暗闇の少年
大きな広間に、あの嫌な空気が張りつめる。誰もが口を噤み、辺りは静寂に支配された。
最初に動いたのはグスタフ王だった。彼はゆっくりと立ち上がり、こちらに視線を向ける。
「ディアナ姫、何か知っているのでは?」
その横で、父の後ろにいたガーランドが、尋ねるような目を向けてくる。
ディアナは眉をひそめ、首を振った。
乾いた唇から声が漏れる。
「ち、違います――知らないわ」
その表情や声に、ガーランドは違うと理解してくれたらしい。困ったような、何かを考え込む顔に戻ってしまう。
しかし、グスタフの冷たい目はこちらを見たままだ。
どうしたら信じてもらえるだろう。
本当に、自分は何も知らないのだ。
恐らくは誰かが手引きしたのだ。けれどそれが誰なのかすら、自分は知らない。
「――――ディアナはやっていない」
そう言ったのは父だった。
ハッとして視線を動かせば、父ジルギスもゆっくりと立ち上がるところだった。
「きっとこの裏には首謀者がいるのだ。我々の同盟を邪魔しようとする者が。そいつがあの少年を逃がしたのだ」
落ち着いた態度で言うジルギスに、グスタフ王が目を向ける。
「邪魔をする者……誰がなんの目的でそんな真似をするというのだ」
「分からない。だがこれは確実だ。我々を貶めようとしている者がいる」
ジルギスの言葉に、グスタフ王は目を細めた。
「ではあの少年は、今頃どこに?」
「さあ、敵の目的が私をはめることなら……逃がしたと見せかけて、口封じに殺しているかもしれん」
重く放たれた父の言葉に、ディアナはわずかに後ずさった。ぶつかった拍子に、椅子がギイと音を立てる。
「……ディアナ?」
「わ、わたしが捕まえてくるわ」
彼の処遇はまだ決まっていない。そのために捕まえるなんて残酷だけれど。
そんなのはただの名目だ。
本当は――本当は、ただ助けたかった。
「必ず、捕まえてくるから!」
ぱっと駆け出すと、大広間を走り出る。
誰かが何かを呟いた気がしたけれど、もうディアナの耳には入らなかった。
この城の裏手には、大きな滝が流れ着く湖があるのだ。
そこからさらに、細い川が続いているのだが、とにかく、人が入ると溺れるほどの深さだった。
古くはヴァルムートたちも水浴びに使っていたそうだが、今となっては分からない。
ディアナは一度、覗き込もうとして落っこちて、溺れかけたところをガーランドに助けられたことがある。
城の裏手に行くと、ごうごうという滝の音が聞こえて来た。
もうすっかり暗くなっており、辺りの様子はよく分からない。
ただ切り立った巨大な断崖絶壁だけが、ぼんやりとそびえていた。
「は……せよ……てばっ!」
誰かが叫んでいる。
ディアナはハッとして顔をあげた。
あの子だ。息を殺して近づけば、音がだんだんと聞こえてくる。
じゃらじゃらという鎖の音と、大人と子どもの怒鳴る声。
「静かにしろ、クソガキ!!」
「離せっつってんだろ!!」
薄暗い景色の中、だんだんと目が慣れてくる。
湖の傍に、彼らの影が見えた。少年が三人の大人に押さえつけられ、足首に鎖をはめられている。
鎖の先には大きな重石がついていた。あれをつけて、この湖に沈めようと言うのだ。
ディアナはぞっとする。
拳を握りしめ、勇気を振り絞って大声を出した。
「父上! こちらです!!」
父の名を借りるようで嫌だったが、まだ小さい自分が出て行ったところで、返り討ちに会うだけだ。
叫び声をあげれば、三人の男が顔を上げ、慌てたように逃げて行くのが分かった。
その足音が聞こえなくなると、ディアナはなんとか息をつき、少年の元へと向かった。
辺りはどこまでも暗い。滝が水しぶきを上げる音が、ひたすらに響いている。草を踏み分けて近づけば、少年の影が顔をあげる。
「俺を連れ戻しに来た訳? あんたのお父上はどこに?」
皮肉げな声だったが、ディアナは首を振った。
「さっきのは嘘よ。父はここにはいないわ」
言いながら、少年と彼の鎖を見つめる。鍵は男たちが持って行ってしまった。
「ちょうどいいや。それ、貸してよ」
少年はディアナの頭に手を伸ばすと、小さな髪飾りを引き抜いた。
それを器用に鎖の穴にはめ込めば、カチャリと音がして、鎖はほどけた。
「すごい。あなたって器用なのね」
「まあじいさんの手伝いをしているからね。これぐらいはできる」
そのじいさんが誰かは分からないが、ディアナはほっとした。彼はやれやれと言った風に首を竦める。
「で、どうするの? 俺見逃すわけ?」
「……それは、」
「言っとくけどね。あんた、のんびりしてる場合じゃないぜ」
足首が動くのを確かめるように、少年は足をひねっている。
「この暗さでよく見えなかったかもしれないけど……俺を連れ出した連中、黒い礼服をつけてた」
「え……?」
ディアナは固まった。少年は面倒くさそうな態度だったが、その声には少しだけ、こちらを気遣うような響きがあった。
「俺が捕まった時、『お前が犯人か』って聞いてきた男がいただろ。あの白髪の偉そうな奴。つまりは、そいつらが裏で手を引いてるって訳。俺を犯人に仕立てあげて、この国のせいにしようとしたんだ。――ま、俺は向こうの森から来たし、別にガレドニアの人間じゃないけど」
ディアナは立ち上がった。呆然と言葉をこぼす。
「はめられたって……それじゃ、最初から……」
「貴族ってずいぶんと面倒くさいんだな。あんた、このまま逃げた方がいいぜ。今城に戻ったら……っておい!」
ディアナはもう駆け出していた。
少年の言葉など、耳に入らなかった。
――――行かなきゃ。
あの大広間は今、どうなっているのだろう。
騎士の数はどれぐらい。敵の数はどれぐらい。
――――父上が危ない。
「馬鹿! 戻れ!! どうなっても知らないからな!!」