第10話「滝沢百合の動く姿」
映画の感想は、荒唐無稽というか、かなり豪快な作風だった。まず、凄く校則が厳しい学校に飯村優輝演じる主人公が転校生としてやってきて、意地悪な教師達や生徒会に理不尽な扱いを受けたり痛めつけられたりで不満を抱き、ついに彼らに抵抗するのだが、実は校長や教師、そして生徒会ら一部生徒は悪魔の化身であり、主人公は鉄パイプやバットを持って次々とそいつらを退治、最後は戦車に乗って校長を倒すと、グラウンドが地割れを起こし学校の校舎がそこへ飲み込まれて一件落着、という意味不明な展開で、上映中は所々で笑い声が聴こえた。
飯村優輝は演技も声質もイマイチで、一部棒読みだったり、台詞が聴き取り辛く、彼が英語のリスニング問題の音声を担当したら絶対に点数は取れないだろうなと思う程で、なんとなくこの映画がDVDにもなってない理由が分かってきた気がした。しかも肝心の滝沢百合は、正直演技もビジュアルも疑問が残るヒロインである委員長の取り巻きの一人でしかなく、主人公に対しての「そんなに無駄にツッパってバカみたい!」という台詞一つしか用意されてなかった(と言っても、その声は妙に張りが有るだけでなく良く通り、彼女の歌唱力の高さの片鱗を僅かに覗かせた)。ある程度客観的に見ても、彼女の方がヒロインの役を担うべきだと思ったが、そうならなかったのはやはり事務所の力とか、大人の事情が関係しているのだろう。
ただともかく、僅かではあるものの滝口百合の動く姿を観れただけでも来た甲斐はあったと思う。そんな事を自分に言い聞かせながら、帰路に就いた。帰りの電車の窓にもたれた頭の中では、飯村優輝が歌ったダサかっこいい歌謡ロック風のエンディングテーマが何度もリフレインしていた。
<俺たちのハートビートが 冷めた時代変えるのさ 弱った背中の大人達に 抗うように・・>
それからの数か月間、僕は燃え尽き症候群と言うべきか、滝沢百合に関する情報をほぼ知り尽くした気分になり、彼女から少し遠ざかりつつあった。レコードジャケット裏や雑誌「HIROMI」に書かれていたファンクラブの住所の場所を調べてみたが、既に20年以上前のすぐに消えた歌手、当然の如く何も無かった。愚痴を聞いて貰った石川レコードの石川店長には
「シングル1枚だけ出して居なくなったアイドルなんて、星の数ほど居るんじゃない?滝沢百合とほぼ同時期だったら、そうだな、久松由実とか。林哲司作曲の良い曲歌ってたんだけどね」
と返され、滝沢百合は僕が生きる今という時間とはナンノ繋がりも持たない、遠くなりつつある80年代のファンタジー<幻想曲>でしかないのだ、という現実的な考えが心を支配し始めた。
と、そんな頃だっただろうか、投稿した動画にコメントが書き込まれたのは。
※11話からは一部文章が同じですが、設定・展開がそれぞれやや違うタイプA・タイプBを用意しました。11話タイプAを選んだ場合、12話タイプA、13話タイプAという感じに、最終話である15話まで同じタイプAを選び、11話タイプBを選んだ場合、12話タイプB、13話タイプB・・と同じように進んでください。