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第120話「未来への希望」

 蒼白い光の粒が高速で源二の周囲を流れていく。

 これが時間の矢印(タイムライン)内に存在する超空間なんだろうか——と思っている間に全ての光が後方遥か彼方へと飛び去り、暗闇が広がる。

 

「——っ、」

 

 この感覚は覚えがある。車に轢かれたと思った瞬間、なんとなく感じたふわりとした無重力感。

 それが消えるとずしりとした重みが肩にかかり、源二はそれに押しつぶされまいと踏ん張った。

 

「ここは、」

 

 暗闇が広がった、と思ったが、それは今が夜であるだけで、目が慣れると周囲の街灯や建物の灯りが目に飛び込んでくる。

 見慣れたトーキョー・ギンザ・シティの、ネオンやホロサイネージでけばけばした光に満ちた街並みでなく、見覚えのある静かな街並みに、

 

——戻ってきた。

 

 そう、確信した。

 周囲を見る。設定時間的には事故の数分後、ではあったが車は影も形もなく、人通りも少なかったことから慌てふためく人の姿もない。

 

 結局運転手は逃げることを選んだのか、と思いつつも足元を見ると見覚えのある鞄が転がっていて、源二はそれを拾い上げた。

 鞄を開ける。持ち帰って作業しようと思っていた書類やスマートフォン、財布などが全て揃っている。

 

 スマートフォンを手に取り、スリープ解除ボタンを押す。

 画面に表示された日付と時間に、本当にあの事故の直後であると思い知る。

 同時にBMSを確認するが、この時代にBMS用の回線規格があるはずもなく、圏外の文字が視界の隅に浮かび上がっている。時計も回線からのリアルタイム補正が得られないため、エラー表示になっている。

 

 体内に注入したナノマシンは体内電流を利用してバッテリーを充電し、稼働するタイプなのでBMS自体は生きている。ナノマシンは少しずつ体外に排出されていくため定期的な注入が必要であるが、まだBMSが存在しないこの時代にそれを行うことはできない。ナノマシンも徐々に排出され、BMSも基板だけが残る、という感じになるのだろうか。見慣れた視界が元に戻っていくのは寂しいが、本来の視界に戻るだけだ、と自分に言い聞かせ、源二はゆっくりと歩き出した。

 

 終電に乗り、真っ暗な自分の家に戻る。

 照明を点けるといかにもおっさんの一人暮らし、といった狭い部屋が浮かび上がる。

 

——なんだかんだ言って、楽しかったんだよな。

 

 あの時代では周りには常に誰かがいた。だが、この時代では一人ぼっち。

 源二の手が無意識にポケットの中の時間錨(タイム・アンカー)を探る。

 

——これを使えば。

 

 ヨシロウには必ず戻ると約束した。今これを使って戻ればヨシロウも苦笑いして迎え入れてくれるだろう。

 その誘惑に乗りそうになるが、源二はダメだとタイム・アンカーから手を離す。

 

 この時代に戻ってきたのはやるべきことをするためだ。それから逃げてはいけない。

 そのためにも、まずは休まないとな、と源二はスーツを脱ぎ、部屋着に着替えて布団に潜り込んだ。

 

 あの時代の寝具とは真逆の、硬いマットレスに苦笑しながら目を閉じる。

 それでも疲れていたのか、気づけば源二は深い眠りに落ちていた。

 

 

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 

 

 マットレスが硬かったせいか、少し早めに目を覚ました源二はPCを開き、テンプレートを使いつつ一枚の書類を書き上げた。

 この一枚で全てを決める、と考えると重たいが、それをUSBメモリに入れてコンビニ印刷する、と考えると薄っぺらいな、と思ってしまう。

 

 今までもっと重い書類を何十枚と目にしてきたことを思い出すと人生って意外とあっけないんだな……と感慨に浸る余地もない。

 

 スーツを着て、鞄を手にして外に出る。

 駅までの道中にあるコンビニで書類を印刷し、封筒を買って書類を入れる。

 そのまま出勤すると、会社の前で不機嫌そうにゴミ拾いをしている社長と目が合った。

 

「なんだ山野辺! 俺より後に出勤するとはいいご身分だな!」

 

 懐かしい、社長のパワハラ発言。

 源二が苦笑して会釈をする。

 

「自分は労働基準法に従って出勤してるだけなので」

「なんだぁ!? うちは労働基準法より社内規定が優先だと言ってんだろうが!」

 

 相変わらずのパワハラ発言。以前はそれに縮こまってすみません、と謝り倒していたが、今は違う。

 落ち着き払って、源二は口を開いた。

 

「それ、パワハラですよ」

「な——!」

 

 源二にパワハラを指摘され、社長が一瞬怯む。

 

「なんだ、てめえもハラハラ野郎になったのかぁ?」

「そう言いたいならそう言ってもらって構いません。社長がここにいるならちょうどよかった。これ、お渡しします」

 

 源二が鞄から封筒を取り出し、社長に渡す。

 ゴミを拾うトングを壁に立てかけて封筒を受け取った社長が中身を取り出す。

 

「……山野辺、本気か?」

 

 そう言った社長の声は震えていた。

 完全に怒りに支配され、それでも感情のままに言葉を発しなかったことには敬意を表するが、源二は落ち着き払って頷いてみせる。

 

「今月いっぱいで退職します。あ、ちょうど有給が今月末まで分くらい残ってるので今日はデスクを片付けたら帰りますね」

「何言ってるんだ! 誰がお前の面倒見てやってると思ってんだ!」

 

 耐えきれず、社長が叫ぶ。

 

「恩を仇で返すって言うのか!? お前なんてどこに行ってもやっていけないぞ!」

「それは分かりませんよ? 実際、自分には自分にしかできないことありますし」

「ふざけるな! こんなもの——」

 

 勢いに任せて書類——退職届を破り捨てようとする社長を、源二は相変わらず落ち着いた目で見る。

 

「破ってもいいですけど、そんなことしたら特定記録で送り直しますよ」

「ぐぬぬ……」

 

 いつもの圧力が全く通じない。

 山野辺はこんなに飄々としていたっけ、などと思いつつ、社長は退職届を封筒に戻してポケットに入れる。

 

「もう知らん! 勝手にしろ! 離職票はちゃんと送ってやるから感謝しろ!」

「ありがとうございます」

 

 もっとごねられると思っていただけに、あっさりと退職が受諾されて源二が拍子抜けする。

 それじゃ、と源二は改めて社長に会釈し、自分のデスクを片付けるためにオフィスの中へと入っていった。

 

 

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 

 

 デスクの後片付けを済ませ、周囲の社員に挨拶をしてオフィスを出た源二は軽やかな気分で通い慣れた道を歩いていた。

 

 退職届を出す瞬間はあのケントに真正面から立ち向かった源二でも内心ではビクビクしていた。流石に殴られれば傷害事件として被害届も出せたし、実はスマートフォンで会話も録音していた。録音していた範囲ではすでにいくつかのパワハラ発言も出ていたので出すところに出せば面白いことになりそうではあるが、退職をあっさり認めてくれたのでそこは見逃すことにする。

 

 本当は見逃さずに徹底的に潰したほうがいいんだろうなあ……と思いつつも、それでも困っている時期に雇ってくれた恩はあるので、会社に対する報復はよほど腹に据えかねた別の社員に譲ろう、と考え、源二は一軒の店の前で足をとめた。

 仕事の帰りに日々立ち寄っていた馴染みの蕎麦屋。

 

 現実の時間では最後に立ち寄ってまだ十二時間も経過していないが、それでももう何年も通っていなかったような気がする。いや、実際には一年未満ではあるが、あの蕎麦を味わえなかったのは事実なので《《久々に》》楽しもう、と暖簾をくぐる。

 

「おう、源さん! 今日は珍しいな!」

 

 蕎麦屋の大将が笑顔で源二を迎え入れる。

 時間としては通勤ラッシュが終わろうかという時間、通勤がてら朝食に蕎麦を食べる客足も減り、店の中はほんの少しだけ閑散としていた。

 

「大将、山菜一つ、かき揚げととり天も!」

 

 券売機のボタンを押しながら、源二が大将にオーダーする。

 

「あいよ!」

 

 源二が先に口頭オーダーしたことで、大将は即座に蕎麦を準備し、カウンターに来た源二に丼と天ぷらの乗った皿を差し出す。

 鼻腔を駆け抜ける鰹出汁と蕎麦の香り。天ぷらの揚げ油の香りもそこに混ざり、源二の食欲を掻き立てる。

 

 まずは蕎麦の汁を一口——懐かしい味が全身を奮い立たせ、ここで初めて源二は元の時代への帰還を実感した。

 戻ってきた。何も変わらず、いつも通りに動く世界に。

 

「源さん、今日はいい顔してんな」

 

 無言で蕎麦を啜る源二に、大将が声をかけてくる。

 

「——ええ、色々ありましたからね」

 

 現実ではたった数時間しか経過していないかもしれないが、その間に約一年分の時間を源二は過ごしてきた。様々な事件が起こり、巻き込まれ、乗り越えてきた。

 

 あとは最後にもう一つ——。

 

「実は、さっき会社辞めてきたんですよ」

「なんと!」

 

 源二の言葉に、大将が驚きの声をあげる。

 

「源さん、辛そうだったからな。よく決意したな」

「色々ありましたからね」

 

 そう言って、源二が一息つく。

 

「そこで大将」

「それなら源さんや」

 

 二人の声が重なる。

 

「おっと」

 

 どうぞどうぞと二人が互いに話を促す。

 

「いや、先に源さんからどうぞ」

 

 押しが強かったのは大将の方だった。

 それなら、と源二がお冷を一息に飲んで覚悟を決める。

 何故か、ケントの前に立っていた時以上に緊張して手が震える。

 それでも、源二は思い切って口を開いた。

 

「大将、俺を雇ってください!」

「なんと」

 

 そう言ったものの、大将は落ち着いていた。

 むしろ嬉しそうに笑みを浮かべて源二を見ている。

 

「先越されちまったなぁ……」

「え」

「いやぁ、源さん、仕事辛そうだったからさ。もし仕事辞めたらうちで働かないかって言おうと思ってたんだよ。うちは蕎麦打ち要員も必要だし、うちの味を継いでくれる腕のいい料理人も欲しいし、源さんなら全部任せられるよ」

「大将……」

 

 まさかそんなことを思ってくれていたとは。

 源二の声がわずかに震える。

 

「いいんですか、俺で」

「ああ、源さんじゃないと無理だよ」

 

 大将の言葉が心に沁みる。

 この時代では、自分は不要な存在だと思っていた。無数にあるどうでもいい歯車の一つだと思っていた。

 そう思っていたのに、大将は源二が必要で、この時代にいていいんだと背中を押してくれた。

 

——やっぱり、俺の居場所って——。

 

 この時代なのか、未来なのか。

 いや、居場所が一つだけという道理はどこにもない。

 どちらも、源二にとっては大切な居場所だ。

 

「ありがとうございます! 俺、頑張りますよ!」

 

 これは未来に戻るのはかなり先になるかもな、と思いつつも、源二は晴れやかな顔で頷いた。

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