第107話「通り過ぎた嵐の果てに」
「——で」
水を飲んで一息ついたヨシロウが食堂を——特にテーブルに置かれた肉じゃがの大鉢を見て声を上げる。
「あそこにニクジャガがあるってことはお前、まさか——」
「ああ、お前の予想通りだ」
源二の返答に、ヨシロウはへなへなとその場に座り込んで頭を抱えた。
「あーーーーーーーーお前そういう奴だったわ!」
ヤマノベ・ゲンジという男は全てを料理で解決してしまう。一見、覆せそうにない絶望的な状況でも料理を一つ差し出すだけで全てが変わってしまう。
この時代の人間からすれば、まさに魔法のような手口で源二は火を熾し、あるいは水で流し、争いの芽を摘んできた。
その分、源二の手には負えない争いの芽も出てきたりはしたが、それは源二の料理に魅了された周囲の人間が何も言わずとも摘み取ってしまう。
今回も、源二は自分の手でケントを打ち破り、勝利を掴んでしまった。
——それはもう、ヨシロウたちの働きが無駄だったといわんばかりに。
俺たちがやったことは無駄足だったのか、ゲンジなら一人で全て終わらせられたんじゃ——そう考えるヨシロウに、源二が手を差し出す。
「ヨシロウ、お前たちの叫びは確かに俺に届いた。お前たちが来てくれなきゃ俺は踏みとどまれなかったかもしれない」
「……ゲンジ?」
ヨシロウが怪訝そうな声を上げる。
源二が笑ってほら、ともう一度手を突き出した。
「確かに、俺一人でもなんとかなったかもしれない。だが、お前たちがいなければ俺は勝利を確信することができなかったしホウライ氏の勝負を受けられなかったと思う。お前たちがいたから、お前たちを悲しませたくなかったから、俺は踏みとどまれた」
「ゲンジ……」
「助けに来てくれてありがとうな。来てくれるとは信じてたが、派手にやってくれたなあおい」
源二の顔に浮かんだ笑みが苦笑に変わる。
「どんだけ動員したんだ? 俺一人に使う人員じゃないだろ」
その言葉に、ヨシロウがニヤリと笑って源二の手を取り、立ち上がった。
「それだけお前のメシに動かされた人間がいるってことだ」
実際、源二の救出作戦に手を挙げた人間は最終的に数百人規模に上った。
それだけ、源二を助けたい、またはベジミール社に自分たちの味を奪われたくない、と思った人間がいた、ということではあったが、それはヨシロウの想定を大きく上回った。
集まって、常連の中でも特に熱心な数十人程度だろうと思っていたらその十倍を超える数が集まったのだ。全員は守れないし責任も取れない、作戦が失敗した場合源二にもとんでもない額の賠償金が請求されるのでは、そう思っていたほどだ。
だが、考え方次第ではこれはプラスにも考えられる。
それだけの人間が源二を支えていたから、源二は踏みとどまれた。
その点ではヨシロウが救出作戦を決行したのは間違いではなかったのかもしれない。現実でそれが分からなかったとしても源二はヨシロウたちが助けに来てくれたことを本能で察知していた。来てくれると信じていたからケントの勝負を受けられた。
ヨシロウの行動は無駄ではなかった。それが、源二の言葉でなんとなく伝わってくる。
「……だが、本当にお前一人でやっちまったんだな……」
源二が無事だった、という事実を漸く実感し、ヨシロウが苦笑する。
源二は「お前たちが支えてくれたおかげだ」と言うのだろうが、それでも何一つサポートできない状況で全てを終わらせているのだから源二の実力は本物だ。
よかった、という気持ちと源二はこれからどうなるのか、という思いが押し寄せてくる。
「とにかく、無事でよかった。あとは——」
「ホウライ・ケントォ!!」
ヨシロウがほっとしたところで、突然、タモツの叫びが食堂に響いた。
源二とヨシロウ——いや、その場にいた全員が振り返ると、入り口にアサルトライフルを構えたケントと他数人の仲間が立っている。
「やっとここまで来たぜ! 今日こそお前の首を取ってベジミールの支配から一般市民を——」
「タモツさん、ステイ!」
タモツの言葉を遮り、源二が叫ぶ。
同時にケントを庇うかのように前に立ち、両手を広げる。
「タモツさん、やりすぎ! 今ここであんたがホウライさんを殺れば話がややこしくなる!」
そう、まくし立てた源二だったが、タモツは最初の「ステイ」の時点で動きを止めていた。
源二の指示に反射的に従って銃口を下ろし、仲間にも下げろと身振り手振りで指示を出している。
「タイショー! 無事だったんか!」
「タモツさんが撃ったら無事じゃなくなるがな!」
咄嗟のことだったが、源二はタモツの射線に入ることで彼が撃てなくなるように仕向けた。
それに気づき、タモツがどうして、と声を上げる。
「タイショー、なんでそいつ庇ってんだよ!」
「そりゃービジネスパートナーは庇うだろ!」
タモツからすればケントは一般市民を支配する諸悪の根源、だが今の源二からすれば「食事処 げん」を規模拡大する最大のチャンスを提供してくれる存在、その思いが真正面からぶつかり合う。
——が、タモツも別に聞き分けが悪い子供ではないので背後で「撃ちましょうよ」と声を上げる仲間を抑えて源二を見た。
「ビジネスパートナーって……」
「ゲンジのことだからもう話は付いてんだろうよ」
源二が無事で、テーブルにニクジャガがある時点でヨシロウは分かっていた。
源二はケントの圧力に負けず、正々堂々と料理でねじ伏せたのだ、と。
その結果の詳細はまだ聞いていない。聞く前にタモツが乱入した。
ええ、とケントが源二を制し、前に出る。
「ベジミール社は『食事処 げん』の出資者として全面的に協力します。貴方たちを見て確信しました。ヤマノベ氏の料理は人々に希望を与える。上流階級を目指すための餌にするのではなく、人々が明日を見てその先へ手を伸ばす力として、私は『食事処 げん』の未来を見届けたいと思います」
「ホウライ……」
そこまで言われてタモツたちも食い下がることはできなかった。
反ベジミールを謳うタモツたちでも、今ここでケントを撃てば源二に迷惑がかかることは分かっている。折角ケントが「食事処 げん」を全面的にバックアップすると言ってくれているのに殺してしまえば源二の「てっぺんを獲る」という夢が霧散する。そうしてまでケントを殺す理由はタモツにはなかった。
「ミズキ・タモツ。貴方も『食事処 げん』に動かされた、ということですか」
周りの人間が止めるのも聞かずにケントがタモツの前に立つ。
「どうでしたか、『食事処 げん』は」
「——っ」
ケントが無防備に目の前に立ったことでタモツが一瞬だけアサルトライフルを握る手に力を込める。
ここで撃てば確実にベジミール社に打撃を与えられる——それが悲願だったはずだと本来の自分の目的を思い出すが、すぐに心の中で否定する。
今の自分の目的はケントを殺してベジミール社に打撃を与えることではない。源二を守り、「食事処 げん」の味を未来に伝えること——そう再確認してニヤリと笑う。
「ああ、最高だぜ! あんたもたまには食いに来いよ!」
「後ろから撃たないでくださいよ?」
そう言ったケントはすっきりとした顔立ちでヨシロウ、タモツ、その後ろの仲間たちを見る。
ケントは既に攻撃停止命令を出している。それによって源二を救出に来たメンバーが次々とエレベーターに乗ってこの最上階に上がってきている。
「タイショー! 無事か!?」
次々に乗り込んでくるボロボロの仲間たち。
「お前ら……無茶しやがって」
見れば、ヨシロウも肩から血を流していることに気付き、源二が慌ててハンカチを探す。
「ヨシロウ、お前もケガ——」
「んなもん大したことねえよ。ツバつけときゃ直る」
それよりお前が無事で本当に良かった、と安堵の息をつくヨシロウに、源二はははっと笑ってテーブルの上の肉じゃがを指さした。
「折角だからさ、食ってみないか?」
「何を」
「本物の食材で作った、肉じゃが」
その瞬間、食堂からケントの執務室、そして廊下の順に驚きの声が波となって広がっていく。
「本物食材のニクジャガ!?」
「何それ食ってみたい!」
生まれてから一度も食べたことのない本物の食材でできた料理にヨシロウたちが色めきだつ。
「……いいですよね?」
念のため、源二がケントに尋ねると、ケントももちろん、と頷いた。
「これはぜひとも皆さんで楽しんでいただきたい。旧時代の料理の作り手が心を込めて作った、本物の料理をぜひとも味わってください」
『うおおおおおおおおおおお!!!!』
地上からではなく、今度はビルの頂上が、怒りではなく歓喜の叫びで大きく揺れた。




