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14S.明智光秀公と吉良上野介殿 前編

今回、取り上げる人物達は「下野岡本氏」の先祖では、無いのですが「同じ〝源氏の一族″で有る。」と言う、共通点が有ります。そのような、意味で言えば、この2人は「その者」の「先祖の親戚」でした。取り上げる人物は「明智光秀公と吉良上野介殿」です。


「明智光秀公」と、言えば「主君を殺した悪い人」として有名でした。世間一般から見れば、確かに「そうゆう人物」に、成るでしょう。しかし信長に、滅ぼされた人達から見れば「憎い仇を、取ってくれた大恩人」に、成ります。例えば、誰もが知って居る「今川義元公の親類や末裔達」または「甲斐・武田氏の親類や末裔達」です。この「織田信長」に、身内の有力者を、殺されてしまい「没落した一族の者」から見れば、明智光秀公は「〝身内のかたき″を、取ってくれた大恩人」なのです。


「下野岡本氏」の先祖の中にも、信長にやられてしまい「滅亡した一族」が、居ます。その一族の名前が「武田氏」です。「信玄公」の弟君の名前は「逍遥軒」こと「武田信廉公」でした。「信廉公」は「長篠の合戦」後に、武田氏が惨敗すると敵将・織田信長の執拗な「武田狩り」の対象と成り「信長の家来」に、隠れて居た処から、連れ出されて、殺害されました。


この「信廉公の末裔」から見れば「信長は、うちの先祖を、殺した悪い奴だ。」と、言うことに成るのです。その「先祖の仇」で有る「織田信長」を、討ち取ってくれた「素晴らしい武将の名前」が「明智光秀公」なのです。ですから一概に「光秀公」は「悪い人物」では、無いのです。少なくとも「下野岡本氏」に取っては、光秀公は恩人でした。


また以前に、テレビで放映された「大河ドラマ・麒麟がくる」は、とても面白い作品でした。「その者」に取っては、久し振りに、お気に入りのドラマと、成りました。放映が、決まった当時は「主君を殺した〝悪い人物″を、何でテレビドラマの主人公として、取り上げるのか、問題が有るのではないか」的な意見を、彼は持ちました。


しかし「光秀公の出自が、源氏の一族で有る」と言う処に、以前から興味が、有りました。「その者」は「織田信長殺害の過程を、詳細な物語として、見られる」と、期待して居たので、大変興味深く、見ることが出来ました。


そして「その者」に取っては、今までに「知らない事柄」が有り、非常に驚きました。例えば「斎藤道三公」が、実は「光秀公の〝義理の叔父″で有る」とか「織田信長の正室・帰蝶様」が、実は「光秀公の〝従兄弟″で有る」等は「全く知らない事柄」でした。「帰蝶様の母親の実家は〝明智家″だったのです。その母親は〝光秀公の父親の妹″でした。即ち〝光秀公の叔母″でした。」


元々、土地柄上「美濃国と尾張国」は、先祖代々が、殺し合いをした「土地柄」で有り、特に「斎藤道三公」は「美濃のまむし」と、呼ばれる程に、恐れられた人物でした。そして「尾張国の領主」で有る「信長の父親」が「駿河の今川義元公」が「尾張国」に、進軍しそうに成ったので、慌てて争って居た「美濃国」と、同盟を結び「駿河国」に、対抗しようとして「道三公の娘」を「自分の〝嫡男の嫁″に、貰いたい。」と、申し出ました。


「道三公」も、その申し出を受けて「娘(帰蝶)を、嫁がせること」にしました。そして「織田家に嫁ぐ娘」に、言いました。「信長が、暗愚のときは、彼の寝首を掻け。」と言い、娘に短刀を渡しました。それから当然の如くに「彼女の従兄弟で有る光秀公」も「帰蝶様」の処に、向かいます。


「光秀公」も「美濃の蝮」でした。元々「美濃国と尾張国」は、昔から「殺し合い」の関係でした。「織田信長」が、将来的に、親戚と成った「明智光秀公」に「帰蝶様に変わり、殺される。」と言うことが、これで決定付けられたのかも、知れません。


「光秀公」と言えば、今更ながら「本能寺の変(1582年)」が有名です。何故「光秀公が、そんなことをしたのか。」それは、彼が「天下を取りたかったからだ。」と、言われました。しかし「その者」は、光秀公は「源氏の世を、立ち直したかったのだ。」と、思いました。弱体化した「室町幕府の最後の将軍は、足利義昭公」でした。


その「義昭公」は「幕府の立て直し」を、同じ「源氏の一族達」としたいと、考えました。「光秀公」が「逸早く義昭公の幕臣に成った」と言うのも、彼が「源氏の一族」だったからでした。「義輝公も、弟の義昭公も光秀公」も、安定した「源氏の世界」を、取り戻したかったのです。その為に「前将軍・義輝公」は「足利一族の最有力者」で有る「駿河の今川義元公」を、呼ぼうとしました。


「足利将軍家」には「将軍の家族」と、呼ばれる「一門」が、居りました。その一門の名前が「吉良氏」です。彼等には「所領も、家来も役職も無く、ただ将軍の直ぐ近くに控えて、将軍に〝跡継ぎ″が、居ないときには〝吉良の者″が入って、跡を継ぐ」と言う「決まり」が、有りました。


その「吉良氏の筆頭分家」が「今川氏」でした。「吉良氏」には、所領も家来も、居りませんが、その代わりに分家で有る今川氏に「豊潤な駿河一国」を与えて、兵や軍備を、蓄えさせました。そして「吉良氏に跡取りが居ない場合には、吉良氏筆頭分家の今川氏の者が、吉良氏に入る。」と言う、仕組みが出来上がって居ました。


「義元公」は「室町幕府を、立て直す為」に「吉良氏」に、呼ばれて出発しました。しかし残念ながら、その途上で、殺されました。「足利将軍家」は、最有力候補で有る「一門の今川氏」を失うと、この時点で完全に、詰んでしまいました。


「最後の将軍・義昭公」は「足利一族の力」が、潰えると「選択の幅」を、広げて次の候補として、同じ「源氏の一族」で有る「甲斐源氏の武田氏」の力を借りて、幕府の立て直しを、図りました。しかし頼りの「信玄公」も、上洛途上で、亡くなりました。「義昭公」が、非源氏で有り、最有力一門を殺害した「織田信長」に、頼らなかった訳は、そこに有ります。


「光秀公」は、同じ「源氏の一族」なので「義昭公の幕臣」として、良く働きました。「武田氏」は、信玄公亡き後に、最後は「織田信長の鉄砲隊」に、滅ぼされました。光秀公は、天皇の元でも足利幕府を立て直して、強い「源氏の世界」を再び、取り戻したかったのです。信長は「強い力を持ち」「天皇の退位」まで自由に、出来るように、成りました。そして「室町幕府の最後の将軍で有る義昭公」も、殺すようにと指示を、出しました。


「光秀公」は、酒席の場に於いて「織田信長」に「酷いパワハラ」を、受けました。そのことも原因だったのでしょう。そして気付いたのです。「織田信長とは、とんでもない〝源氏キラー″で有る。」光秀公は「自分の理想で有る〝源氏の世(室町幕府)″の立て直しをするのに、織田信長と言う存在は、途轍も無い程に、邪魔な存在で有る。」と、言うことを。


そして彼は、思いました。「今は、信長の身内と成った自分こそが、この者を殺すことが出来る、唯一の存在で有るのだ。」また「信長の舅」で有る「斎藤道三公」は「美濃の蝮」と呼ばれた「大変恐ろしい人物でした。」その「道三公」は、娘を嫁がせるときに「信長が〝駄目な男″で有ったならば、そのときは、彼を殺せ。」と、娘に命令を出して、嫁がせました。その「道三公の娘・帰蝶様の替わり」に、彼女の従兄弟で有る「明智光秀公」が「信長は〝駄目な男″で有る。」と、判断して「最後の引導」を、渡したのです。

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