第五話
再生ボタンを押したのは、誰だったのだろう。
世界はまるで映写機のように巻き戻り、音も光も時間すらも、
すべてが“ログ”として流れていく。
北条圭介は教室の隅に立ち尽くしていた。
誰も彼に気づかない。椿も、澪も、神谷蓮でさえも。
この空間は、“現実”ではなかった。
これは――“記録の世界”だ。
目の前に、赤く点滅するウィンドウが浮かび上がる。
【観測ログ No.001】
保持者:椿 玲奈
初回リプレイ:記録中……
(……椿が、最初の使用者?)
ログが進むにつれて、北条は自分の記憶を“外から”見るようになる。
彼が初めてアプリを使った夜、澪を追い詰めたDM、椿を見下す視線。
全てが、冷たく記録されていた。
(誰かが、俺を見ている)
観測者――それが何者かはわからない。
けれど、確かに「自分の知らない視点」がそこにはあった。
椿の声が響く。
「ねえ、北条くん。
あなたが《24H REPLAY》を使ったとき、何かが変わったって気づいてた?」
彼女の姿が、記録の隅に浮かび上がる。
それは過去の彼女ではなかった。“今の”椿――いや、“記録の中で目覚めた誰か”。
「あなたが私を壊した日の朝、私もリプレイされたの。
誰かが“私のログ”を再生した。自分の意思じゃなかったのに、気づいたら24時間前に戻ってた」
北条は眉をひそめる。
「つまり……誰かが“椿玲奈の記録”を再生したってことか?」
「うん。
それも、あなたの行動を“見せるために”。
――ねえ北条くん。あなたって、モルモットみたいだよね」
その瞬間、怒りが込み上げる。
自分の人生を、誰かが勝手に“教材”にしている。
自分の罪を、誰かが“実験”にしている。
「ふざけるな……! 俺は選ばれた側だ。
誰かの道具なんかじゃない……!」
だが、記録の再生は止まらない。
【次のログを再生しますか?】
【起源の保持者:不明】
【記録対象:神谷 蓮】
蓮の名が表示されたとき、北条の指が震えた。
(……まさか。あいつも記録されてる?)
彼は知らなかった。
蓮もまた、すでに“記録される側”だったことを。
椿玲奈は“目覚めた観測者”にすぎなかったことを。
だが、最も衝撃的だったのは次の表示だった。
【次のログ再生後、この世界は“融合”します】
※ログ間の境界が消失します
※記録者と記録対象の記憶が混線します
(融合……? まさか……)
記憶が、交わる。
観測者と保持者の“線”が、曖昧になる。
罪も、罰も、後悔も――すべてが、誰のものか分からなくなる。
「記録は終わらないよ、北条くん」
「だって、君が一度でも後悔したことを、誰かが“繰り返したがっている”んだから」
椿の声が静かに重なったとき、北条は初めて、自分の“記憶”が奪われている感覚に気づいた。
記録と記憶の境界が、音を立てて崩れ始めていた――。