第109話「戦後処理は戦勝国のお約束」
源二の誘拐騒ぎとそれによる常連たちの徹底抗戦——通称「『げん』事変」から数週間は流石の源二も「食事処 げん」を回しきれず、あらかじめ調合しておいた調味用添加物をスタッフに託して自分は事務作業に回る、という日々を送っていた。
まずはベジミール社による資金提供周りの締結、それに意を唱えたアジトモ社が「食事処 げん」を買収しようとし、ベジミール社とアジトモ社の睨み合いが発生した。
一触即発の事態となった二社の睨み合いだったが——。
「ここで『食事処 げん』を泳がせて一般市民に元気を出させれば、最終的には我々の収益につながるのでは?」
「確かに、一理ありますね」
ケントの説得にアジトモ社が表向き折れた形となり、さらにより旨みを得たいと考えたアジトモ社はベジミール社と共に「食事処 げん」に出資することを決意した。
そこへもってさらに首を突っ込んできたのがビッグ・テック社である。
元から全面的に源二を支援すると宣言していたビッグ・テック社も出資——それもベジミール社、アジトモ社の提示金額を上回る金額を提示し、出資額だけで「食事処 げん」は小規模ながらもメガコープに名を連ねる企業へと上り詰めていた。
「やーべぇ、マジでやーべぇ」
自宅で次々送られてくる契約書の類——のホログラム映像に埋もれながら源二が目を回している。
「ぼやくなぼやくな。これが終わればお前も店に立てる」
源二のサポートで書類の確認を行いながらヨシロウが励ます。
「しかしベジミールとアジトモだけならまだしも、ビッグ・テックも介入してくるとは思わなかったぞ。しかもベジミールたちと違ってかなり俺たちに寄り添った条件提示だからやっぱり——」
「俺の信頼を得ておいてどこかでタイムトラベル実験に使いたい、ってことなんかねえ……」
ホログラム投影された書類を源二がさっと掻き分けると、それぞれが会社名等に応じて並べ替えられ、整然と積み重なる。
その山から一つの書類ファイルを呼び出し、源二ははぁ、とため息をついた。
「でもビッグ・テックが最大の出資者になったことでベジミールとアジトモは睨み合いこそできても抜け駆けはできなくなったんだよな」
「それな。下手に抜け駆けをすればビッグ・テックの制裁が飛ぶ。それこそペッパーフィッシュの二の舞になるんじゃねえか?」
結局、「食事処 げん」への空爆を敢行したペッパーフィッシュ社はメガコープ同士で結成された監査委員会「MegaCorpAlliance」より追放処分を受け、さらにMCAの要請を受けた行政が子会社に至るまで全ての傘下企業の法人登録を抹消、企業として完全消滅することとなった。
ここまでの処分を受けた企業は今までに存在しなかったので一部の市民からは「ペッパーフィッシュが『メガコープとて許さぬ砲』を撃たれた」などとまことしやかに囁かれている。
そのMCAの序列はメガコープの規模に応じているので、最上位に位置するのは当然ビッグ・テック社。話によると最上位企業は世界に三社あり、この三社は常に中立の立場で下位企業が暴走しないように監視している。その監視があるからベジミール社とアジトモ社も襟首を掴まれた状態となり、下手に「食事処 げん」に干渉できなくなった——という次第だ。
「でも、ビッグ・テックって『ABC』の一社だろ? 『食事処 げん』なんかに肩入れしたら他二社が黙ってないだろうに」
「それに関してはアンノがなんか言ってたな——ベジミールとアジトモの企業間紛争を止めるストッパーになるのならやむなし、ただ、企業としての体裁を保つためにABC全社が『食事処 げん』に出資するとかなんとか」
「マジでか」
——話が俺の知らないところでどんどん大きくなっていってるなぁおい。
源二の率直な感想はこれである。
「ABC」——MCA最上位、すなわちメガコープ最大手三社ことアームズ・サイト社、ビッグ・テック社、クリエイティブ・フューチャー社の三社の頭文字を取った通称ではあるが、この三社が山野辺源二という個人のために動くのは異例の事態だった。
普通、メガコープは一般市民を「数」でしか見ていない。「個」を見ることはない。それなのにどの企業も一市民であるはずの源二を「個」として注目し、奪い合った。
それほど源二の味覚投影オフ料理は企業にとって大きな波紋を起こす石であった。これを手に入れることができれば、それこそABCを超えることができるかもしれないという大きな可能性を秘めた——希望。
だが、源二は最後までどこかの企業に取り込まれることを拒み、最終的に自分の力で企業を興すに至った。そこに数多くの企業が「出資」という形で干渉し、特定の企業が抜け駆けできないように監視し合うのは当然のことではあるが、誰がこの展開を予想しただろうか。
源二が開いた一軒の店が拡大し、企業として全国に展開する——その準備はまだ始まったばかり。
一企業の社長として新たなスタートを切ることになった源二は改めてトーキョー・ギンザ・シティの懐の深さに感心した。
人脈をうまく使えば一般市民でも成り上がれる可能性はいくらでもある。当然、それに応じたスキルは必要で、源二には《《たまたま》》誰にも持ち得ないスキルがあったわけだが、ただスキルがあるだけではここまで来れなかったはずだ。
ヨシロウというお人好しのハッカーと出会い、サトルやチハヤといった社会的に地位のある人間と出会い、最終的にはメガコープのCEOですら味方に付けた。
ここまできたら次はその転覆を図る人間との戦いである。
源二のスキルを妬んで引き摺り下ろそうとする人間はいくらでもいる。少しでも隙を見せれば喉笛を食いちぎられる。
油断できねえな、と書類に目を通しながら源二は苦笑した。
「なんだよ、きめえな」
苦笑する源二にヨシロウがじとーっとした視線を投げる。
「いや、まさか本当にてっぺんに立つ権利を手にするとは思ってなかったからさ。ここまできたら足を引っ張る奴に警戒しないと、だろ」
「まあそうだな。一般の食堂の連中に睨まれるだろうし買収も考えるだろうからな——っても、もう対策考えてるんだろ?」
「ああ、ベジミールとアジトモには一部のレシピを開示するよ。ベジミールはあの味覚投影オフシリーズに『食事処 げん』コラボとして新味を出すらしいしアジトモには高級料理のレシピを開示するから最上級には届かないけど高級レストランで『げん』コラボの料理を展開する。他にもいくつかの料理のレシピを一般公開したからその気になれば家庭でも作れるよ」
なるほど、とヨシロウが頷く。
それなら味覚投影オフ料理を楽しむ者の棲み分けができる。上流階級は特別な体験を楽しみながら味覚投影オフ料理が楽しめるし、一般家庭も手軽にレトルト食品を買う、あるいは実際に味覚投影オフ料理に挑戦することができる。自分で用意するのが面倒なら「食事処 げん」に行けば店の暖かさと共に料理を楽しむことができる。
あくまでも最良の結果を想定した場合なので実際には色々問題も起こり得るだろうが、それでも味覚投影オフ料理は上流階級だけのものではなく、広く一般市民が楽しむべきものとして拡散していく。
そんな未来が純粋に楽しみで、ヨシロウも口元にふっと笑みを浮かべた。
「なんだよきめえな」
先ほどのヨシロウと全く同じ言葉を今度は源二が発する。
「いや、未来って俺が思ってたより明るいものなんだってな」
「だろ? 俺がいた時代と比べてこの時代、すっごく明るいぞ」
いくら働いても生活費を稼ぎ、その日を生きるのがやっとだったあの社畜時代を考えると、なんだかんだ多くの人が支えてくれたこの時代は源二にとって眩しいものだった。
もちろん、その日を生きるので精一杯の人間も、未来に対する希望も持てない人間も数多く存在することは源二も分かっている。アキラのように未来を掴んでいるはずなのに絶望している人間も見てきた。
だが、それでもあの時代に比べたらこの時代は生きやすい、と源二は感じていた。企業がイメージアップのために様々な施策を行政を通じて行なっているからかもしれない。一般市民の中だけで見ればあの時代ほどの資産格差はなく、最底辺の人間であっても必要最低限の生活は保証されている。少なくとも食料を買う金がない、といった事態には陥っていない。企業による就労支援で貧困層には食料を配るのではなく日々の糧を得るための就労が保証されているし住居支援もある。
そういった点では今の時代は「恵まれている」と源二は思っていた。
少なくとも、「表面上」は。
ただ、表面上では満たされていても、この時代はあまりにも冷たすぎた。
システマチックに全てが動き、数値で計算されたパラメータで人間を管理する。
その冷たい世界に炎を灯したのが源二だった。
だからこそ企業はこぞってその炎を奪おうとしたが、源二は最後までそれを守り抜いた。
それがヨシロウにとって誇らしく、源二と共に炎を守れたことが嬉しい。
「なあゲンジ、」
源二と同じように書類をめくりながらヨシロウが声をかける。
「もうこうなったら行けるところまで行ってみようぜ。どこまで行けるか見てみたい」
「そうだな。もう行けるところまで行っちまおう」
源二も頷き、書類ファイルを閉じる。
「とりあえず疲れた。飯にしよう。何が食いたい?」
「それな。ちょっと気になる料理見つけたんだ、再現できるか?」
ヨシロウがそんなことを言いながら一つの料理の写真を源二に見せる。
「台湾ラーメン! お前、本当にラーメン好きだな」
「で、どうなんだ? できるのか?」
「できるぞ」
「即答!」
立ち上がってキッチンに向かう源二にヨシロウが並ぶ。
「期待してるぞ」
「ああ、うまい台湾ラーメン食わせてやる」
ニヤリ、と笑い、源二は棚の調味用添加物を手に取った。




