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第104話「勝利を確信した宣戦布告」

 丁寧に研がれた包丁は冷たい輝きを放ち、触れるもの全てを切り裂くほどの鋭さを漂わせていた。

 

「——ふむ」

 

 手軽に刃物が研げるシャープナーで研いだものではない。あれは刃先を荒らすことで切れ味を増すものだが、この包丁はちゃんとした砥石で研ぐことで刃先の鋭さを維持している。恐らくはそれもモーションデータによる機械的な手入れだろうが、それでも料理の「基本」は押さえているのだな、と源二は考える。

 

 周囲を見れば料理人たちは自分たちの作業が終わったのか、興味深そうな目で源二を見ている。

 好奇の目にさらされ、源二は一つ、大きく息をついた。

 周りの目は気にならない。見られて作業に集中できないというのはできない人間の言い訳だ。

 

 源二が考えていたのはただ一つ。

 

——何を作ろう。

 

 それだけだった。

 出されたものと同じものを作るのも一つの手だ。同じ料理で違いを見せつける、手っ取り早く分からせるには十分な手段だが、同時に相手が違いを理解できなければ何も伝わらないという危険性がある。

 

 いや、それは「やらない理由」だ。

 確かに一つの手ではあったが、源二は同じものを作らない、と決めていた。

 

 これぞ、という料理でケントを打ち破りたい。「料理の心を見せる」とは言ったが、生半可な料理ではケントの心を動かせない。

 

 それなら何を作るか——そう考え、源二はとあることを思い出した。

 

——これだ。

 

 ケントを驚かせ、なおかつ心を動かせる料理——それは恐らく一つだけだ。

 そしてそのレシピも材料もここには揃っている。

 野菜の保管庫を開け、幾つかの根菜を取り出す。

 冷蔵庫を開けて牛肉といくつかの食材を取り出す。

 調味料の棚を確認し、それぞれの調味料を少し舐めて味を確認する。

 

——いける。

 

 源二の中で、ケントに対する勝率がどんどん上がっていく。

 ケントに勝つにはただ本物を使うだけではいけない。高級料亭がするような出汁を引くところから始めて勝てるのならいくらでもそうするが、必要なのは「本物」ではない。紛い物であっても相手のために作るという心。

 

 本来なら用意する昆布だしとかつおだしを用意せず、源二は包丁を手に取った。

 久々に握る包丁に、自分の感覚を研ぎ澄ませる。

 

 食材の声を聞く、といったオカルトは信じない。ただ自分の勘が赴くまま包丁を動かし、野菜の皮を剥き、切り分け、準備を進めていく。

 

 全ての材料の準備が終わると、源二は鍋を火にかけ、油を引いた。

 程よく熱したところで肉を炒め、野菜を順番に入れてなじませる。

 そこに顆粒のだしと各種調味料、水を加えて落し蓋をする。

 

 その途端、厨房がざわ……とどよめいた。

 

「顆粒だし、だと……?」

「本物を作ると言いながら、合成のものを……?」

 

 そんなことがあるか、という声も聞こえてくるが、源二としては「そもそも使わないのになんで顆粒だしもあるんだ?」という疑問が大きかった。

 

 使われた形跡はない。ただ、「一般的な台所に用意すべきもの」として置かれていた感じがする。

 高級料亭なら置かないものだろうが、この厨房は一つのラボのようなものだった。

 

 使う使わないは別として、「料理に使われたものだから」でずっと保管され、消費期限が来たら更新されてきたのだろう。

 

 それならその「使われないもの」にも光を当てる。むしろ源二が今作っているものにはこの方が合う。 煮込まれる鍋を見つつ、源二は慣れた手つきで生簀を泳いでいた鯵を掴み、内臓とえらを取って下処理を進める。

 

 飾り包丁を入れ、薄く塩を振り、こちらはグリルへ。

 それが済んだら鍋に湯を沸かし、今度はたっぷりの鰹節を入れて出汁を引いた。

 

「出汁も使うのか……?」

 

 ざわざわと聞こえてくる声を無視して、源二は鰹節を引き上げ、豆腐とねぎを入れて軽く煮立たせる。

 火を止め、味噌を溶き入れ、味噌汁は完成。

 

 そのタイミングで鯵の塩焼きも程よい焼き加減で仕上がり、鍋の中身も程よく煮込まれた状態となっていた。

 

「——よし」

 

 鯵の塩焼きを四角い焼き物皿に盛り、そこに大根おろしを添える。

 椀に味噌汁、茶碗に白米を盛り、それから鉢に鍋の中身を盛りつける。

 

「これは——」

 

 またもざわめく厨房。

 鉢に盛られたものは料理人たちの目から見れば「茶色い」ものだった。

 肉と根菜——じゃがいも、人参、玉ねぎ、そして白滝が雑多に煮込まれた茶色い煮物。

 

 茶色く見えるのは醤油由来だと料理人たちには分かるが、彼らにとって調味料の色をはっきりと出すのは邪道だった。料理の見栄えとして美しくないし、このように雑多に煮込まれては彩よく盛り付けることが難しい。実際に、鉢の中に盛られたこの料理は各食材を分けて並べることもなく全てごちゃまぜとなっていた。

 

 こんなものでCEOに勝つ気か、と料理人たちは源二の正気を疑うが、同時にえも言えぬ感覚が心の底から這いあがってくるのを感じ取っていた。

 

——食べたい。

 

 見た目には美しいとは言えない料理なのに、何故か食べたい、という気持ちが湧きおこってくる。

 同じ盆にある白米と一緒に食べたらおいしいのではないか——そんな錯覚にまさか、と料理人たちは顔を見合わせる。

 

「……ニクジャガ……」

 

 一人の料理人の呟きに、源二は小さく頷いた。

 

「家庭料理の定番、肉じゃがです。家庭料理だからわざわざ出汁を引くなんてことはしない。忙しい母親が手軽に本格的な味を出すことができる奇跡の調味料——それが顆粒だしですよ」

「家庭料理……」

 

 料理人たちが顔を見合わせる。

 フードプリンタのない旧時代は一般家庭でも料理を作っていたという記録はある。記録があるからニクジャガも当然、データベースにはあったが、料理人たちには馴染みのないものだった。

 

 企業の頂点に立つ人間が家庭料理など下々の人間が口にしたものを口にするべきではない——そう思い、作り続けてきたのが懐石やフルコースと言った高級料理や宮廷料理と言われたもの。頂点にふさわしい料理を、と料理人たちはその作り方をBMSにインストールして作り続けてきたが、源二は敢えてそれを作らず、ありふれたものとして忘れ去られていた家庭料理を作り上げた。それも、BMS制御の義体を使わず、自分の手で。

 

 湯気を上げる料理に、誰かがごくりと唾を飲み込む。

 

「さて、冷める前に食べていただきましょうかね——」

 

 料理の乗ったトレイを手に取り、源二は食堂に続くドアへと向かった。

 堂々としたその足取りに、料理人たちは無言でドアを開いて源二を見送る。

 

「お待たせしました」

 

 ケントの前に料理を置き、源二は静かに宣戦布告した。

 

 

 

「これは……」

 

 目の前に置かれた料理に、ケントが思わず声を上げる。

 これは見たことがある。いや、食べたことがある。

 以前、「食事処 げん」に行ったときに食べたニクジャガだ。

 普段の食事では決して口にすることのない料理、それに興味を惹かれあの時注文した料理——の、本物が目の前にある。

 

 味は分かっている。「食事処 げん」が旧時代の料理の味を再現しているのならあれと同じ味をもう一度口にすることになる。

 

 どういう意図だ、とケントは源二の顔を見る。

 源二の顔は穏やかだった。自分の力を出し尽くした、後は天命に任せると言わんばかりの顔にケントはもう一度ニクジャガを見る。

 

 中まで味が浸み込んだような色合いのじゃがいも、くたくたに煮込まれた玉ねぎ、甘さの中に芳醇さを孕んだ香りは「食事処 げん」で体験したものより強い。

 

——これが、本物のニクジャガ——。

 

 何故か口の中に唾液があふれてくる。

 先ほど食事をしたばかりなのに口が、全身がこれを食べたいと脳に要求する。

 

 こんな感覚は初めてだ。

 今までは生存のための栄養補給に過ぎず、頂点に立つ者として敢えて本物の料理を食べていただけなのに、今は目の前の肉じゃがを栄養補給ではなく食事そのものを楽しみたい、として食べたいと思ってしまう。

 

——いや、そんなはずはない。私が食べたいと思うなど——。

 

 あり得ない。食べる前に勝負がついているなどあってはいけない。

 源二に料理を作れと勝負を持ちかけたのは自分の最後のプライドだということは分かっていた。

 

 あそこまで強い信念を持った人間に勝てるはずがない。だが、それでも最後まで食らいつく努力を見せなければ頂点に立つ人間として示しがつかない。

 それなのに、源二は戦いの前から圧倒的な力を見せつけてきた。

 

 ただ目にしただけで食べたいと思ってしまう料理に心が揺らいで仕方がない。

 それでも、ケントはそれを微塵も悟らせない様子で箸を手に取った。

 

「——それでは、見せてもらいましょうか。『料理の心』とやらを」

 

 どうぞ、と源二が頷く。

 ニクジャガのじゃがいもを箸で掴み、ケントはそれを口に入れた。

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