第113話「帰りの切符は」
「いやー、ビッグ・テックのトーキョー本社に入るのは俺も初めてなんですよ」
ビルの前で待ち構えていた秘書らしき人間に案内されて歩きながら、アンノが興奮したような声を上げる。
「あの空爆の時までマジで俺は雇い主がビッグ・テックだと思ってなかったんですよ。まさかABCの一社が路頭に迷っていた俺を拾うなんて——」
最初は使い捨ての駒として「食事処 げん」を——源二を探っていたアンノは、今ではビッグ・テック社と「食事処 げん」をつなぐ大動脈として機能している。あの空爆騒動で源二を全面的にバックアップしたビッグ・テック社は源二の信頼を勝ち取り、「げん・コーポレーション」の最大出資者として多額の資金を提供していた。
源二とのパイプ役としてビッグ・テック社と正式に雇用契約を結んだアンノではあったが、よほどの立場の人間でもない限り本社ビルに赴くことはない。今回、源二を呼ぶために動員されたアンノは初めて目の前にしたビッグ・テック社のビルを前に、興奮が隠せないでいた。
「アンノ、落ち着け」
源二が苦笑しながら自動ドアをくぐり、エントランスに足を踏み入れる。
「これはこれは。よくぞお越しいただきました」
エントランスにはCEOであるアーサーが自ら待ち構え、エントランスに入ってきた源二に駆け寄ってきた。
ぱっと見た年齢は壮年期も終盤に入った頃くらい、しかし義体技術や様々な医療技術が発展したこの時代、見た目はファッション感覚で変えることができる。とはいえ、富裕層や特権階級の一部の人間は自前の肉体こそ至高という生身絶対主義が広まっているのでアーサーがその思想を持っているのなら見た目通りの年齢とは言えるかもしれない。
源二よりはそれなりに歳を取っているように見えるアーサーだが、普段から適切な運動を行って健康管理をしているのか、動きにぎこちなさはない。
颯爽とした動きで源二の前に立ったアーサーは嬉しそうに手を取り、上下に振った。
「実際にお会いできるとは思っていませんでした。トーキョー・ギンザ・シティの暮らしはどうですか?」
開口一番、アーサーはそんな質問を口にする。
「ええ、快適ですよ。特にこの時代の寝具は一晩寝たらしっかり回復できるのがいいですね」
相手がアーサーなので源二も特に隠さない。
用件がタイムマシンの件で、源二がタイムスリップした人間だとアーサーも把握しているのだから、ここでごまかしても意味がない。
素直な感想を源二が口にすると、アーサーは自分のことのように笑って大きく頷いた。
「特にニホンのリフレッシュ設備に対する熱意はすごいですからね。私も貴方に会うためにニホンに来て驚きましたよ。早く我が国にも輸入したいものです」
「あー……。そういえばビッグ・テックの本社はアメリカでしたね」
ABCでまとめられる三社は元の時代で言えばGAFAみたいなものだと源二は認識していた。
そういえばGAFAもアメリカの企業だったな、やっぱりでかい国は会社の規模が違うな、などと思いながら源二はアーサーが「こちらへ」と踵を返すのを見ていた。
周囲を屈強そうなSPに囲まれながら堂々とした足取りで奥に向かうアーサーの後ろを歩き、応接室に入る。
並んで座った源二とヨシロウの向かいに座り、アーサーはゆっくりとした動作で両手を組んだ。
「私がお呼びした理由はもうご存じですか」
「ええ、タイムマシンの件ですよね?」
単刀直入に出された話題に、源二も素直に答える。
「私が旧時代からタイムスリップしたのを観測したから、ってのも分かってますよ」
「そう答えるということは、私の要望に全面的に協力すると?」
そう言ったアーサーの目は挑戦的だった。
源二はどう答える——。命にかかわることでも協力できるのか、とアーサーの視線は源二を挑発している。
「内容次第——ですかね。ゼリーにはなりたくないですから」
「ああ、旧時代のタイムリープ作品ネタですね。あれはタイムマシン開発にあたって参考にさせていただきましたから。旧時代のSFにしてはよくできている」
源二が元いた時代のネタも盛り込みつつ、アーサーは源二から目を離さない。
それを分かっていたから源二もアーサーを真っすぐ見据え、質問に答えていた。
この質問が出たということはやはりタイムマシン実験に参加させるつもりか。それも危険を伴う方法で。
いや、実験に参加させる時点で既に命にかかわるような問題はほぼクリアされているはずだ。ほぼ、というのは源二を転移させることによる不測の事態が読めない、というのであれば納得できる。いくら人体の転移に成功していたとしても、タイムマシンなしで転移した源二が何事もなく転移できるとは限らない。予測できない事故の可能性はいくらでもあるのだ。
「ゲンジ、やっぱり断った方が——」
隣のヨシロウが小声で話しかけてくる。
「よほどの話じゃない限り俺は受けるつもりだよ。多分、ある程度の安全は確保されてるはずだし」
「ええ、動物実験どころか生きた人間の転移実験も成功しています。送り込んだ時代からの回収も完了していますので片道切符にもなりませんよ」
二人の会話が聞こえていたのか、アーサーが穏やかな笑みを浮かべて二人の不安を解消する。
「え、もう完成してるんですか」
思わず源二がそう尋ねる。
尋ねてから、そうでなければあんなアプローチをしてくるはずがない、と思い出す。
「勿論。今回お呼びしたのは貴方に謝罪と、そのお詫びとしての元の時代への帰還を打診するためですから」
「え」
——実験の参加に対する打診ではなかった。
今、アーサーははっきりと「元の時代への帰還」と口にした。
タイムマシンは完成され、安全性も確保されている。過去に行くことも、未来に戻ることも可能で、片道切符にもならない。
当然、絶対というものは存在しないので転移に当たって何かしらの事故が発生する可能性はあるが、それは全て不慮のものでタイムマシンの不具合によるものではない——その自信から、アーサーは源二の帰還を打診している。
「まず、こちらの転移実験に巻き込んでしまったことをお詫びします。時空ゲートを開いた座標に異物が存在した場合、入れ替わるという現象を確認しております。また、その入れ替わりの際にオブジェクト同士が干渉して意図せぬ座標に弾かれてしまうようです」
「つまり、私がスラム街に転移したのも——」
「転移オブジェクトの干渉による座標ずれです。こちらが転移実験に利用したオブジェクトも違う場所に弾かれてしまったので回収が大変でしたよ」
一応、あの時代にあっても違和感がなさそうなものを転移させたので歴史上ではさほど問題視されなかったようですが、と補足し、アーサーはテーブルに置かれたコーヒーを飲む。
「オブジェクト干渉による座標ずれの問題も解消済みです。時間と座標さえ間違えなければ、貴方は元の時代に帰ることができます。悪い話ではないと思いますが」
「んー……」
アーサーの提案に、源二が考え込むようなそぶりを見せる。
元の時代に戻れる——それは源二としても願ったり叶ったりだ。元の時代に戻って、あのブラック企業を退職して、もう一度料理人の道を目指す——それが源二の願いだ。
だが、いざその権利を差し出されて、源二は迷ってしまった。
本当に戻ってしまっていいのか。この時代で築いた地位を捨て去ってしまっていいのか。
戻るべきだとは思っていた。自分はこの時代では異物だから留まり続けてはいけないと思っていた。
それでも、願ってしまうのだ。
もし、叶うなら——。
「……アーサーさん、」
躊躇いがちに、源二が口を開く。
「さっき言いましたよね、『片道切符ではない』と」
「ええ、言いました。同じオブジェクトを複数回往復させても問題が発生しなかったことも確認しています」
「それなら——私も往復できますかね」
「ゲンジ!?」
ヨシロウが立ち上がりかけて慌てて座り直す。
ここに来るまでの間、源二は完全に元の時代に帰るつもりでいたはずだ。
それなのに、「往復できるか」とは。
やはり、源二もこの時代に未練があるのか、そう思うと同時にヨシロウはほっとした。
源二はこの時代を嫌っていない。元の時代に帰るべきと言っているが、この時代も愛し、二つの時代で生きたいと思っている、それが垣間見えただけで胸が熱くなる。
源二が「げん・コーポレーション」を拡大する姿をまだ見続けられるかもしれない——その期待に、ヨシロウは源二の次の言葉を待つしかできなかった。




