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第100話「頂点での再会」

 装甲車がその場には不釣り合いなほどに整えられた高層ビルの前に停まる。

 

「お疲れ様でした」

 

 スーツの襟にベジミール社の社章を付けた男性が後部座席のドアを開け、恭しく源二を迎える。

 

——これ、ワンチャン逃げられ……ないか。

 

 周囲が物々しく警備されているようには見えず、全力疾走すれば逃げられるのでは、と源二は一瞬思ったもののすぐに否定する。

 

 これが若い頃——学生時代くらいならまだ実行に移したかもしれない。それくらいの無鉄砲さはあった自覚がある。

 

 しかし、悲しいかな、今の源二はもう三十代、まだ前半だからアラサーと主張したいくらいにおじさんへの道をまっしぐらに歩いている。いきなり全力疾走しようものなら足が攣って転倒して取り押さえられるか、足が攣らなくとも装甲車に乗っていた兵士にあっという間に取り押さえられて終わりである。

 

 加齢とは恐ろしいものだ、と思いつつ、源二は抵抗するそぶりすら見せずにスーツ姿の男性について歩き出した。

 目の前に聳えるはベジミール社の本社ビル。ホロサイネージやライトで鮮やかに照らし出されたビルは眠らない夜の街にふさわしく、煌びやかに輝いている。

 

 エントランスに入ると、上位のメガコープらしく豪華な内装が待ち受けていた。しかし金に物を言わせて購入した美術品が並んでいる、というわけではない。外と同じようにホロサイネージや3Dホログラムを利用した光の演出で豪華ではあるが華美すぎない絶妙なバランスでエントランス内を飾り立てていた。

 

「はー……」

 

 初めて踏み込んだベジミール社の本社ビル。企業のビルといえばフードプリンタの展示会に参加するため、サトルの企業が入っているビルに行ったりフードトナーの卸業者と交渉するために出向いたり、と初めてではなかったが、いずれもメガコープに分類されるほどの大企業ではない。他にも各種手続き周りで役所に赴きもしたがそちらは質実剛健で絢爛豪華とは無縁のものである。

 

 流石メガコープ、資本力が違う、と源二がキョロキョロしていると、スーツの男は「こちらです」とさりげなく移動を促してくる。

 

 案内されるがままにエントランスを通り過ぎ、その奥にあるエレベーターホールで源二は再び立ち止まった。

 ガラス張りのエレベーターホールは、そのガラスに映像が投影されてベジミール社の過去の業績を誇示している。

 

 すごいなあ、流石だなあ、と源二が眺めていると静かにカゴが降りてきてドアが開く。

 これまたガラス張りのカゴに乗り込むと、スーツの男が操作盤に触れて最上階を指定する。

 

 するすると音もなく上昇を始めるカゴ。ガラスの壁に上昇エフェクトが投影され、最上階までの移動時間を視覚で楽しませてくれる。

 だが、それもほんの少しの時間で、かごの壁面に見える映像は外界のものへと切り替わった。

 

 エレベーター自体がビルの外壁に面した場所に設置されているため、ぐんぐん遠ざかる地上と、周囲の高層ビルの最上階に近づく景色がとても鮮やかに映る。

 夜空の星を霞ませる地上の光、地上と夜空を繋ぐ無数の高層ビル、踊るホロサイネージの向こうに冷たく輝く満月が見える。

 

——とんでもねえところに来ちまったな。

 

 今まではずっと地上を這っていたから見えなかった景色に源二がため息をつく。

 エレベーターはまるで源二に世界の頂点を見せつけるかのように上昇を続ける。

 

——この上に、ホウライ氏が。

 

 ベジミール社が源二を拉致して、最上階行きのエレベーターに乗せたのは源二を閉じ込めて交渉に応じなければ危害を加える、という意思表示ではないということは想像できる。そのつもりなら最初から地下室にでも連れ込んで監禁したはずだ。

 

 ホウライ・ケントはまだ交渉を持ちかける意思がある——そう考え、源二はどうする、と自問した。

 拉致された、という時点で圧倒的不利な立場にいるのは変わりない。嫌と言えばその瞬間に命を奪われることもあり得る。

 

 生殺与奪の権利を完全に相手に握られている状態で、不利益を最低限に抑えた交渉をする——流石に源二もここで有利に立ち回れるほどの交渉術は持ち合わせていなかった。昔見たテレビ番組で時代を渡り歩いてはその時代の文化を記録する、というドラマがあったが、その時に主人公が使用していた極秘技術の「特殊な交渉術」も実は全てを曝け出して真摯に頼み込んだものだった——などと噂されたこともあったな、などとふと思い出した時点で源二は苦笑した。

 

 なんだかんだ言いつつも、自分は今の状況を楽しんでいる——そう気づき、源二は自分の胆の太さを改めて思い知る。

 

 考えようによっては今の自分は時代を超えて別の時代の文化に触れる時代の記録者なんだよな、と源二は久々に見えた月を見た。

 

 あの番組のように特殊な交渉術など持ち合わせていない。自分がタイムスリップした人間だと知られれば何が起こるか想像すらできない。それでも、ベジミール社の言うがままにレシピを、味覚投影オフ料理を手放すことはできない。

 

 レシピを奪われたとしてもそれなら新たな料理を再現すればいいだけだ。だが、ベジミール社は源二の手から味覚投影オフ料理自体奪い取ろうとしている。

 アジトモ社がそうしようとしたように、味覚投影オフ料理を富裕層のみが口にできる特権として利用しようとしている——それだけは絶対に許せない。

 

 確かにベジミール社は一般市民にも味覚投影オフ料理が楽しめるように新商品を売り出した。だが、同時に一般市民から源二の味を奪おうとしている。

 ベジミール社が味覚投影オフ料理を売り出すのは構わない。むしろ各社がこぞって出してくれれば失われた食の可能性が再び枝を伸ばす可能性があるとさえ思っている。しかし、伸び始めた枝を全て切り落とすような行為は源二は見過ごすわけにはいかなかった。

 

 可能性は無限に広がるべきだ。それが企業歴(C.E.)という時代を脅かすものでも構わない。時代とは常に移り変わり、人々を進化させるものだから。

 その進化を恐れて可能性の枝を切り落としてしまえば人類に未来はない。枝を落としすぎた木はすぐに枯れてしまう。

 

「……分かってんですかねえ……」

「? いかがされました?」

 

 スーツの男に声をかけられ、源二は自分の思いが口をついて出ていたことに気付かされる。

 

「——いや、ホウライ氏との対面はどうなるか、と考えてたんですよ」

 

 源二が正直に心の裡を口にする。

 ケントは人類の未来のことを見据えているのか。それとも目先の利益だけを見据えているのか。

 前者であれば交渉の余地はある。そして、源二はケントが前者の人間であると思いたかった。

 以前、移転前の「食事処 げん」で話したときのことを思い出す。

 

 あのときのケントの言葉は効率を最優先するものだった。そこに源二の「利益を追求するばかりでは人間は息切れする」という言葉が返され、ほんの少し、揺らいだ——ような気がした。

 

 あの時点で揺らがなければケントは強引にも「食事処 げん」を買収していたはずだ。それが行われず、今になって拉致したということはケントも多少は言葉の意味を考え、自分なりの結論を出した、とも言える。

 

 その結論と、源二の信念を「誰にも邪魔されない」場所でぶつけ合わせたいと思っていたのならそこに勝ち筋は見える。

 いくらベジミール社が食料品最大手のメガコープであっても、一筋でも勝ち筋が見えるのなら諦めるのは早すぎる。窮鼠のひと噛みは猫ですら殺せるのだ。

 

 ケントの意図はどこにある、それを見誤れば勝ち筋は霧散する。

 拉致され、生殺与奪の権利を握られているも同然の状況にも関わらず、源二は諦めていなかった。諦めるという考えはどこにもなかった。

 

 あるのはたった一筋見える勝ち筋をどうやって確実に掴むか、その一点だけ。

 針の穴に糸を通すよりも難しいことなど承知の上。それでも、ここでその一筋を諦めるのはヨシロウや今まで「食事処 げん」を支えてくれた多くの人々や常連を裏切ることになる。もしかすると「あの状況では仕方なかった」と言ってくれるかもしれないが、同じ失望でもできることを全てやり切って、それでも手が届かなかった場合の方が悔いはない。

 

 そう、源二が考えているうちにかごは最上階に到達して扉が開く。

 

「こちらです」

 

 スーツの男に案内され、源二が毛足の長い絨毯が敷き詰められた廊下に出る。

 絨毯に足音が吸われ、音もなく目の前の質実剛健な扉の前に立つ。

 スーツの男が扉の横に設置されたインターホンを鳴らすのを見ながら、源二は大きく息をついた。

 

「お待たせしました」

 

 その言葉と共にゆっくりと扉が開かれる。

 

「CEOがお待ちです」

 

 自分を奮い立たせ、源二が真っ直ぐ前を見る。

 

「お久しぶりです——ヤマノベさん」

 

 執務室の最奥——どっしりとした木製の執務机の向こうから、ベジミール社CEO、ホウライ・ケントは穏やかな笑みを浮かべてそう言った。

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