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第115話「新たな伝統への扉」

 再び飛行車両(FV)に乗ってトーキョー・ギンザ・シティに戻り、源二とヨシロウは自宅のあるマンションの前で降ろされた。

 

「錨はお渡ししましたので、あとはお好きなタイミングで声をかけてください。アンノに言っていただければすぐに手配しますよ」

「……っす」

 

 相乗りしていたアンノが拗ねているように見えるのはヨシロウにPASSをぶちかまされたからか。

 あれはあんなことを言ったアンノが悪いんだけどなぁ、と思いつつ、源二は飛び去るFVに手を振り、ヨシロウと共に家に戻る。

 

時間錨(タイム・アンカー)ねぇ……」

 

 ジャケットから透明なカードを取り出して表裏に刻まれた模様を眺め、源二が呟く。

 

「いつでもいい、となると何か悩むなぁ……」

「本音は戻りたくないからか?」

 

 ヨシロウが尋ねると、源二がああ、と頷いた。

 

「あの時戻る覚悟でいたから、逆にいつでもいいと言われるとじゃあいいかって感じになる。本当はダメなんだが、ついつい甘えたくなるなあ……」

「じゃあ残ればいいだろ」

 

 そう言って、ヨシロウがテーブルに置いた小瓶を手に取り、中に入っていたキャンディを一粒口に放り込む。

 

「俺はお前が元の時代に戻る必要はないと思ってる。むしろ、この時代になくてはならない奴だってのは俺でも分かるぞ」

 

 ほら、とヨシロウが源二に小瓶を渡す。

 源二もキャンディを一粒口に放り込み、まあな、と頷いた。

 

「どうせ戻ってもあの会社に退職届叩き付けて、いつもの蕎麦屋に弟子入りしようと思ってるくらいだもんな……。雇ってもらえるかどうかも分からんし……」

「だったら猶更戻らなくていいだろ。ほら、今日の夜食は俺が作ってやるからお前はそれ食って明日の準備をしろ」

「……へーい」

 

 台所に向かうヨシロウの背を見送り、源二はぽすん、とソファに座り込んだ。

 戻る道はできた。あとはそこに踏み出す勇気だけ。

 だが、こうやって背中を押されているようで見守られてしまうとどうしても日和ってしまう。

 

「いつでも戻れる、か……」

 

 向こうでやるべき最低限のことだけ終わらせてこちらに戻ってきてもいい。時々元の時代に戻って両親に会うだけでもいい。

 そう思い、源二はいや、と首を振った。

 違う。今、自分が何をしたいかと言えば料理だ。

 包丁を握り、本物の食材を料理へと変えていくあの流れをもう一度やりたい。

 

 それはこの時代でもケントの厨房に入らせてもらえば叶うことだが、それなりの料理でも評価されてしまうこの時代ではなく、本物の味を知る人間たち、料理に魂を懸ける料理人たちとしのぎを削りたい。

 

 確かに評価はされたいが、欲しいのは約束された勝算ではなく、自分で掴み取った頂点だ。

 この時代で得た知識をいかに活かして前に進むか——源二はそれを望んでいたはずだ。

 

「……考えるまでもないな」

 

 元の時代には戻る。事務処理もあるからこちらにも戻っては来るが、自分の本来の居場所は元の時代だと源二は考え直す。

 そのタイミングで、ヨシロウが両手に丼を持ってリビングに戻ってきた。

 

「ゲンジ、夜食だ」

「何にしたんだ?」

「それは食べてのお楽しみ。俺だってただお前の料理を食ってるだけじゃないからな。お前の口に合えばいいが、自信はねえな……」

 

 最近、ヨシロウは源二の真似をして調味用添加物の調合にチャレンジするようになっていた。

 まずは基本となる料理を幾つか調合して調合のルールを学び、次いで禁忌の調合をBMSに叩き込まれる。これは悪用すれば他者に危害を加えることもできるが、知らずに調合して他者を傷つけてはいけないからと敢えて教え込まれている。裏社会の人間であるヨシロウからすれば調味用添加物という普遍的なものから毒物ができあがる、ある意味攻撃手段が増える話ではあった。しかし源二の料理に対する熱意を知っているヨシロウは知っていても自分の身を守ること以外では使わないようにしよう、と誓っていた。

 

 そうやって安全な組み合わせ、危険な組み合わせを身に着けたヨシロウは実際に調合を行うようになり、今、源二に料理を出すまでに至っている。

 

 初めは劇的にまずい組み合わせを引き当ててしまい、二人で顔を見合わせたが、慣れてきた今ではささやかな楽しみの時間となっている。

 だからこそ、ヨシロウは源二に戻ってほしくないと思っていた。

 せっかく調味用添加物の調合を理解したのに、食べてくれる仲間が減ってしまうのは惜しい。

 

 そんなことを思いながらもヨシロウはローテーブルに丼を置く。

 

「データベースにあったヤキトリドンってのを試してみた。あれだろ、ライスにヤキトリを乗せたってならヤキトリを作るだけで行ける……はず!」

 

 目の前に置かれたヤキトリドンは、源二が記憶する焼き鳥丼と変わりがなかった。ライスの上に乗せられた、たれがたっぷり絡められた焼き鳥。そのたれがライスに染み込んでおり、源二の唾液腺を刺激してくる。

 

 匂いは——醤油と砂糖が焦げた香ばしい匂いがする。

 ヨシロウの奴、俺よりウォーターフレーバーの扱いうまいんじゃないか、と思いつつもスプーンにヤキトリを乗せた。

 

「ヤキトリの調合はお前のデータベース見てないからほぼ勘だぞ? 変な味がしても文句言うなよ」

 

 やや緊張の面持ちでヨシロウもヤキトリをスプーンに乗せる。

 

『いただきます』

 

 二人は同時にヤキトリを口に入れた。

 もぐもぐと咀嚼し、一口目を喉に流し込む。

 

「……」

「……」

 

 沈黙が二人の間に流れる。

 ヨシロウは源二の反応を窺うために、源二はヨシロウの調合をしっかりと味わうために。

 どうだろう、失敗だったか、とヨシロウの心が揺れたそのとき。

 

「いいなこれ。この時代の焼き鳥って感じだ」

 

 源二が楽しそうに声を上げた。

 

「この時代の、ってことはお前の味の再現はできてないか……」

 

 しょんぼり、といった様子でヨシロウが肩を落とす。

 だが、源二はそれとは正反対に嬉しそうな顔で次々とヤキトリドンを口に運んだ。

 

「いや、マジでうまいぞこれ。ヨシロウスペシャルで出してもいいくらいだ」

「だがお前の味……」

 

 ヨシロウとしては源二の味を完全再現したかったのだろう。だが「この時代の味」と言われてすっかり意気消沈している。

 

「何言ってるんだ。俺はお前に俺のコピーを作ってもらいたいとは思ってねえよ。必要なのはこの時代の味だ、模倣品じゃない」

「ゲンジ……」

 

 必要なのはこの時代の味。

 そう言われると、何故か納得できてしまう。

 源二はオープンする「食事処 げん」の各店舗に言っていた。

 「調合は自由にしていい、これぞという料理ができたら店のオリジナルメニューとして出していい」と。

 

 必要なのは源二が再現した旧時代の味ではなく、今の時代に合わせた味なのだ、と。

 ヨシロウは源二の味を再現したいと思っていたが、源二の言う通りそれはただの模倣だ。

 

 しかし、その一環で新しい味が生み出されたというならそれはこの時代が必要としているものだ、と源二はヨシロウの調合にケチをつけるどころかこれでいい、と受け入れていた。流石に食べるに堪えられない味は「これはやめとけ……」と言っていたが、そうでなければ大抵うまいと言って平らげてしまう。

 

 そんな源二が「ヨシロウスペシャルとして出してもいい」と言ったのは源二なりにこれは当たる、と判断したのだろうか。

 

「……いいのか?」

 

 恐る恐るヨシロウが尋ねる。

 源二が満面の笑みで大きく頷いた。

 

「こういう味を俺は求めてたんだよ。この時代の人間が調合する、この時代ならではの味。俺が再現した味はまずこれを知っておかないとどんな味が作れるか分からない人のためのチュートリアル。言わば守の部分だ。これが理解できれば次は破。お前はそこに踏み込んだんだよ」

「守破離、か?」

「ああ、何かを極めるには不可欠な概念だと俺は思ってる」

 

 伝統を守り、それを破り、離れて新たな伝統を作る——。その流れの美しさはどの時代も変わらない。

 ヨシロウが作ったヤキトリドンは、確かに新たな伝統を作るための一歩手前の段階——破に踏み込んでいた。

 

 これはもう俺の役割は終わったかな、と源二は考える。

 今、この時代に必要なのは過去を知る人間ではない。過去から未来を生み出す人間なのだ。

 

「……ヨシロウ、」

 

 真剣な顔になり、源二が声をかける。

 

「期待してるぞ」

「——ああ」

 

 交わした言葉は少なかったが。

 源二の期待をしっかりと受け止め、ヨシロウは大きく頷いた。

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