解かれた封印
いつになく木枯らしが吹いている。
北の大地ハルエルトでは、木枯らしが吹くのは珍しいことではないが、今日の木枯らしはいつもより強く、どこか暖かい。まるで風が踊っているかのようだ。
そんなことを思いながら俺、レイン・アールスヘイムは、今日もカーザ村の図書館に足を向けている。
長い間ここに通い続け、何万とあった本も、読んでいないのは残り二冊の歴史書となっていた。
魔導書、歴史書、どれも似たような内容のものばかりで、上級魔法や詳しい歴史を記されたものが見当たらないことに、いつからか疑問を抱くようになった。
それでも俺は、ここにあるすべての本を読み終えるまでその疑問に答えを出すまいと、一冊も残すことなく読み切る決意を固めていた。
「おや、いらっしゃい。今日もゆっくりしておいき」
いつものように俺に声をかけてきたのは、図書館の入り口に溜まった落ち葉を竹製の箒で掃いている腰の曲がった老婆だ。
「今日で読み終わっちまうんだろう? お前さんが納得のいく答えが出るといいのぉ」
老婆はそう言いながら、少し寂しそうな表情を浮かべた。
「ふっ、そうだな。まぁ、残りの二冊に目を通したところで、この疑問が解消されるとはとても思えんがな」
「それは読んでみないとわからんじゃろうて。それにしても……お前さんの魔法印でこの図書館が埋め尽くされるとはねぇ。こんなことは前代未聞じゃよ。楽しみだのぉ」
魔法印とは、指紋を魔法化して人や物などの対象に印をつける、というものだ。
読み終える日が近付くにつれて、老婆とはこうした似たような会話を毎日のように交わすようになっていたのだが、今日に限っていつもとは違う引っかかるような言い方をした。
「……楽しみと言ったか? どうしてそんな言葉が出てくるのだ?」
俺の問いに老婆は一瞬、しまったという表情を浮かべたように見えたが、この瞬間にヒューッと木枯らしが吹いたために老婆の髪が顔を覆ってしまい、その表情をはっきりと見ることはできなかった。
「いやいや、お前さんの魔法印で埋め尽くされた図書館の景色が、とっても綺麗なんじゃないかと思ってね。ただそれを見てみたいと思っただけじゃよ」
「そうなのか? それなら待っているが良い。二冊なんて、すぐに読み終えてしまうからな」
そう言って俺は石段を上り、図書館の中へと足を運ぶ。
「わたしだって長い間、お前さんがこうして図書館に足を運んでるのを一番近くでずっと見てきたんじゃ。そりゃあ、わたしなりの楽しみを持ったっていいじゃないのさ」
「ほう? 落ち葉を掃きながら、しっかりと俺の様子を伺っていたというわけか」
老婆は微笑みながら、無言で二回頷く。
でも、待てよ……? 一番近くで見てきただと?
言われてみれば、たしかにそうだな。
俺はこのカーザ村で生まれ育ったが、小さい頃から親はいなかったし、親の記憶もまったく残っていない。
かといって、誰に育てられたわけでもなく、ここまで一人で生き抜いてきた。
だが、いつからだ? いつから老婆は俺を見ていたのだ?
図書館に足を運ぶようになってからか?
違うな。物心ついた頃にはすでにこの老婆は俺の近くにいた。
ずっと見られていた? いや、見守られていたのだろうか?
魔法や歴史のことよりも、目の前の老婆に目を向けなければならなかったのではないか?
疑問がさらに疑問を呼ぶ。
しかし、じきに答えは出るだろう。
そう。老婆が楽しみだと言っていた、すべての本が俺の魔法印によって埋め尽くされた、その時に。
俺が考え事をしている間に、老婆は箒を入り口に立て掛け、図書館の中に入っていた。
「今日はなんだか木枯らしが強いから扉は閉めさせてもらうよ。館内に落ち葉が散らばったら厄介だからね」
老婆はそう言いながら扉を閉め、図書館の中央にある大きな暖炉のほうへと向かう。
「さて。わたしはここでお前さんが読み終わるのを待たせてもらうとするよ」
俺は無言で頷き、老婆は暖炉に薪を焚べ、暖炉の前に並んでいる古びた木製の椅子に腰掛けた。
何万とあった本のなかで、最後の最後で詳しく記された歴史書に当たるとは、到底思えない。
確率論からして有り得ないことではないが、ここでそれに当たるとなれば、それではあまりにも都合が良すぎるだろう。
そもそも、そんな歴史書なんてこの世界に存在しない。そう考えるのが至極当然だ。
それでも俺は諦めずに、一冊も残さず読み切ると決めたのだ。
俺は本に手を伸ばすーー
一冊目。……やはり詳しいことは記されていない。
いよいよ最後の一冊だ。とうに、期待などしていない。
こうなったら、この世界に潜んでいるであろう〈大きなチカラ〉を、自分の足で突き止めるしかなさそうだ。
そう思いながら俺は、最後の一冊を手に取った。
勇者と魔王が激しい衝突を繰り返していたという、神話の時代があったこと。
その二人の最後がどうなったかを知る者がいないこと。
勇者と魔王はいつしか、「優者と真王」と言われるようになっていたこと。
案の定、最後の一冊もそんな内容だった。
読み終わり、パタンと本を閉じると、その音に反応した老婆が声をかけてきた。
「とうとう読み終わっちまったんだね。どうだい? お前さんが抱いている疑問は晴れたのかい?」
「いや、残念だが解消されなかったな。だが、すべてを読み終えたことで確信したことがある」
「確信じゃと? それはどういうことだい?」
「世界はなにかを隠している。確実にこの世界は〈大きなチカラ〉が働いている」
俺のこの言葉に、老婆はこの前と同じ微笑みを見せた。
そう。俺ではなく、ほかの誰かを思うかのような、あの微笑みだ。
なにか知っているのか? この老婆はもっと警戒すべきだったのかもしれない。
「むぅ……。この世界に対して、そんなことを考えたこともないからのぉ……。わたしにゃあさっぱり理解できんが、ぜんぶの本を読み終えたお前さんが言うんだから、きっとそうなんじゃろうな」
やはり違和感だな。
ここまで言えば、世界に対して少しでもおかしいと思ってくれるのでは、と思ったのだが。
この老婆のように、疑問を抱かずに生きるのがこの世界の普通なのだろうか?
まるでこの世界の在り方が至極当然かのように。
決められた世界をただ生きていて、感情はあれど、どこか機械的で小さな歯車のひとつのようにも思えてくるというか。
とても気持ち悪い。この感覚はなんなのだ?
だが、それこそが世界に潜んでいる〈大きなチカラ〉なのだろう。
俺自身の足で世界を歩き、知ろうという気持ちが芽生えた瞬間でもあった。
「それで、レインや。お前さんはこの先どうするんだい?」
「そうだな。今のところ疑問だらけだ。このままここに居ても、永遠に疑問は解消されないだろうな」
「それはそうじゃろうな。して、その疑問とやらを突き止めるために、村を出ちまうのかい?」
世界のあらゆる本がこのカーザ村に集まっているというのにこの顛末では、世界のことを知るのは到底無理だ。
「あぁ。これからは本に頼らず、自分のカラダで世界を知るというも良いと思ってな」
俺は老婆にそう言いながら、読み終わった二冊の本に魔法印を押し、それを棚に戻した。
老婆は俺の成長と旅立ちを思ってか、皺くちゃなその顔でにっこりと微笑む。
ーーその時だった。
「ん? なんだ、これは?」
魔法印が突如光り出し、なにかの封印が解かれるかのように、俺の押した魔法印すべてが共鳴を始めたのだ。
瞬間、大きな暖炉の上に謎の魔法陣が構築され魔法が発動し、館内が激しい光に包まれた。
俺の意識は、その光の中に吸い込まれていったーー
魔法印で埋め尽くされた景色。
それはとても綺麗なんだろうなぁ……と、想像してしまいます。
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