第119話「新時代の幕開け」
ビッグ・テック社の飛行車両に乗り、源二とヨシロウが再びタイムマシンが設置されている研究所に足を踏み入れる。
「ああ、お待ちしておりましたよ」
アーサーは既に到着しており、源二を昔からの友人のように迎え入れる。
タイムマシンルームに行く前に応接間に通され、源二とヨシロウの前にコーヒーが置かれる。
「このコーヒーを飲むのもこれが最後か……とか思うけど、どうせすぐ戻ってくる気がするんだよなあ……」
うっすら豆腐の香りが口の中に広がる大豆コーヒーを飲みながら、源二がしみじみと呟いた。
「まあ、向こうのごたごたが終わったら戻ってくるかもな」
「そう言って、なんだかんだ戻ってこない気がするんだよ。お前らしくな」
源二と同じようにコーヒーを飲みながらヨシロウがぼやく。
「なんか、あっという間だったな」
それなりの期間を共に過ごしたはずなのに。思い返せば一瞬だったような気がする。
源二はヨシロウが発見した時に着ていたスーツを着ていた。今見れば少し古臭いデザインだが、素材だけは天然素材であるウールでできた、この時代の価値観で見ると高級品に分類されるもの。あの時は何も考えずに洗濯機に放り込んだら手洗いモード、かつ洗剤の調合が天然素材対応で行われて内心面食らってたものだ。
だからこそ「天然素材のスーツを着ていた、つまりメガコープのそれなりの地位にいるエリート」と思っていたのだが、まさかウール生地のスーツが源二が元いた時代では当たり前に着られていたとは。
後から聞いた話、源二の時代もポリエステル製のスーツが出回っていたが、気温の変化や天然素材とはまた別のデリケートな手入れ方法ゆえにウール生地も主戦力となっていたらしい。
ヨシロウがそっと手を伸ばして源二のスーツの裾を触る。化学繊維とは違う、柔らかくも温かみを感じる手触りに「一度は着てみたかったな」と考えてしまう。
応接間に研究員が入ってきて、最後の確認と説明を行う。
それを丁寧に聞いて確認したところでアーサーが立ち上がる。
「それでは、行きましょうか」
ええ、と源二が立ち上がった。
その躊躇いのなさに、逆にヨシロウが躊躇ってしまう。
「ゲンジ——」
見送ると決めたはずなのに、まだ迷ってしまう。
戻るなんて言うなよ、今まで通り面白おかしく生きようぜ、と言いかけて口を閉じる。
元の時代への帰還は源二が自分の意志で決めたことだ。誰かに強制されたものではない。
もし、源二が戻るべきとも思わず、アーサーに無理やり帰れと言われたのであればヨシロウはアーサーのBMSにPASSを送り込んででも源二をこの研究所から引っ張り出しただろう。だが、源二は自分から帰るべきと定義づけて帰還することを決意した。その意志を捻じ曲げるわけにはいかない。
遅れて立ち上がり、ヨシロウも源二と並んでタイムマシンルームへと向かう。
そのタイムマシンルームの一つ手前の扉で、研究員が足を止めた。
「お連れ様はこちらの部屋にお入りください」
「え——」
研究員の言葉にヨシロウが凍り付く。
源二とはここで道が分かたれるのか、と思った瞬間、ヨシロウは声を上げていた。
「ゲンジ、戻るなよ!」
ヨシロウの精一杯の慰留。覚悟は決めたつもりでも、いざその時が近づくと声を出さずにはいられない。
また戻ってくるとは約束したが、それでも源二がいない時間が考えられない。
「お前にはユキノさんがいるだろ」
ヨシロウの慰留の言葉に、源二が苦笑する。
「それに永遠の別れじゃないって。ちゃんと戻ってくる、信じろよ」
「だが、タイムマシンが事故を起こさないとは断言できないだろ! もし何かあったら——」
「事故が怖くても車には乗るだろ。同じことだ」
そんなもの、もう覚悟の中に織り込み済みだ、と源二がヨシロウの肩を叩く。
「暫くのお別れだが——元気にしてろよ」
源二の言葉に、アーサーがヨシロウを促して部屋の中に入っていく。
源二も研究員に促されてタイムマシンルームに入り、誘導されるがままにタイムマシンの転送ステージに立った。
「時間錨はお持ちですか?」
研究員の確認に、源二がポケットからカードを取り出してひらひらと振る。
ぐるり、と室内を見回すと、先ほどヨシロウとアーサーが入った部屋が見えた。
大きなガラス窓越しに見えるヨシロウに向けて、源二が片手を挙げる。
ヨシロウがガラスに張り付いて何かを言っているが、ここには届かない。
「……バカだな、ヨシロウは」
——ちゃんと戻るって言ってるだろ——。
そうでなければ嘘でもタイム・アンカーを受け取ったりなんかしない。源二には明確にこの時代に戻る意思がある。
そんなことを考えていると、研究員が転移のための諸元を打ち込み「準備ができました」と声を上げる。
「それでは、転送を開始します。カウントダウン、10、9、8——」
その声と共にステージの前に設置されたモニタにカウントダウンの数値と転送先の時間、座標が表示される。
数字を見ただけで緯度経度を理解することは源二にはできなかったが、転送先の時間はこの時代に来る前の直後——あの交通事故の数分後になっている。
「——3、2、1、転送開始」
その瞬間、源二の頭上で放電を始めていたコイルから莫大なエネルギーが迸った。
光の奔流が源二を包み込み——何事もなかったかのように掻き消える。
エネルギーの余韻を放つコイルと、静まり返ったステージ。
「タイム・アンカーの信号確認——転送成功です」
落ち着き払った研究員の声。
周囲の研究員も落ち着いた様子でタイムマシンの状態を確認する。
「……未来のために過去に戻る——ね」
ぽつり、と研究員の一人がそう呟いた。
◆◇◆ ◆◇◆
タイムマシンが起動し、エネルギーの放出が終わった後に源二の姿はなかった。
それを見届けただけで、ヨシロウはぽっかりと大きな穴が開いたような錯覚を覚えた。
「……」
ゲンジ、と名前を呼ぶこともできない。
別れって、こんなにあっさりしてるんだな、と窓から離れる。
「タイム・アンカーの信号が確認できたようです」
ヨシロウを安心させるかのように、アーサーが声をかけてくる。
「後はヤマノベさんがタイム・アンカーを起動してくれるのを待つだけですね。それがいつになるかは分かりませんが——」
タイム・アンカーの時空絶対座標はこの時代の時間と連動しているので、と続けるアーサーに、ヨシロウは軽く会釈して部屋を出ようとする。
「……これでよかったんですかね」
本当に、源二を帰還させて良かったのだろうか。
それだけが、心に引っかかる。
「本人が戻りたい、と言っていたならその意思を尊重するのが正解です。我々はその背を押すだけですよ」
そう言い、アーサーが「それでは戻りましょう」とヨシロウの横に並んだ。
◆◇◆ ◆◇◆
帰宅し、ヨシロウががらんとした室内を見る。
別に荷物や家具を処分したわけではないからがらんとした、というのは語弊があるかもしれない。だが、主の一人を失って静かになった部屋は確かにがらんとしていた。
リビングをぐるりと見まわし、キッチンに入る。
使い倒されて少々くたびれた雰囲気を見せるフードプリンタと、その横に置かれた調味用添加物の棚を見ると、それを使いこなせる人間はもういなくて、全て自分でやっていくしかないという現実を突きつけられる。
ゲンジ、と呟こうとしてヨシロウはその名前を飲み込んだ。
口にしたところで源二は戻ってこない。戻ってくるとは言ったがいつとは言っていない。
数日後なのか、それとも数年後なのか——。
今はそれを信じるしかない。源二が元の時代に帰ったからとその喪失感に打ちひしがれていたら「げん・コーポレーション」の運営に支障が出る。
CEOの引継ぎはもう済ませてある。今はヨシロウが「げん・コーポレーション」の頂点。
本社ビルの建設は進んでいるが、ヨシロウはケントのようにその最上階で生きるということは考えていなかった。源二を保護する前から住んでいたこの安い賃貸マンション、それで十分だ。
高いところからの眺めはぞわぞわする。やっぱり俺は地を這って生きるのが身の丈に合ってるよ、と思いつつフードプリンタを起動する。
調味用添加物の棚から幾つかの添加物の容器を取り出し、慣れた手つきで調合する。
源二のようにいくつもの料理はまだ作れないが、ヨシロウにはヨシロウなりのレシピがあった。
BMSのメモ帳に記したレシピ通りに添加物を調合し、フードプリンタに投入する。
暫くすると、ライスが出力され、続いてもう一つの料理も出力開始する。
待つこと数分。出来上がった料理をライスの上に盛り付け、ヨシロウは「よし」と呟いた。
テーブルに移動し、スプーンを手に取る。
一口食べると、塩味の奥に甘味が顔を覗かせ、続いてピリッとした辛みが口の中に広がる。
「……やっぱゲンジの飯には負けるが、これはこれでうめえんだよな……」
噛むと、肉の風味も味の中に混ざりこみ、えも言えぬ満足感が広がっていく。
続いてライスも口に入れると、丼もの特有の「タレの染み込んだライスの味」が口いっぱいに広がり、ヨシロウは無言で料理を掻き込んだ。
初めて自分一人で全ての調合を済ませ、源二にも「この時代の味」と褒められたヤキトリドンは、自分で作った割にはおいしかった。
今では「食事処 げん」でも「ヨシロウスペシャル」と名付けられて提供されている人気メニュー。
「……もっと、ゲンジに色んな料理食わせたかったな」
永遠の別れではない。源二は必ず戻ってくる。
そう、自分に言い聞かせ、ヨシロウはフードプリンタに視線を投げた。
「——戻ってきたときにもっと色んな飯作って驚かせてやるぜ」
調味用添加物の調合という文化は始まり、広がったばかり。
それなのに一部ではもう「オリジナル調合レシピ大会」というコンテストも開かれているという。
それなら、源二が戻ってきたときにこの時代のオリジナルレシピがもっと増えていれば喜ぶはずだ。
「待ってろよ、ゲンジ。お前が夢見たこの時代の味、もっと作ってやる」
新しい時代は始まったばかり。それなら楽しまなければもったいない。
いつまでも感傷に浸っている場合じゃないな、とヨシロウは空になった丼を前にそう呟いた。




