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第118話「手渡されたバトン」

「ここにいたか」

 

 パーティーも終盤、ヨシロウが店の外——窓から店内が一望できる場所に立っている源二に声をかけた。

 

「おう、ユキノさんとの話は終わったのか?」

「あいつ、全然折れなくてさ——結局、互いに荷の重いハッキングをするときには声をかけるところから、で収まったよ」

 

 疲れた……と脱力するヨシロウに、源二が笑って道路の方に向き直る。

 傍に立つ街灯——に見せかけたディフレクターシールド発生装置を見上げ、口を開く。

 

「俺、明日帰ろうと思うんだ」

「え——」

 

 ヨシロウにとっては寝耳に水の話だった。

 元の時代への帰還はいつでもいい、時間錨(タイム・アンカー)は渡すが帰還せずにこの時代にとどまってもいい、と言われてからの源二はいつもと変わらず店を営業していたからてっきり戻る戻る詐欺だけして戻らないつもりだと思っていた。

 

 ——いや、それはヨシロウの願望だ。源二は何度も戻った後のことを口にしていたし、「戻るべきだ」とも言っていた。ただ、それが様々な業務に追われて延び延びになっていただけだ。

 

「お前……俺の心の準備が」

「何言ってんだよ、もう何日も経ってるし、それに俺はこの時代と往復するって言っただろ」

「だが」

 

 ヨシロウが言いよどむ。

 源二が元の時代とこの時代を往復する、と言っていたのは事実だ。ただ、その往復タイミングは全て源二に一任されている。源二がやっぱり戻るのをやめた、とタイム・アンカーを使わない、それどころか破壊することも自由。

 

 それがヨシロウにとって恐ろしかった。自分は源二の時代に付いていくことはできない。それはアーサーに止められている。タイムマシン自体の安全性は確保できていても、時間の矢印(タイムライン)にかかる負荷や影響はまだ調査中だ。何度も実験をして、現時点で何の兆候も出ていないから問題ないと判断するにはまだ判断材料が少なすぎる。それに自由に時間の移動を許してしまえば、それこそ「親殺しのパラドックス」など時間に関わる矛盾する結論(パラドックス)が発生してしまう。そのため、アーサーはヨシロウの時間移動を認めなかった。見送りは許されているが、それでもタイムマシンそのものに近づくことは許されていない。

 

「——で、ヨシロウ」

 

 ヨシロウに向き直った源二がポケットを漁り、小さな金属ケースを取り出した。

 

「これをお前に」

「お前——」

 

 ケースを受け取り、ヨシロウがふたを開ける。

 そこに入っていたのは、緩衝材のウレタンに守られた小さな記憶媒体。

 

「この時代で俺が作った全てのレシピをそこにコピーしてある。手書きのマスタデータと、それを誰でも調合できるように翻訳したデータベースだ」

 

 一辺1センチメートルにも満たない小さな盤。ハッカーとして常にPCに触れているヨシロウだから分かる。これは不揮発性メモリと言われつつも時間経過でデータが消失してしまう安価なメモリではない。量子構造を利用し、データ自体も量子化して無電源時のデータ揮発を極限まで封じ込めた、この時代でも最新鋭の量子ハードディスクだ。最新鋭でありながら接続規格は汎用的なものを採用しているのでデータを読むためにわざわざ量子コンピュータを購入する必要すらない。

 

 そんな量子ハードディスクに、源二はこの時代で作り上げた全てを保存しているという。

 

——こんなもので。

 

 一瞬、ヨシロウは量子ハードディスクを地面に叩き付けたくなる衝動を覚えた。

 

 これを壊してしまえば、源二のレシピは源二のBMSにあるものがマスタデータになる。調合添加物の量産のために調合表自体は既に開示されているが、それでも源二が作り出したレシピの全てではない。

 

 だが、実行に移すことはできなかった。そんなことをするのは源二に対する裏切りだ。戻るべきと言っている人間に戻るなと言ったところでいいことなど一つもない。

 それでも、ヨシロウは源二に戻るなと言い切りたかった。スラム街で源二を見つけたときのこと、調味用添加物を買ってくれとねだられたこと、初めて源二が作ったライスを食べたときのこと——今でもはっきりと思い出せる。

 

 あれから一年にも満たない間に様々なことがあった。その一つひとつが大切な思い出で、今まで生きてきて一番充実していた時間だった、と思う。

 

 源二が元の時代に戻る——「食事処 げん」は残っている。「げん・コーポレーション」もメガコープとして成長を続けている。源二が元の時代に戻ることで自動的にヨシロウがCEOの座に座ることになるのは暗黙の了解だが、ヨシロウはその椅子が自分にとって心地よいものではない、と思っていた。

 あの席に座っていいのは源二だけだ。自分はその隣に立てればいい。

 

 そう思うのに、源二は「明日帰る」と宣言した。

 本当は俺のことなんてただの都合のいい駒だったのだろうか——その思考が脳内を支配しかけ、ヨシロウは違うと首を振った。

 

 源二はそんな器用なことができる人間ではない。頼ってくれたことも、相棒だと言ってくれたことも全て事実だ。その上で、源二は元の時代に戻ろうとしている。

 先ほどの、ユキノを交えた会話を思い出す。

 

——ヨシロウ、お前には同じ時代のパートナーが必要だよ。

 

 源二はこの時代の異物である。完全にこの時代に馴染んでいるように見えても時代を超えたギャップや価値観の違いは存在する。

 だから、同じ価値観の中で生きろと。

 

 ケースの蓋を閉じ、ヨシロウはそれをポケットにしまった。

 

「『げん・コーポレーション』の最高機密として何があっても守ってみせる。流石にこれは『スノウフォックス』にも奪われるわけにはいかないな」

「だから味方に引き込んでおけってこった」

 

 ——まさか、こんなところでユキノとの提携を認めざるを得なくなるとは。

 

「しゃーねーな、ユキノも『げん・コーポレーション』のセキュリティ顧問として雇うか」

「あら、風が変わりましたね」

 

 唐突に女性の声が響き、ユキノが二人の後ろに立つ。

 

「表向きは『げん・コーポレーション』のセキュリティ顧問、裏ではおイタをするクラッカーに鉄槌を下す正義の白狐、それも面白いですね。ぜひともお受けしたいところです」

「いいんかよ、お前はビッグ・テックの子飼いだろうが」

 

 ヨシロウが振り返りながらそう言うと、ユキノはにっこりと笑って首を振る。

 

「別にビッグ・テック専属ではありませんよ。今回のタイショーの件で一時的に雇われていただけです。報酬さえよければ他の企業にも行きます——が、『げん・コーポレーション』の報酬が一番おいしそうなので骨を埋めるのも悪くないかと」

 

——おいしい括弧物理括弧閉じるかよ。

 

 「スノウフォックス」もまた、「食事処 げん」に魅了された一人だと思うとヨシロウもなぜか嬉しくなってくる。

 ただ利害が一致するだけではない、趣味も少しは合うのならもう少し気楽に付き合ってもいいかもしれない——ふとそんなことを考え、ヨシロウは慌ててその思考を振り払った。

 

「ん? どうしたヨシロウ」

「な、なんでもない!」

「顔が赤いぞ」

 

 源二に茶化されて、ヨシロウが「バカ!」と吐き捨てる。

 

「正直、ゲンジには帰るなって言いたいが帰りたいならちゃんと見届ける! 『げん・コーポレーション』も任せておけ、ちゃんとCEOとして全うしてやるよ!」

「ああ、期待してるぞ、イナバCEO」

 

 無理やり話を変えたヨシロウに合わせて頷き、源二もユキノを見る。

 

「ユキノさん、ヨシロウを頼みますよ」

「ええ、もしイナバがタイショーのレシピに何かしようとしたら最高威力のPASSでぶっ飛ばします」

「やめろ、脳が焼けるだろうが」

 

 そんなことを言い合いながら、三人は朗らかに笑う。

 

 こんな時間がいつまでも続けばいいのに——そう思っているのは三人とも同じだった。

 だが、三人でこの道を歩くことはできない。

 

 その覚悟は決めた。

 それでも、この一瞬だけは肩を並べていたい。

 

——このまま時間が止まればいいのに。

 

 そう、思ったのは誰だろうか。

 そんな願いを秘めたまま、時間はゆっくりと、確実に進んでいた。

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