第116話「笑顔に囲まれ」
その日の「食事処 げん」トーキョー本店はいつになく盛り上がっていた。
普段から賑やかな店舗ではあったが、それに輪をかけて笑い声が絶えず、客たちが相席をものともせず料理を楽しんでいる。
「タイショー! 『げん・コーポレーション』設立おめでとう!」
常連の一人が水の入ったコップを掲げてそう声を上げると周囲の客も「おめでとう!」とそれに応じる。
「いやー、まだまだこれからだがな」
輪の中心で、源二が笑いながら水を飲む——が、それは味覚投影でビール味に変換されている。
周囲の人間もそうだ。「食事処 げん」ではアルコールを出さないので全員が思い思いの酒を味覚投影して乾杯している。
「タイショーが誘拐されたと思ったらトントン拍子で『げん・コーポレーション』設立、そこから『食事処 げん』全国展開、さらにいくつもの中小企業を取り込んで今じゃ食品系メガコープの三位に迫ってるって? やるなタイショー」
「いやあれは上位三位が強すぎただけで四位以降はメガコープと言っても小規模だったしな。しかも三位のペッパーフィッシュが解体されたらそりゃー俺にもチャンスはできるよ」
様々な事後処理に追われ、慌ただしくしていた源二のスケジュールが落ち着いてきたのは年末も差し迫った十二月の末だった。しかし、夏に初めてベジミール社がアプローチをしてきたことを考えるとまだほんの数か月しか経過しておらず、とんでもなく濃密な時間だったのだと源二はここで初めて実感した。
元の時代なら店の計画からオープンまで数か月以上かかるところ、わずか数週間から一か月で全店オープンにこぎつけただけではなく、「げん・コーポレーション」の設立から今の規模に落ち着くまでもわずか数か月。各種行政がスピーディに動いた、とも考えられるが、その裏でベジミール社やビッグ・テック社が動いていたのだろう、と考えると流石企業時代、やることがえげつない、とさえ思ってしまう。
とにかく、設立回りのドタバタが一区切りついた頃を見計らい、常連が「げん・コーポレーション」設立おめでとうの会を計画した次第である。
オープンからこの時間まで、常連どころか初見の客もひっきりなしに店を出入りし、立食スタイルでテーブルに並べられた思い思いの料理を口にする。
今日の源二は厨房に立っていない。主役は源二だとばかりに常連に囲まれ、源二は何度も水で乾杯に応じていた。
「タイショー! 唐揚げできました!」
アキラが皿に山盛りの唐揚げをテーブルに置き、次の皿を運ぶために厨房に戻る。
普段なら配膳は配膳用のドローンを使うところではあったが、今日ばかりは客が密集しすぎていて人間が運ばないと何が起こるか分からない。
料理に関しては、「食事処 げん」がチェーン展開すると決まった直後に全店が同じ味を出せるように、と調味用添加物の調合カプセルを量産する体制に入っていたため店内に在庫はたくさんある。このカプセルはただ投入するだけでいいので源二以外でも簡単に扱えるため、今は厨房担当がせわしなく動いて料理を出力している。
今のところはカプセルの量産を幾つかのラボに委託して行っているが、専用の工場の建設も進んでおり、年明けには稼働するだろう、と見込まれていた。
この時代の建設スピード凄いなあ、などと進捗を聞いた源二はそう思ったものだが、あらゆる準備が滞りなく進んでいるのは聞いているだけで気持ちがいい。
「しかし、ゲンジがベジミールに拉致された直後の集まりもヤバかったな。ちょうどこんな感じで常連が密集してな」
届いた唐揚げを貪りながらヨシロウが呟く。
「それだけゲンジは皆に愛されてるってことだ、自覚しろ」
「愛されてる、ねえ……」
ぐるりと周りの常連を見回し、源二も呟く。
ヨシロウが何を言わんとしているのかはなんとなく想像できた。
——お前がいなくなることで悲しむ人間は多いぞ——。
源二も分かっていた。この店に来る常連はこの店の料理がおいしいからだけではない。
この店の店主——山野辺源二という男の人柄に惹かれ、足を運ぶ。
実際のところ、「食事処 げん」の味を味わえるのは店だけではない。ベジミール社やアジトモ社がコラボフードを販売しているから味を楽しむだけなら家でもできる。
それでも人々が店に足を運ぶのは大衆食堂というものが常連の情報交換の場であり、憩いの場であるからだ。特に、「食事処 げん」は店主が客一人ひとりに真正面から向き合ってくれる時もあり、人々は時には店主に悩みを打ち明け、時にはその場にいた常連とくだらない世間話をして、癒しの時間を過ごしていく。
そういった点では源二が元いた時代——よりさらに前の時代、元号が「昭和」と呼ばれていた頃の大衆食堂の流れをこの時代の食堂は引き継いでいる。プリントフードだからどこで食べても同じである分、気に入った店で常連と語らう——それは人々にとってストレス発散の一つであった。
そんな未来の食堂事情が源二が目指す理想の食堂像と合致したのは大きい。
源二は多くの客を食で癒し、客も源二を慕い、店に通う。
そう考えると、源二の「戻るべき」という決意は揺らいでしまう。往復できると言われても、そもそも帰らなくてもいいのではないか——そう思ってしまう。
「でもさー、ヨシロウの演説も沁みたがそれ以上にスミさんの秘密兵器はヤバかったよな」
ゲンジ奪還作戦の話が出たことで、常連の一人がふとそんなことを口にする。
「スミさんの秘密兵器?」
カスミの名前が出たことで、源二の視線が無意識にカスミの姿を探す。
カスミはというと少し離れたところで丼に盛られたライスの上に好きな料理を次々と乗せてオリジナルの丼ものを作っていた。
全身義体の傭兵とはいえ、客として来ている間はとても穏やかで常連の中でも人気のあるカスミの秘密兵器——一体何を持ち出したのだ、と気になるが、何故か聞いてはいけない気がする。
「まさかワサビズシガトリングなんてものを開発してるとは思わなかったな」
「なー! あれでベジミール壊滅してたもんな」
「え、なにそれ聞いてない。ワサビズシガトリングって何」
常連たちの口から聞き捨てならない言葉が出てきて、源二が食いつく。
「あー、スミさんが持ち込んだガトリングがワサビをぶちかますものだったんだよ。ほら、ワサビってツーンと来るだろ? あれでベジミールの兵隊が次々とな……」
「……」
一瞬、源二の表情が固まった。
いや、分かっている。源二もワサビズシをお仕置きに使うから他人のことは言えない。言う権利がない。
しかし、よりによってガトリングの弾にして撃ち出すとはどういう了見だ。
結果としてベジミールの兵士が動けなくなり、こちら側もとどめを刺さずに拘束するにとどめたという、双方の被害が最小限に食い止められたことに関しては感謝したい。しかしその立役者がワサビと聞くと「ワサビに罪はない!」と思ってしまう。
源二の視線に気づいたか、カスミがこちらを見て嬉しそうに笑う。
様々な総菜を大量に乗せた特製の丼を手に、カスミが源二の前に歩み寄った。
「タイショー! この度はおめでとさん!」
満面の笑みで祝福してくるカスミに対し、源二は苦笑いを浮かべている。
「スミさん……。ワサビズシガトリングって何」
「あー、俺とツムグさんで開発した非殺傷制圧兵器」
あっけらかんとして答えるカスミ、頭を抱える源二。
「ツムグさんか! あの人ならやりかねん!」
闇B・ドックのBMS技師であるツムグは源二の味覚投影オフ料理を一般の客とは違う視点から興味を持っていた。具体的には味が脳に対する刺激について実験してみたい、と常々言っていた。そこから独自に調味用添加物を組み合わせるという実験を誰よりも早く始めていたが、まさかワサビの調合を独自に発見してしまうとは。
ツムグからすれば「この添加物は脳にこの刺激を与える」という分析からアプローチした調合だろうから源二が取得した特許を侵害することはないはずだ。そこは安心していいが、刺激の分析からワサビを再現し、あまつさえ兵器転用してしまうとは。
「ツムグさん、怖い……」
苦笑しながら源二が呟く。しかし、ツムグのアプローチ方法なら添加物の禁忌の組み合わせももう把握していて兵器転用できそうなものなのに、そうではなくて敢えてワサビを使ったことに優しさを感じる。
あの時、ゲンジ奪還作戦に参加した面々は源二を救出したいだけでベジミール社の人間を殺したいわけではなかった。死傷者ゼロというわけにはいかなかったが、それでも大規模な戦闘が繰り広げられたにもかかわらず被害が最小限だったのは「奇跡の反乱」としてメディアでも報道されている。
「ま、結果だけ考えたらワサビズシガトリングが最適解だったんだよな……。なんか複雑だが」
「なーに言ってるんだゲンジ、お前がワサビズシを武器にしなかったら誰も武器にしようなんて考えんかったわ!」
お前のせいだぞ、と脇腹をつつくヨシロウに源二の苦笑がさらに苦いものになる。
身から出た錆、もうワサビズシをお仕置きに使うのはやめよう——そう源二は思うのだった。




