裏切りの宴会
*
大広間の扉は、開け放たれたままだった。
中を覗き込んだディアナは、目を見開く。
長机に囲まれた中央で、父が黒い礼服の騎士達に取り囲まれていた。
剣はまだ抜かれていない。しかし、一触即発の雰囲気だった。
父の傍には唯一、ガーランドが控えている。彼は剣の鞘に手を掛け、辺りに鋭い視線を向けている。
おかしなことに、他のガレドニアの騎士は壁際につったったままだった。まさか飾り物ではあるまい。一体なぜ彼らは動かず、この事態を見守っているのだろう。
グスタフ王や息子のラルフは、机の傍に立ったまま、中央を眺めていた。
唯一青い顔をしているのが給仕や召使いたちだけだ。
彼らは部屋に散らばったまま、震えそうな唇を噛み殺している。
誰もが中央に視線を向け、外の様子など気にしてはいなかった。
どうにかして父の元まで行きたい。しかし、正面突破などできはしない。
ディアナは意を決し、息を殺してそろそろと中に入り込む。そうして、すぐ近くにあった机の下へと潜り込んだ。
ドレスが多少邪魔だが、体が小さいため、難なく入ることができた。
机は長くつながっている。
このままゆっくり進んで行けば、気づかれずに中央の父のところまで行けるかもしれない。
そろそろと動き出した時、グスタフ王の声が聞こえてきた。
「ジルギス王。私も気が長い方ではないのだ。そろそろ白状してもらおう」
「私ではない。何度もそう言っているだろう」
「ではこの武器はなんと説明する?」
グスタフ王が何かを差し出している。
ディアナは机にかかった白い布の下から、そっとその様子をうかがった。
血のついた短剣が、彼の手に握られていた。
以前、父が見せてくれた聖剣とは別のものだ。
それもやっぱり、独特の蔓の紋章がついており、それはヴァルムートのようにも見えた。この紋章がついた武器は、ガレドニアの王族しか持つことが許されない。
一体グスタフ王は、どこでこれを手に入れたのだろう。
父をはめるために、部下を使ってどこかから盗ませたのかもしれない。
ジルギスが悔しげな声を出した。
「……その剣をどこで……」
「先ほど私の部下が報告した通りだ。あの回廊から、少し離れたところで発見された」
ぎりり、と父が歯噛みする。
ディアナも同じ気持ちだ。
悔しくて叫んでやりたいぐらいだが、ここで飛び出せばおしまいだ。
あの少年や黒い礼服を見た、なんて言っても、狡猾なグスタフ王はしらばっくれるだけだろう。
とにかく父の前に出て、グスタフ王の隙を作るしかない。
敵の数は二十人はいる。この人数と戦うのはほぼ不可能にも思えるが、ガーランドはガレドニア一強い騎士なのだ。
もしかしたら抜け出せるかもしれないではないか。
そんな浅はかで無謀な考えにすがってしまうほどには、今のディアナは追い詰められていた。
少しずつ机の下を進んでしまうのも、深く考える余裕がなかったからだ。
小さな子どもが傍へ行っても、なんの助けにもならない。
しかし父を置いて逃げ出すなんてとてもできなかったし、だからと言って正面から立ち向かうこともできなかった。
ただ息を殺し、父の傍へ行くこと以外、何も思い浮かばなかった。
「ガレドニアの王よ。私の部下を殺し、どうするつもりだった?」
「面白いことを仰るな。やっていないことを、どう説明しろと?」
「素直に白状するといい。あなたはあの少年を遣わし、私の部下を殺させた。少年は離れたところで武器を投げ捨て、逃げようとしたが……私の護衛達に捕まった。――あなたにはまだやらせたいことがあったのだろう? だからあの少年を逃がしたのだ。部下たちも探したようだが、彼の姿は影も形も見当たらなかった」
――――嘘ばっかり。もう一度現れたら困るから、そのために殺そうとしていたんだわ。
グスタフ王の声は、面白がる様子も馬鹿にする様子もなかった。
ただ淡々と、それがまるで事実であるかのように、ジルギスへと突きつける。
「恐ろしいことだ。あなたがあの少年を使い、どうしようと考えていたのか……想像もできないな」
ディアナはゆっくりと机の下を進んで行く。見えるのはひたすら続く机の脚と、その脇に続く白い布。
時折、布の横に騎士の黒い足が現れ、ひやりとする。しかし冷汗をぬぐうこともせず、ただ前を見つめて進んで行く。
「グスタフ王、あなたは確かに、王の器をもつ人間らしい。だが私はやはり、あなたと同じにはなれないようだ」
低い声で父が言う
「要望はなんだ? 私に出来る事ならば――」
「要望? あなたは断っただろう」
グスタフ王の声は、抑揚すらない。
「ヴァルムートと罪人の売買の許可を、頼んだはずだ。だがあなたは断った」
「当然だ!」
噛みつくように叫ぶ声。ディアナはびりりとした空気の震えを感じていた。
知らなかった。そんなやり取りがあったなんて。
ヴァルムートは神聖な生き物だ。彼らを捕まえるなんて、この国では信じられないことだった。
それに、罪人の売買は奴隷を意味する。あちらの国の奴隷は、魔水晶の掘り出しのために鉱山でこき使われ、毎日死んでいくと聞いたことがあった。要するに、人権が無いのだ。
父の激昂する声が聞こえる。
「ヴァルムートは『はぐれ者』しか動かせない! 我々の手にあまる生き物だ! それに罪人とはいえ、民の一部を奴隷にしろと?」
ああどうしよう。間に合わないディアナは喉を鳴らしそうになり、必死に唾を呑みこんだ。
すぐそこだと思っていた父の元に、なぜかたどり着けない。迫りくる緊張感と、噛み殺したままの底知れぬ恐怖に、頭がどうにかなってしまいそうだ。
おかしな通路は延々と続き、まるで終わりのない回廊みたいだった。
「仕方ない。これまでだな」
その声にこたえるように、一斉に剣を抜き放つ音が聞こえる。ディアナの手は震えた。呼吸が浅くなる。それでもなんとか、その手を動かした。
――――怖い。怖い。怖い。
広間で起こっていることが、すべて夢みたいだ。夢だったらいいのに。
駄目だ、違う。これはぜんぶ現実だ。
――――父上。
叫びそうになりながらも、もはや喉からは声は出ない。
ただ進むしかないのだ。あと少しだ。
布の隙間から、懐かしい父の姿がちらりと見える。
「ガーランド」
「はっ」
剣を構えた騎士に、ガレドニアの王は告げた。
「もしもの時は、娘を頼む」
「もしもの時など、ありません」
グスタフ王が、つまらなそうな声で告げた。
「殺れ」