第七話
日常の皮を被った違和感が、神谷蓮の中でじわじわと広がっていた。
澪が救えた。それは確かに奇跡だった。
だが、奇跡の後には必ず代償がある――そんな不吉な予感が、ずっと胸の奥にくすぶっていた。
放課後、蓮は一人、歩道橋の上に立っていた。夕焼けが街を染め、車の音が遠くで反響している。
(……何かが来る)
そんな直感めいたものに突き動かされていた。
スマホが震えた。
画面には見知らぬアカウントからのメッセージが表示されている。
『おめでとう。1ループ目、成功だね』
『でも君はまだ、アプリの“本当の使い方”を知らない』
『次は彼女じゃない。君自身だよ、蓮くん』
その言葉を読み終える間もなく、画面が強制的に切り替わった。
【干渉者の接近を感知】
【ログ空間を展開します】
風景が静かに溶け、空が反転したような感覚に包まれる。
辺りは、まるで水の底のように重たく、色のない空間へと変貌していく。
蓮は歯を食いしばり、スマホを強く握った。
「誰なんだ……! 何者なんだ、あんたは!」
その声に応えるように、空間の中に一人の少女が姿を現した。
制服姿。長い黒髪。顔立ちは不明瞭で、見るたびに違う印象を受ける。
「私は、“最初の干渉者”。
そして……君たちの物語が“間違い”であることを正す者」
その声は無機質でありながら、どこか哀しげでもあった。
「どういう意味だ……! 澪を救えたんだ、間違いなはずがないだろ!」
「違う。君は流れを変えた。
彼女の死は“定点”だった。それを超えた君は、観測対象ではなく、改変者になった。
……そして改変者は、記録の敵となる」
蓮は目を見開いた。
「敵だって……じゃあ、お前は記録を守るために……!?」
「すべてをリセットする」
干渉者の手がかざされると同時に、空間に警告のカウントダウンが表示された。
【完全初期化まで 03:59】
「やらせるか……!」
蓮はスマホを掲げ、ログ空間にアクセスする。
蓮の《24H REPLAY》はすでに使用済み。けれど、そこに蓄積された“記録”は武器になり得る。
(椿……お前が教えてくれたのか。記憶は、残せる。記録は、武器になる)
すると、背後に気配があった。
「……まだ終わってないらしいな」
北条圭介が歩道橋の反対側から姿を現した。
目に迷いはない。その瞳に、かつての陰りはない。
「椿に会った。……記録の意味も、知った」
干渉者の瞳が、一瞬揺れる。
「無駄な足掻きだ。記録保持者が複数同時に干渉する場合、空間は崩壊を始める」
「なら、壊してみろよ」
蓮と北条が同時に言った。
「俺たちが守るんだ。記憶も、澪も、この物語も」
二人の意思が重なった瞬間、ログ空間に新たな道が拓かれた。
次なる戦いが始まろうとしていた。