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第112話「今、一番やりたいことは」

 アンノの案内で車に乗り込んだ源二とヨシロウはそれぞれ窓の外に視線を投げていた。

 源二は晴れ晴れとした顔でいるが、ヨシロウの心中は穏やかでない。

 

——どうすれば。

 

 ビッグ・テック社のCEO——アーサーが直接話したい、それも事前にアポイントメントを取るのではなく、こうやって乗り込んできたということを考えるとビジネスの話ではない。きわめて個人的な要件だと推測できる。

 

 そう考えるとタイムマシンの件ではない、と判断したくなるが、そうではないことをヨシロウは直感で確信していた。

 まず、源二が旧時代からタイムスリップしてきた人間であることは公表されていない。知っているのはヨシロウと、ケントなど一部の人間だけである。その中にアーサーが含まれているのはヨシロウも把握しているところであった。

 

 だからアーサーがタイムマシンの件で源二を呼んだことは考えられる。

 だが、ヨシロウの思考はそこにはなかった。

 

 あるのは「ゲンジはどうしたいのか」という一点のみ。

 源二は元の時代に戻りたいのだろうか、や、源二にはこのままこの時代に残ってほしい、そんな思いがぐるぐると脳裏を駆け巡る。

 

「なあ、ゲンジ——」

「ヨシロウ、」

 

 ヨシロウが源二に声をかけたタイミングで、源二も口を開いた。

 視線だけを動かすと、源二は首をヨシロウに向けて傾けている。

 

「なんか俺以上に迷ってる感じだな」

「それは、まあ……」

 

 なぜか歯切れ悪くヨシロウが答える。

 

「お前は……どうしたいんだ?」

「どうしたい、って」

「元の時代に戻りたいのか?」

 

 考えていても仕方がない。腹を括って単刀直入に訊く。

 その質問に、源二はそうだな、と苦笑した。

 

「正直、俺も迷ってんだよな」

「じゃあ——」

「でも、俺はこの時代の人間じゃない。元いる時代に戻る《《べき》》だとは思っている」

 

 戻る《《べき》》——。

 その言葉の強さに、ヨシロウは声が出なくなった。

 源二も、本当は戻りたくないのではないか、という思いが胸を締め付ける。

 

 べきなんて強い言葉を使うな——そう言おうとして、それでも喉元までこみ上げた言葉はそこで止まる。

 

「本音を言うと、まだ帰れねえよなとは思ってる。やること山積みだし、もっと色んな料理を再現したいし、この時代面白いしさ。だが——それでも俺はこの時代じゃ異物なんだ。元の時代で、本来やらなきゃいけないことをしなきゃという気持ちはある」

「……元からお前ってそういう奴だったもんな」

 

 気楽なようでいて、負うべき責任はしっかり背負う。それが山野辺源二という男だ。

 この時代に来た直後も直前まで持っていたという鞄や、その中の書類を気にしていた。

 話を聞けばかなりの社畜生活を送っていたようだが、敢えてその生活に戻るべきという源二に、ヨシロウは、

 

「もう、忘れろよ」

 

 そう、言い放っていた。

 

「ヨシロウ——」

「お前はもうこの時代にいなくてはならない人間だ。逆に言うと、もうこの時代の人間だ。今更元の時代に戻って社畜生活を送ることなんて——」

 

 ヨシロウの口から「社畜」という言葉が出た瞬間、源二が苦笑する。

 ひとしきり笑い、それからまじめな顔になってヨシロウを見た。

 

「元の時代に戻ったら会社は辞めるよ」

「え」

 

 思ってもいなかった源二の言葉にヨシロウが言葉に詰まる。

 

「会社を辞めて、元の時代でも店を出せるように——もう一度修行しようと思ってる」

 

 源二のその言葉には迷いがなかった。

 かなり前から決めていたようなはっきりとした物言いに、ヨシロウはまさか、と声を上げる。

 

「お前、始めから戻る気——」

「言っただろ、戻るべきだって。だから、もしビッグ・テックがタイムマシンのことで声をかけてくるなら覚悟を決めようと思ってた。今がその時だよ」

 

 源二としては戻る手立てがないのなら無理に探さずにこの時代に骨を埋める気でいた。

 だが、ビッグ・テック社がタイムマシンを開発している噂を耳にし、サイネージジャックを利用したメッセージを受け取ったことで帰る方法はあると確信した。

 

 方法があるのなら帰った方がいい。その方が時間軸に生じた歪みが消えて考えられるパラドックスも起こらなくなるはず——尤も、ビッグ・テック社が今後もタイムトラベルを行うというのであれば親殺しのパラドックスをはじめとするあらゆる問題は残り続けるが。

 

 とはいえ、源二も心の底から帰りたいとは思っていない。できることならこの時代に残り続けたいと思っている。

 それを源二自身が許さないのは、やはり元の時代が気になるからだろうか。

 

 両親のことも、勤め先のことも、気になることは多い。

 そこまで考えて、源二はふと、一つの考えに行きついた。

 

——もし、元の時代で抱えてる問題がすべてクリアできれば——。

 

 両親には自分が元気でいることを伝えて、その上で全て話せばいい。勤め先も辞めれば済む話だし、その先のことも一応考えていたが、それはこの時代でもできることである。交友関係はあの企業に就職してからほとんど切れてしまったことを考えると、源二に残された問題は数え切れる程度である。

 

 それなら——。

 

「……タイムマシンが片道切符じゃなければ、俺は元の時代に固執しなくてもいいのか」

「ゲンジ?」

 

 ヨシロウが怪訝そうな声を上げる。

 同時に、わずかな期待がヨシロウの胸に宿る。

 そうだ。タイムマシンが一度時間を渡ったきりで終わるとは確定していない。もし、時間の行き来が可能なら源二は元の時代とこの時代を行き来してどちらの問題も解決できる。

 

 元の時代では失踪者というステータスが解除されるし、この時代で「げん・コーポレーション」を拡大することができる。

 そうすべきだ、とヨシロウは期待を込めて源二を見る。

 

「……でも、悩むな」

「何がネックなんだよ」

 

 行き来できるなら悩むことは何もないはずだ、とヨシロウが尋ねると、源二はそれなー、と苦笑した。

 

「やっぱ、俺、料理がしたいんだなって」

「料理なんて散々こっちでもやってただろうが」

「いや、包丁を握って、本物の食材を使った、本来の料理がしたいんだなって」

「——」

 

 そう言われると、ヨシロウも反論できなかった。

 この時代に、本物の食材はほとんど存在しない。存在してもメガコープの最上位に近い人間しか口にすることができない。

 そんな時代で、料理をしようと思ったら——。

 

「でも、ベジミールの厨房でってのは違うんだよな」

 

 自分に言い聞かせるように源二が言葉を紡ぎ出す。

 

「俺はやっぱりいろんな人に分け隔てなく俺の料理を食べてもらいたいんだ。そうなると、トーキョー・ギンザ・シティでそれは叶わない。元の時代じゃないと無理なんだ」

 自分で包丁を握る料理と、フードプリンタから出力される料理。

 その差は大きい。

 

 もし、環境が許すのなら源二はトーキョー・ギンザ・シティでも包丁を握り続けただろう。だが、それが叶わないのであれば元の時代で包丁を握る。

 

 この時代の食事がプリントフードであるというのなら、それを曲げてまで料理をするということは源二にはできなかった。この時代の文化を尊重すべきだ。ただ、そこに調味用添加物があるというのなら、ほぼ忘れ去られているその使い方を少し広めて文化を発展させるための一石にするだけだ。

 

 実際、源二が調味用添加物を使いこなしたことでトーキョー・ギンザ・シティ、いや、日本全体の食文化に大きな変化が生じ始めた。

 

 「食事処 げん」やベジミール社の味覚投影オフ食品をきっかけに、調味用添加物の調合という波紋が広がりつつある。各店舗独自の料理が編み出され、家庭でも調味用添加物を購入する動きが始まっている。

 

 味覚投影ではない、本物の味覚で味わう料理の自由さに、人々は少しずつ魅入られていっていた。

 ここまでくると源二の役割もほぼ終わったようなものだ。だから、これからは元の時代に戻って思う存分料理をする。そう、源二は考えていた。

 

 この時代にも思い入れはあるのでただ帰りっきりにはしない。もし、許されるのなら二つの時代を行き来して互いの時代をより良いものにしていきたい。

 それができるのがビッグ・テック社だからと、源二はアーサーと会う心づもりを決めていた。

 

「なあ、ヨシロウ」

 

 再び窓の外に視線を投げ、源二が呟く。

 

「別にバッドエンドで終わることはないよ。人生の運の総量は決まってる。大体帳尻が合うようにできてんだよ。だから——多分、なんだかんだハッピーエンドに終わるんじゃないか?」

「だといいが」

 

 源二が気楽にしていてもヨシロウは気が気でない。

 本当に、源二の言うようにバッドエンドでは終わらないのか——。

 

 そう、考えたタイミングで車はビッグ・テック社の社屋の前に到着し、先に降りたアンノが後部座席のドアを開けた。

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