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第101話「温かくも冷たいもの」

「お久し……ぶりです」

 

 ケントの執務室に踏み込んだ源二が掠れた声で応える。

 相変わらずの王者の風格、堂々とした佇まいを前に源二は完全に萎縮してしまっていた。

 

「大丈夫ですよ、取って食いはしません」

 

 相変わらず笑みを浮かべたまま、ケントが立ち上がる。

 

「手荒な真似をしてしまって申し訳ない。ですが、こうでもしないと貴方とお話しすることが難しそうでしたから——ミズキ・タモツに邪魔されたくありませんし」

「あー……」

 

 ケントの言葉に源二が苦笑した。

 タモツの存在がちゃんと認識されていた、ということとそれに対してきちんと警戒していること、それだけでケントの用心深さや警備の物々しさを思い知る。

 

 もしかするとケントはもう一度「食事処 げん」に赴いて話をしたかったのかもしれない。だが、どこからか情報が漏れてケントが襲撃を仕掛けてくる可能性を考えるとそれができなかった、ということか。

 

 とりあえず、今の所ケントが自分に危害を加えることはなさそうだ、と判断し、源二はほんの少しだけ肩の力を抜いた。あくまでも「今の所」ではあるし、室内に護衛の姿は見えないがどこかに防衛システムくらい隠してあっても不思議ではない。例えばそこの壁の継ぎ目が実はドアになっていて、緊急時はそこから武装した護衛が現れるなど——。

 

「そこまで警戒しなくていいですよ。貴方を殺せば貴方のBMSの中にあるレシピは全て失われてしまう。拉致という手荒な真似はしましたが、これ以上手荒なことはしませんよ」

「……その言葉、信じていいんですね」

 

 念の為、聴覚録音機能をオンにして源二が確認する。

 源二の周囲に録音ステータスが視覚情報として投影されているのでケントには意図が伝わったはず。

 

「何かあった時のために言質を取る、ですか。いい判断です」

 

 ゆっくりと、ケントは源二の前に移動した。

 

「少し食事でもしながら話をしませんか? 準備はできています」

「え——」

 

 まさかの提案に、源二の思考がフリーズする。

 どういうことだ、料理屋の自分に料理を出す——しかもメガコープのCEO自らの提案。

 

 確かに、食事の場での交渉が比較的荒れにくいのは源二も分かる。料理を出した、出されたという関係の優劣が付けられるし出された食事を無碍にすることができないのが日本人だ。だが、それがプリントフード主体となったこの時代にも存在するのか——その疑問は源二にあった。

 

 それとも、ケントは源二が過去の人間であることを知って敢えてこの環境を作り出したというのだろうか。

 いずれにせよ、源二にはそれを拒む理由も権利もない。

 

「……分かりました」

 

 そう頷き、源二はケントに案内されるがまま隣室へと歩き出した。

 

 

 

 執務室から直結していた隣室はケントの居住空間とでも言うべきか——メガコープのCEOにしては素朴な内装の部屋だった。

 リビング、寝室、シャワールーム、そういった生活設備が整っており、ケントが普段は自宅に帰らずここで寝泊まりしているのが一目で分かる。

 

 効率を重視するのなら通勤という手間を省いて本社に居住空間を整える——理屈では理解できるが、元の時代で会社に寝泊まりしていた社畜経験のある源二には息苦しさが先に立ってしまう。

 

「こちらへどうぞ」

 

 リビングを横切り、ケントがドアの一つを開けて源二を促す。

 その誘いに乗って源二がドアを潜ると、そこは高級レストランの様相をしたダイニングだった。

 

 広いテーブルには清潔なテーブルクロスが敷かれ、中央には派手すぎないフラワーアレンジメントが飾られている。

 そのテーブルの両端に置かれた様々な食器の準備に、源二は思わず唾を飲み込んだ。

 

——懐石料理、か。

 

 置かれた食器が和食のものなのでそう判断できる。

 懐石料理といえば他にも会席料理が同じ響きの言葉としてあるが、この二つは似て異なる。前者は茶道を元にしたもの、後者は懐石がベースとなっているが茶ではなく酒を楽しむもの——そういう知識は一応料理人として持っている。

 

 源二が会席料理ではなく懐石料理だと判断したのは、テーブルに酒の準備がなかったからだ。交渉ごとの後の会食であれば酒の席にもなるが、ケントは食事をしながら話を進めたいのか——テーブルの上のもので、源二はそう確信する。

 

 この時代では全く目にしていなかった和装の給仕に案内され、源二がドアに近い側のテーブルの端——下座に座る。

 その向かい、上座にケントが座ると、給仕が一枚の和紙をそれぞれに差し出した。

 

 源二が受け取るとそれは本日のメニューで、滑らかな筆文字が様々な料理名を彩っている。最初に飯碗、汁椀の文字が並んでいることで懐石料理だと確信、同時に旧時代の茶道で供される懐石料理の作法を可能な限り再現しようとしていることに驚きを覚える。

 

 本来の懐石ならこの後に少し酒も出るが、それは省略され、続いて煮物、焼物、吸物——と並んでいる。最後に湯と香の物、甘味と続くメニューに、源二の心が自然と引き締まる。

 

 酒が出ないことに追加して幾つかの省略も行われているが、ここまで本格的な懐石料理は源二も経験がなかった。いくら元の時代で食べ歩きをすることが好きだといっても本格的な高級料亭は高すぎて手が出ない。

 

 ケントは慣れた様子でナフキンを襟に差しているので、余計に粗相はできないな、と源二も差し出されたナフキンを襟に差し、跳ねた汁で服が汚れないように対策した。

 

「白米と味噌汁です」

 

 給仕によって、白米と味噌汁の椀が二人の前に差し出される。

 ほかほかと湯気をあげるこの二つ——そして鼻腔をくすぐる白米と味噌の匂いに、源二は目を見開いた。

 

「まさか——」

 

 プリントフードでは出せない匂い。味覚投影の際に嗅覚にも作用して匂いを再現するから料理自体に匂いづけをする必要はない。

 だが、この二つの椀から立ち上る匂いは。

 

「本物——ですか」

 

 味覚投影で味わうのではない、調味用添加物で再現されたものでもない、紛れもなく《《本物の》》食材で作られた料理。

 ええ、とケントが頷いた。

 

「頂点に立つものは常に本物を手にする——それがこの世界の常識ですよ」

 

 そう言い、ケントが慣れた手つきで箸を持ち、味噌汁を一口啜る。

 

「是非とも本物の料理を召し上がってください。《《久しぶり》》なのでしょう?」

「——はい」

 

 誤魔化すこともできず、源二も箸を手にする。

 味噌汁の椀を手に取り、一口啜ると芳醇な味噌の香りと塩味が口いっぱいに広がり、心を満たしていく。

 

「——美味しい」

 

 ぽつり、と源二が呟く。

 久しぶりに口にした本物の食材。料理が持つ温かさがダイレクトに伝わる味の深み。

 この時代でも味は完全に失われていなかったんだ、という思いが何故か源二を安堵させた。

 次に白米の碗を手に取り、一口食べる。

 炊き立ての白米の香りが鼻を抜け、これも源二の緊張をほぐしていく。

 

 慣れた様子のケントの作法を盗み見つつ白米を少しだけ残し、次に出された煮物を見る。

 

 エビと魚の白身だろうか、それらのすり身に山芋の摺り下ろしなどを加えて作られた真薯(しんじょ)に麩や野菜を入れた煮物——その澄んだ汁にお澄まし仕立てか、と源二は感心する。元の時代で写真だけは見ていたが、実物を目の当たりにするとため息しか出ない。

 

 真薯に箸を入れるとふわり、とした弾力の後に箸が沈み込み、ほろり、と分けられていく。

 一口食べると出汁の効いたほんのりとした塩味が上品で、これを作ったシェフは本物の食材が乏しいこの世界でよく腕を磨いたな、と称賛の念が浮かぶ。

 

 久しくプリントフードしか食べていなかった源二にとってはとても懐かしく、涙が浮かぶ気さえしてしまう過去(故郷)の味。

 

 ——だが。

 

「味は完璧です。しかし——」

 

 突然、源二の口からそんな言葉が漏れる。

 

「……しかし?」

 

 源二の言葉を聞いたケントの眉が寄る。

 この時代に生きる人間なら本物の食材を口にするなど、日常的にできるものではない。できるとしたらメガコープのCEOのように世界に君臨する力と財力のある人間だけだ。初めて食べた人間が、本物の料理——ましてや味にケチをつけることなどできないはず。ケチをつけることができる人間——それはただ味覚投影に毒されただけの、変化を望まない、庶民の中でも何も求めない愚民だ。

 

 しかし、ケントは分かっていた。

 目の前で本物の料理を味わって食べる源二はただの庶民ではない。

 味覚投影が当然の世界で、本物を知らなければ出せない味を提供する、この世界での異端。それを探るために、ケントは源二を食事に誘った。

 

 本物の料理を食べて、源二はどう反応するのか——その賭けにケントは勝ちを確信した。

 源二はこの時代の人間ではない。何らかのきっかけでこの時代に転がり落ちた旧時代の人間、ケントのその仮説は源二の反応によって確信へと変わった。

 

 きっかけはどうでもいい。そういえばビッグ・テック社がタイムマシンの開発を行っているという話は昔から聞いていたからその実験で転移してきてもおかしくない。ビッグ・テック社も源二の存在を認知しているようだが、先に拉致に成功したのはこちら側だ、そう簡単に手渡しはしない。

 

 ケントとしては源二の知識が欲しいだけだ。この時代に残された本物の料理の種類はそこまで多くない。懐石料理やフルコースといった高級料理がいくつか残されているだけ。

 

 だから、以前「食事処 げん」で肉じゃがを食べた時の反応はハッタリだった。初めて食べた肉じゃがに、旧時代にはこんな料理があったのかと驚いたものだ。それを表に出せば源二に対する優位性が失われると判断し、食べたことがあるように振る舞ったが、源二はそれに気づいていたのかどうか。

 

「味も、作る手も完璧なんです。でも——温もりを感じない」

「作り立てて温かいでしょうに」

 

 ケントが反論する。本物の料理を最大限に味わえるよう、各料理の温度は特に気を使っている項目の一つだ。

 それなのに、源二は「温もりを感じない」と言う。

 

 どういうことです、と尋ねるケントに、源二はにっこりと笑った。

 

「効率を求めすぎて、機械的すぎるんですよ。この料理には、心がない」

「そんな、精神論を——」

 

 そうだ、前回も源二は精神論でケントの申し出を拒絶した。

 また精神論か、そんなもの、生きていく上では不要なものなのに——その思いがケントの胸を塗りつぶす。

 

 だが、今回はそんな精神論には屈しない。効率こそが最適解なのだと、それを証明してみせるとばかりに、ケントは笑う源二に鋭い目を向けた。

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