第103話「陰謀? 抗争? 俺の料理で忘れてしまえ!」
ケントが立ち上がり、源二を手招きする。
それに応じて源二が後に続くと、ケントは扉の一つを開けた。
「こちらへ」
ええ、と頷き、源二は隣に続く部屋に移動する。
「うわ……」
そこにはかつて見慣れた風景が広がっていた。
勢いよく炎を上げるガスコンロ、野菜を刻む包丁の音、煙などを逃がして新たな空気を取り込む換気扇の音——元の時代で源二が目にしていた厨房の風景が、そこにあった。
この時代で火事や戦火ではない炎を見たのは初めてかもしれない。料理はフードプリンタで行われるし湯を沸かすのも電気ケトルで事足りる。本物の食材がないということは当然のように紙で巻いた煙草もなく、人間が日常で炎を使う場面はなくなっていた。火事はまだなくなっていないが、大抵は化学物質の反応によるものか電化製品の過熱やショートによって起こるものだった。
化石燃料はもう枯渇していると思っていただけにどうやってこのガスコンロを稼働させているのか興味は尽きないが、それでも料理のために炎を利用する——元の時代でもオール電化が進んでいただけに、この時代の「本物の」料理に対する熱意を感じる。
本物の食材を使った料理に対する熱意は厨房の雰囲気を見ただけで分かった。厨房で忙しそうに料理を作る料理人たちも真剣なまなざしで包丁を握っており、本気で料理に取り組んでいることはすぐに理解できた。
それなのにあの料理を食べて心を感じなかったのは何故だろうか。
注意深く、源二が厨房の料理人たちを観察する。
包丁を持つ手も、それを動かす手も完璧で一寸の狂いもない。
技術継承のためにどれくらいの修行を重ねたのだろうか、と思ったものの、源二はすぐにその考えを撤回した。
料理人たちの腕は生身ではない。精巧に人体そっくりに作られているが義体だ。
その証拠に、厨房の料理の匂いに混ざってほんのわずかに義体内部を流れる循環液の匂いがする。一般人なら気づかない程度の匂いだが、源二の嗅覚は確かに義体の匂いを感じ取っていた。
「——なるほど」
納得したように源二が呟く。
「旧時代の味を保管するためにBMSに調理のモーションデータを登録、義体でそれを制御しているということですか」
ヨシロウから聞いている。義体はBMSの制御で動くため、各種モーションデータのプリセットをインストールすればその動きを正確に再現できる、と。
軍人であれば各種兵器のマニュアルをモーションデータとして用意しておけば習熟のための訓練期間は大幅に短縮できる。同じように、料理を作る手順をマニュアル化してデータにしておけば正確に同じ料理が作れる、ということか。
「——冷たいですね」
「何がですか」
源二の横に立ったケントが不思議そうに尋ねる。
これほど火力を多段階に調節できる炎を使い、温かい料理を提供しているのに源二の口から洩れる「冷たい」という言葉がケントには理解できなかった。
話を聞く限り、源二の考える「温かい」は作り手の心そのものだ、ということはなんとなく分かった。だが、そんな心で腹など膨れない。料理は料理であって、その料理の最適な温度で提供されてこそおいしいのであって、心を込めたところでおいしいなど——。
「それを証明しますよ」
一歩踏み出し、源二がはっきりと宣言する。
ケントはまだ何も言っていなかったが、源二は完全に勝つ気でいた。
ケントに本当の食事の意味を見せつける——これが、ケントに打ち勝つ唯一の方法。
それをしたからと言って源二がベジミール社の頂点に立つことはできない。だが、圧倒的不利な立場にいる今の状況を覆すことはできる。それこそ、「食事処 げん」をチェーン展開するうえでの後ろ盾を得られるかもしれない。
もし、ケントが源二の料理に刻み込まれた心を理解できたなら、これは実現する。料理を特別なエンターテイメントとして富裕層のみに提供しようとは考えないはず。
新しい時代の夜明けを迎える、その一心で源二は厨房にさらに足を踏み入れた。
料理人たちが一斉に源二を見る。
「君たちはそのまま作業を続けてくれたまえ。ただ、彼が調理できるスペースだけは確保してもらいたい」
ケントの指示に、料理人たちが分かりましたと調理台の一つにスペースを作る。
それを見届け、ケントは源二に頷いて見せた。
「ここにある食材は自由に使ってもらって構いません。貴方がこれぞ、と思うものを作ってください」
「そんな、俺に有利な条件でいいんですか」
ケントの意図を図りつつも源二が確認する。
「ええ、いくら貴方が素晴らしい料理を作ろうとも、私の心を動かせなければ私の勝ちだ。感情とかそんなくだらないもので世界が動くわけがない」
「それなら——俺はその世界を動かしてみせますよ。神がいるのなら、その神も泣かせてみせる」
空気を読んだケントの秘書が源二に調理用の白衣を差し出す。
それを受け取り、源二は厨房の奥にある更衣室に移動した。
元いた時代の料亭で板前が着ていたような調理用の白衣に袖を通すと、源二の意識は自然と引き締まっていった。
久しぶりの白衣の感触に、久しぶりに料理ができると心が昂る。
確かに、この時代でも料理を作り続けてきたが、それは包丁を握り飾り切りに粋を凝らし盛り付けにこだわったものではない。ただ調味用添加物を調合し、フードプリンタで出力しただけのもの。
もう、本物の食材に触れることはないだろうと思っていた。いや——このような状況にならなければ触れられないと思っていた。
ケントが「料理の心を見せろ」という挑戦は予想できたものだったのだろうか——そう考え、源二は首を横に振る。
そんなことはどうでもいい。必要なのは相手の出方に対する予想ではなく、いかに自分の全力を相手に伝えるか、だ。
勝てないかもしれない、という思いは振り払ったが、今はそれよりも伝えたい、と言う思いが勝っていた。自分の本来の力で、自分の料理に対する想いを、人間に対する想いを全て伝えたい。ケントが全てを受け止めることはできなかったとしても、全力で伝えなければ想いは半分も伝わらない。
最後に和帽子を被り、一度両手で自分の頬を叩く。
誰かのためにも、自分のためにも作る一世一代の大一番。
——変に気張るな。いつも通りやれ。
BMSの通信状況は相変わらず圏外になっている。誰かにアドバイスをもらうこともできない。
アドバイス? と考え、源二は苦笑する。
この時代に源二に料理のアドバイスをできる人間などいない。ケントに対する攻略を訊くのもフェアではないしそんなものがあるのかどうかも分からない。
ただ、
——ヨシロウ、
ヨシロウのことだけが気がかりだった。
ヨシロウだけ、と言うと語弊がある。ニンベン屋やサトル、白鴉組の面々、アンノやタモツ、常連の面々が今どのような状況かも分からず、不安は大きい。
ここで連絡が取れれば多少は安心できたが、ケントはそれすら許さなかった。
たった一人で、有利なはずなのに不安が大きい勝負を挑むことになる。
負ける気はしない。だが、勝負の場に仲間がいないということがこんなに心細いとは。
知らず、握りしめた拳がわずかに震える。
——俺は、間違ってないよな?
自分の信念が揺らぎそうになり、源二はもう一度首を振った。
この時代に来る前は一人でも不安にならなかったのに、どうして今はこんなに不安になるのか。
そう思った時、遠くで雷のような、低く重々しい音が源二の耳に届いた。
いや、これは雷ではない。音は空からではなく、《《地上から》》響いている。
そんなバカな。この超高層ビルの最上階で、地上の音が聞こえるわけがない。それに、ここは窓一つない室内。こんなところに音が届くはずがない。
それなのに、源二は確かに聞いた。
「タイショーを返せ」という叫びに交じり、「ゲンジをお前らの好きにはさせない」というヨシロウの声を。
「ヨシロウ——」
助けに来たのか。ここにいるということを突き止めて、仲間を集めて、自分の命も顧みずに。
ただの幻聴かもしれない。だが、それでもかすかに聞こえた気がしたその声は源二を奮い立たせるには十分だった。
今ここにいるのは自分一人かもしれない。だが、皆とつながっている。
皆の気持ちに応えるためにも、必ず勝つ。
手の震えは止まっていた。
源二の口元がわずかに吊り上がる。
「——やりますかね」
そう、低く呟いた声に迷いはない。
「未来の人間をギャフンと言わせようじゃないですか、源二さんよ!」
もう一度両手で頬を叩き、源二は顔を上げた。
「ホウライ・ケントに勝つ、それだけだ。簡単な話だ!」
気合も新たに、厨房への扉を開く。
「俺は山野辺源二、お前らが言う旧時代の料理人だ! 陰謀? 抗争? 俺の料理で忘れてしまえ!」
自分に集中する視線にひるまず、源二は高らかに宣言する。
必ず勝利をもぎ取って、自分が望むハッピーエンドに到達する。
しっかりとした足取りで用意された調理スペースに移動し、源二はそこに置かれた包丁にそっと触れた。




