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エピローグ「未来への帰還《Back to the Future》……?」

「さて、こんなもんかな」

 

 寸胴鍋を混ぜる手を止め、源二が呟く。

 鍋の中は茶色がかった透明な液体で満たされており、湯気と共に香る出汁の香りが心地よい。

 

 元の時代に戻り、退職届を叩きつけた直後に馴染みの蕎麦屋での就職が決まってから1ヶ月。

 

 有休消化中に新たな職場で働くことになったため、元の職場の社長は「面倒を増やしやがって」とぶつぶつ言っていたが、退職周りの手続きや、追加で出てきた雇用保険の資格喪失手続きをきっちり済ませてくれたので「案外悪い人じゃなかったのかな……」と源二は考えている。

 

 いずれにせよ、この蕎麦屋で働くようになってからの源二は慌ただしい毎日を送っていた。

 未来のあの時代にいた頃も忙しかったが、あれはあれで自動化されている部分も多く、その辺りの管理で忙しかったがこの時代の忙しさは違う。

 手を動かし、実際に料理を作り、客に供した後は食器の洗浄や翌日の準備、頭よりも身体を使うことが多くて源二は心地よい疲労感を毎日覚えていた。

 

 小皿を手に取り、鍋に入ったそばつゆを少しだけ取り分けて口に運ぶ。

 ふわりと香るかつおと醤油の混ざった匂い、舌の上に広がるほんのりと甘味を含んだそばつゆは、社畜時代の源二が日々癒されたあの味だった。

 

「源さん、どうだい?」

 

 大将が厨房に顔を出し、そう尋ねてくる。

 源二は無言でもう一枚の小皿にそばつゆを取り分け、大将に差し出した。

 皿を受け取った大将がまず香りを確認し、それからゆっくりと口に含む。

 

「——うん、うちの味だ」

 

 数秒の沈黙の後にそう言った大将の声は嬉しそうだった。

 

「やっぱり源さんを雇って正解だったよ。この味を再現できるのは源さんくらいだ」

「そう言ってもらえると嬉しいなあ」

 

 こうやって認められると嬉しいのはいつでも同じだ。

 タイムスリップする前、この時代で源二は否定ばかりされてきた——そう思っていた。

 だが、今思い返せば源二を認めてくれた人間は少なからずいたのではないか、そう思う。

 

 少なくとも大将は源二が一歩踏み出しさえすれば受け入れるつもりでいたのだ。たった一人でも認めてくれる人間がいるのなら、それはそれでよかったのかもしれない。

 

 しかし、驚きはそれだけではなかった。

 源二が正式にこの蕎麦屋で働くことになり、大将は源二に他の従業員を紹介してくれた。

 

 その従業員が——。

 

「タイショー! 蕎麦、打ち終わりましたよ!」

「おうアキラくん、お疲れ様」

 

 まさかのアキラだった。

 源二が未来にいたときよりは幾分大人びた雰囲気のアキラ。それでもあの時代で源二に見せた笑みは変わらず、元気にやっているのだと判断できる。

 だが、それより気になったのはいつから、どうやってこの時代で働くようになったか——だ。

 

 あまりにも気になりすぎて問いただすと、アキラは笑って全てを打ち明けてくれた。

 曰く——。

 

「タイショーの時代が気になりすぎて、頑張って勉強してビッグ・テック社に入社、CEOに直談判してタイムトラベルの許可を取り付けました!」

「バカじゃねえの!?」

 

 源二は呆れ果ててそう言い放ったが、そこに否定も侮蔑もない。

 アキラが自分の意志で自分の道を決め、実行した——その事実が純粋に嬉しい。

 

 少なくとも、闇に沈みかけてた人間を救えていたのだな、と思う。あの時代での日々が無駄ではなかったのだと改めて実感する。

 

 アキラがこの時代に跳んだのは源二が帰還してから二年ほど後のことで、大学も成績トップクラス、文句なしのビッグ・テック社就職、さらに「食事処 げん」の古参常連といった部分からCEOに直談判する機会にも恵まれ、この時間遡行、かつ就職が実現したらしい。

 

 戸籍に関しては偽造することもなく、定期的に未来に戻っては健康診断や各種手続きを行う、住居は大将の家に住み込みをしている、とのこと。

 

 しかし、問題はアキラがこの時代のどの時間に転移したか、である。

 それも問いただすと、アキラは「実は……」と説明してくれた。

 

「実は、もうこの時代に四年ほどいるんですよね。いやーあのウィルスが猛威を振るってた時期とは思ってなかったから大変でしたよあはは」

「え、何じゃあ俺のこと知ってたんじゃ」

 

 源二がこの時代に戻ってからの転移、それも源二があの時代に転移する何年も前に来ていたというのなら、この蕎麦屋で源二が日々蕎麦を食べていたのを見てきたはずである。

 

 それなら何かしら声を掛けてくれてもよかったんじゃ——そう言うと、アキラは笑って首を振った。

 

「ダメですよ、タイムパラドックス起こっちゃいます。CEOにきつく言われましたよ。『絶対に知られてはいけない』って」

 

 そうだ、何も知らない頃の源二に「未来の貴方はこんなことをしていますよ」と教えようものならその時点で未来そのものが変わる。もし、アキラが源二に話をしていたら「食事処 げん」はオープンすらしなかったかもしれない。

 

 そのパラドックスを防ぐため、アキラは、いや、アキラの事情を知っているらしい大将も四年もの間沈黙を続けていたのだと考えると月並みな表現だが大変だったな、と思ってしまう。

 いずれにせよ、全てが明らかになったからもう種明かしをしてもいい、とアキラは全てを教えてくれた。

 

 大将もアキラが未来から料理を学ぶために来たという話を受け入れ、雇っているのだから大したものである。

 そんなアキラは現在、この蕎麦屋の蕎麦打ち担当として腕を振るっている。

 

 なるほどな、この店の側の秘密が分かったよ、と源二は長年の疑問が晴れてすっきりしている。

 

「さて、もうすぐ開店だ。今日もよろしく頼むよ」

「はい!」

 

 蕎麦屋の狭い厨房でのひと時。時計はもうすぐ八時を指そうというところ。

 カウンターの中や冷蔵庫を見て、必要なものがちゃんと揃っていることを確認する。

 

 大将がシャッターを開けると、今から出勤する人々、夜勤が明けて帰宅しようとする人々が視界に入ってくる。

 壁に掛けられた大きなアナログ時計の秒針が一秒一秒、丁寧に時間を刻んでいく。

 

 その秒針が頂点を差し、頂点に差し掛かった長針と重なったその時。

 

「——ゲンジ!」

 

 開店した瞬間に、店に飛び込んできた男がいた。

 

「——ヨシロウ!?」

 

 男の姿を見た瞬間、源二も叫ぶ。

 

「おま、なんでここに——」

「これだけは報告しておきたくて! 『げん・コーポレーション』の総売り上げがアジトモを抜いた!」

「はぁ!?」

 

 源二が素っ頓狂な声を上げる。

 

「ああ、この時期が来たんですか」

 

 厨房の奥から何事かと姿を見せたアキラが何を今さら、と言わんばかりの顔でヨシロウを見る。

 

「ヨシロウさん、お久しぶりです」

「え、アキラ!? なんでお前こんなところにいるの!?」

 

 どうやらこのヨシロウはアキラがこの時代に来るよりも前の時間から来たらしい。

 アキラがここにいることに驚いたヨシロウだったが、すぐに今はそれどころじゃないと源二に向き直る。

 

「とりあえず一度戻ってこい! みんな、お前に会いたがってるぞ!」

「——みんなが」

 

 「食事処 げん」で繋がった心が、時代を隔てても繋がっている。

 

 どうしよう、と源二が大将を見る。

 時間を見て長期休暇でも取って戻るか、と考えてはいたが、こんな急に戻って来いと言われても。

 

 だが、大将はにっこりと笑って源二の背中を叩いた。

 

「待ってる人がいるんだろ、行ってこい」

「大将……」

 

 背中を押してくれる大将の気遣いが温かい。

 ポケットには時間錨(タイム・アンカー)は常に忍ばせている。

 ただのお守りのつもりだったが、使うべきが今なら使うしかない。

 

「分かった、行こう」

 

 源二がポケットからタイム・アンカーを取り出そうとする。

 

「いやちょっと待て」

 

 タイム・アンカーを起動しようとした源二をヨシロウが止めた。

 

「なんだよ」

「いや、折角お前の時代に来たんだからさ——」

 

 そう言い、ヨシロウは壁に貼られたメニューを見て言葉を続けた。

 

「山菜蕎麦一つ、かき揚げととり天も追加で!」

「ヨシロウ、お前見る目あるな! そのメニュー、この店の一番人気だぞ!」

 

 従業員となった今でも賄いで食べさせてもらっている、いつものメニューを注文したヨシロウに、源二が誇らしげに笑ってコンテナに置かれた蕎麦を手に取った。

 

——End

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