と舌を持っている。味音痴なら感知できないレベルに源二は調整したつもりだった。
「しかし、それでもここまで本物の味に近づけたことは賞賛に値します。貴方は本物の肉じゃがをどこかで?」
「どうでしょうね」
精いっぱいの虚勢を張って源二がはぐらかす。
しかし、ケントの鋭い視線に射抜かれ、源二は何も言えなくなってしまった。
「——ビッグ・テックも粋なことをしてくれる」
たった一言、何気ない呟きであったはず。
それなのに、源二の心臓が大きく跳ね上がった。
——こいつ、どこまで知ってる——?
ビッグ・テック社は何度か耳にしたことがある。主に信用調査や各種情報管理のテクノロジーを引き受ける最大手企業だが、その裏で様々な噂が囁かれている。
その一つが「タイムマシンの開発」だ。
かれこれ数十年前のビッグ・テック社の将来的なビジョンの一つとして「タイムマシン開発によるより正確な歴史調査の実現」が謳われたらしい、ということは源二も知っていた。とある常連が「ビッグ・テックがタイムマシンを開発すると言っていた」という与太話からビッグ・テック社について軽く調べたら出てきたことなので噂というよりもこの時代における空想未来みたいなものだとは思っていたが、それを知っているだけにケントの言葉は気になってくる。
ビッグ・テック社のタイムマシン開発は本当なのか。いや、既にある程度の実用化が成されているというのか。
巨大複合企業のCEOなら他社の状況くらいはある程度把握しているかもしれない。それだけにケントはどこまで知っているのか源二は気になってしまった。
「何を——」
自分が過去から来た人間だと知られるわけにはいかない。知られてしまえば今までのように「食事処 げん」を経営することができなくなってしまう。
その一心で、源二はケントの言葉を否定しようとする。
「——まあいいですよ。貴方の出自に興味はありません」
だが、ケントは意外にもあっさりと引き下がった。
押すべきところ、引くべきところは全て分かっていると言わんばかりの顔でケントは源二を見据える。
「しかし、これほどの味が出せるならもっと利益を得る方法はあるでしょうに」
こんな非効率な方法で利益を得るとはもったいない、とケントは鋭く言う。
それにして源二は、
「これでいいんです」
そう、絞り出すように答えた。
「私は別に利益だけを求めているわけではありません。私の料理を食べて癒される人が見たいだけです」
「そんな、非効率な」
源二の言葉を、ケントは一笑に付す。
この時代、癒しなど非効率にもほどがある、とケントは思っていた。
必要なのは効率、人々は最大限の利益を上げるために自分にできる最大の努力を怠ってはいけないし努力を怠ったものに待つのは生存競争からの脱落だ。人間は常に先を見据えて動かなければいけない。その生存競争の頂点に立った者のみが余裕を得て娯楽に興じるべきなのに、とケントは源二に鋭い視線を投げる。
「非効率——ね。この時代、『急がば回れ』ということわざは忘れ去られたようで」
皮肉たっぷりに源二が呟く。
呟いた後、源二は真っすぐケントの視線を受け止めた。
「私は一般市民こそ娯楽を享受すべきだと思いますがね」
「何を」
源二の反論に、ケントがほんの一瞬だけ怯んだようだった。
メガコープという社会の頂点、その最頂点に立つ人間を前に、源二は真っすぐ、堂々と立っている。
内心では焦りや怯えといったものを抱えているだろうにそれを一切見せず、源二は真っ向から立ち向かう気だ、とケントはその佇まいから感じ取った。
「確かに最大限の利益を得なければこの世の中で生きていけません。しかしただ利益を追求するばかりでは人間、息切れして立ち止まってしまうものです」
「そうなればただ脱落するだけでしょうに」
「——ですが、もし一息つくことができたなら、ほんの少しでも落ち着くことができたなら——筋肉と同じで、超回復するのですよ。人の心は」
私はその手伝いをしたいだけです、と源二は言い切った。
「超回復——筋力トレーニングの基本とも言えるあれですか」
ケントも健康維持のためにトレーニングを行っているから分かる。ある程度負荷をかけた筋肉は適度に休ませることでさらに強くなるという超回復理論は科学的に裏付けられている。
しかし、それが心にも働くというのか、とケントは疑問に思った。
人間の心は過度のストレスによって容易に壊れるのは精神医学でも言われていることだ。だからこそ定期的なストレスチェックは義務付けられているし、それによって即時休息が必要だと判断された人間は療養施設へと収容される。それでも休養施設から退院できるのはほんの一握りで、人の心は一度壊れればもう修復できないもの、としてみなされていた。
そんな心が超回復するものか、とケントは否定した。ましてやたかが食事で回復するなど、そんなことができるのなら当の昔に精神疾患にも食事療法が取り入れられているはずだ。
だから、ケントは源二の料理をただの娯楽として認識していた。源二が出力した味覚投影オフによる食事が本物の食材で作られた料理と遜色ないことは理解した。これなら新たな娯楽として富裕層を楽しませることができる。それを目的として、ベジミール社は「食事処 げん」の買収を決定した。「食事処 げん」の料理なら莫大な利益を上げることができる。それこそ店の雰囲気を楽しむという高級レストランにさらに味覚を楽しむという要素が追加されるためより高価な価格設定でも富裕層は食いつくだろう。
そうなれば源二もより楽に利益を得ることができるだろうに、それを否定するというのか。
その源二の思考が理解できず、ケントは次の問いかけを投げかけた。
「貴方は利益よりも心が大切だというのですか。心——いや、精神など人間に正常な判断を下させるためだけの電気信号、そんなものにどのような価値が」
「値段が付けられるような価値ではないですよ。私にとっては」
その源二の口元がわずかに吊り上がる。
「私は身の丈以上の利益は求めませんよ。もちろん、収入は多いに越したことはありませんがそれでも人の笑顔が見られないなら頑張るだけ無駄です」
「そんなもの、何の価値もない。この世で価値があるものは資産だけです」
「そんなものが紙切れになった時代を、私は知っているんですよ」
きっぱりと、源二は言い放った。
その言葉がケントを鋭く射貫く。
「資産が無駄とは言いませんよ。しかし、同じくらい人の心は大切だと私は言ってるんです」
「——この変人が」
絞り出すようにケントが呟く。
「つまり、貴方はベジミール社の提携に応じないと」
「《《今のところは》》ね」
含みを持たせて、源二はそう答えた。
「つまり、条件が合えば貴方は応じる、と」
「どうでしょうね」
圧倒的有利な状況にあったはずのケントの立場は、今や源二と均衡の状態に変わりつつあった。
源二の真っすぐな信念は、ケントの圧力に負けることなく自分の足で立っている。
これは時期尚早だったか、とケントは内心で舌打ちをした。
調味用添加物の供給制限と味覚投影の新型プラグイン、この程度では源二を揺らがせることはできなかった。
それなら今は潔く退いて次の手段を講じるまで。
大丈夫だ、時間という資産はこちらの方が多い、とケントは思考を巡らせる。
「——分かりました。今日のところはこれ以上提携の話をするのはやめましょう。私も折角の味覚投影オフ料理を楽しんでみたいので」
「ええ、ぜひとも楽しんでください」
表面上は穏やかに、しかし水面下では激しく火花を散らしつつ、源二とケントは肉じゃが定食という緩衝材で衝突せずにいた。




