猫
彼女は猫が鳴く声でソファで目覚めた。
早くごはんが食べたいと顔に乗っかり鳴いている。
息苦しさと寝心地の悪さで目覚めは最悪だった。
家にはキングサイズのベットがあるが一度もそこで寝たことはなくいつもソファで眠っていた。
そのベットは新婚旅行の時、イタリアのアンティークショップで一目惚れをし無理を言い夫に買ってもらったものだった。
ただそのベットが届いた頃に夫は亡くなっていた。
夫は事故死だった。
いつも仕事が遅くまで続き夜中の帰り道に車を走らせていた時、居眠り運転のトラックがぶつかり即死だったそうだ。
夫の両親が遺体を確認した。
遺体の損傷が激しいので彼女は見ない方がいいと言われたので亡骸を見なかったせいかまだ亡くなった気がしないでいた。
猫にごはんをあげていたらどこからか携帯の着信音がした。
夫が亡くなる前にお揃いだった古いガラケーの音。とっくに電池は切れて引き出しの奥に入れたままだった。今はiPhoneを使っている。
携帯を取り出して画面を見るとメールを受信していた。
夫からだった。
「ごめん。今夜も帰りが遅くなる。先に寝ていて。」
携帯が何かの拍子で付いて古いデータがバクで表示されただけだろう。
頭では分かっていたが夫からメールが来たのが嬉しくなり彼女は部屋の片付けをし、ベットに新しいシーツを敷いた。
食材を買いに出かけ彼の好物を作りラップしてテーブルに置いた。
夜12時再び携帯が鳴った。
「連絡が遅くなったね。もう寝てるかな?
仕事が終わらなくて今夜は帰れそうにない。
また連絡するよ。」
彼女はラップした冷えた料理を冷蔵庫に入れ、ソファに横になった。
それから毎日、夫からメールが来た。
内容はいつも仕事が終わらなくて帰りたいけど帰れないということだ。
冷蔵庫には誰も手をつけていない料理が溜まっていた。
iPhoneが鳴った。義理の母だ。
彼女は夫のことを興奮した口調で話した。
義理の母は少し怯えた声で
「心配だから娘をそっちに行ってもらうわね」
次の日義理の妹が遊びに来た。
彼女は夫のメールを妹に見せた。
「誰かのイタズラじゃない?兄の携帯はどこ?」
携帯は夫の事故の時に粉々になっていた。
それでも妹は携帯が無くてもそういうことができるのじゃないか。お金の請求をしてくるのでは。と疑い彼女の携帯を取り上げようとした。
大人しく聞いていた彼女だったが携帯を取られ声を荒げた。
「返して!夫からまたメールが来るんだから!」
妹はその様子を見て諦め携帯を返した。
膝に乗ってきた猫を触りながら
「私だって傷付いてるんだから。あなただけじゃない。それにあなたがそんなで何かあったらこの猫はどうするつもり?自分の姿を最近見た?」
彼女は不思議そうに答えた
「何があるの?私は最近すごく調子が良いし猫だって夫の帰りを待ちわびている」
妹は話が噛み合わないのでため息をついて帰った。何か困ったことがあれば連絡して欲しいと冷蔵庫にかけられたボードに自分の名前、住所、携帯番号を書いていった。
夜、ソファで寝ていたら携帯が鳴った。
メールだ。
「今夜は帰れるよ。」
猫は玄関に座りドアを見つめている。
彼女はソファからゆっくり起き上がり新婚旅行で着ていたノースリーブのワンピースに着替えた。
胸元は肋骨が浮き出て二の腕は手首と同じ細さになり枯れ枝のようになっている。
玄関のドアが開く音。
冷たい空気が部屋に入り込む。
猫が甘えた声で鳴く。
「おかえりなさい」