机の下から見た景色
一斉に喧騒が押し寄せる。かち合う剣と剣の音。金属の音が重なり合い、幾重にも連なって部屋に響き渡った。
よく考えればあれは全部、ガーランドが防いでいる剣なのだ。
正気じゃない。
いや、正気じゃなくたっていい。
――――父上をたすけて。
幾つもの悲鳴が聞こえてくる。居合わせた召使いたちのものだろうか。
身体がうまくいうことをきかない。
歯と歯ががちがちと噛み合い、まぬけな音を立てている。
耳をつくような金属音を聞きながら、それでも必死に、腕を、脚を動かし、なんとか進み続ける。
布から様子を伺えば、頭上を金属がハヤブサのように駆けて行くのが分かった。
鈍い銀色が飛び交い、出るに出られない。
その向こうに、大事な父の姿がはっきりと見えた。
迫りくる剣は、ガーランドがすべて防いでいる。彼は恐ろしい目をしながら、少しずつ敵を倒していった。時折ばっと血が飛んできて、白い布にべしゃりとついた。
敵が少しずつ減っていく。ああ、もしかしたら。もしかしたら。
ここなら剣も届かないだろうという場所に辿り着き、ディアナはようやく布の端に手を掛けた。
今はもう、命乞いでもなんでもしようと思えた。
父やガーランドを、なんとか助けなければならなかった。
ガーランドの後ろで、自らも剣を構える父。
その姿が懐かしくて愛しくて、ディアナはわずかに身を乗り出した。
「ち」
唐突に、父の胸から剣が生えた。
真っ赤な血が、嘘のように彼の服を染めていく。
「あ、」
あ、ああ、あああ。
声がこぼれる。いや、喉から出たのは空気だけだ。息すらできなかった。虚空に手を伸ばす。もう一度、かろうじて息を吸った。
「ちちう……もがっ」
「行くな」
誰かが口を抑える。
いつの間に追い付いたのだろう。
あの少年がこちらの腕を掴み、声を潜めて言った。
「行っちゃだめだ。もう間に合わない」
「んっ……んぐっ」
叫ぼうにも、口を防がれて声が出ない。
「陛下!」
ガーランドの悲痛な叫び声が聞こえた。
目の前で父が目を見開き、口からごぼっと血を吐いた。嘘みたいな赤が、彼の口からあふれ出る。
ディアナはもがいた。
もう一緒に死なせて欲しかった。
だというのに、少年はそれを許さない。
彼の声が、なぜか泣きそうに濡れている。
「駄目だ。駄目だったら。動かないで」
「ちちう……んぐ、はなし……っ」
「行ってどうするんだ。あんたに何ができるっていうんだ」
「はな、いっしょに……ちちう……っ」
掴まれた腕に、強く力が込められた。
「お願いだよ、行かないで。お願い……っ」
ああ。駄目だ。視界が滲んで。もう何もかもが、ぐちゃぐちゃになっていく。
見開かれた父の目がさまよっている。そうしてようやく、こちらを見つけた。とても悲しそうに。ひどく嬉しそうに。彼はゆっくりと、微笑みを浮かべた。
「あ……っがは……っ」
ぼたぼたと、床に血だまりが出来ていく。
胸から剣を生やしたまま。
ガレドニアの王はこと切れた。
剣を突き刺した男が、その後ろに立っている。グスタフは何もかも諦めたような顔をしている癖に、鋭い眼光は野望に満ちていた。その底知れぬ瞳が、こちらを見つける。かち合った視線が、互いを貫いた。
まるで世界が、一瞬動きを止めたかのようだ。
すべての音が、時が、静止する。
「おい、なにしてる」
少年の声がささやいた。
はっと我に返ったディアナの手を、彼が強く引っ張る。
「しっかりしろ、ほら」
ディアナは急いでもう一度相手を伺ったが、グスタフ王は黙って剣を引き抜くところだった。
なぜ彼は何も言わないのだろう。
こちらを見逃すつもりなのだろうか。
――――違う、そもそも逃げ切れると思ってないんだわ。
そんなことを、呆然とした頭でどこか冷静に考える。
剣を引き抜かれたはずみで、父がどさりと倒れた。
その隣には唖然と佇むガーランドがいる。彼は不意に、ぎりりと目元を歪ませて、剣を勢いよく構え直した。
その時、扉の向こうからばたばたと足音が聞こえた。
「陛下はどこだ!」
「ジルギス王をお救いしろ!」
仲間の騎士達だ。
なぜ今ごろになってやって来たのだろう。
もう何もかも、手遅れだというのに。
喧騒が一気に押し寄せて、広間は剣のぶつかる音が響き渡った。
少年の腕を掴む力が強くなる。
「なにしてるんだよ、早く逃げないと」
ディアナはようやく振り返った。
「だ、だけどガーランドが」
「死にたいのか?」
返って来たのは鋭い視線だ。少年の声には言葉にできない、ありとあらゆる感情が滲んでいた。
「あんたが今出来ることはなんだ?」
「……わたし、」
「生きることだ。他には、何もない」
ディアナは思わず視線を上げた。言葉は何も出て来ない。
「行くぞ」
そのままぐいぐいと引っ張られ、人目を避けるようにして、開いた扉から廊下へと出た。
背後の部屋では、グスタフが何かを指示している。
それを遮るように、再び激しい剣の音が聞こえてきた。
無言の少女の手を引き、少年はわざと聞こえるように呟いた。
「援軍が来たんだろ。あのオッサンなら、なんとか切り抜けるかもしれないな」
俯いたままのディアナに、彼はしきりに話しかける。
「きっとどうにかなるさ。ほら、こっちだ」
「どこへ行くの?」
「さあね。とりあえず、ここじゃないところだ」