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踊る思惑

じりじりとした空気に、肌が(むしば)まれていくようだ。

ディアナは詰まりそうな喉から、なんとか声を絞り出す。

「あ、あの子は……やってないわ。傷口を見れば分かるはずよ。あの大きさの刃物、子どもには扱えな」

「出過ぎた真似を。申し訳ありません」

遮ったのは、父の騎士ガーランドだった。

彼は素早くディアナの前に出ると、グスタフ王の前に膝をつく。

「我が姫はまだ幼いのです。どうかお見逃しを……」

「いいだろう。話はそれだけか」

その言葉に、ガーランドがわずかに顔をあげる。

グスタフは面倒くさそうな口調で言った。

「では私はこれで失礼しよう。この国の誠意とやらは、今後の態度で分かることだ」

そう言ってマントを翻す。

やがて護衛や少年と共に、グスタフ王は回廊の向こうへと消えてしまった。


彼の姿が見えなくなると、いそいそと他の人々も去って行く。代わりに死体を片付けるため、召使いたちが入って来た。残ったのはディアナといとこのハリス、それにガーランドだ。


王の去った方を見ながら、ハリスが楽しそうに声をあげた。

「残念だったなあディアナ。あいつを助けられなくて」

ディアナはぎろりと彼を睨んだ。

「あの子はやってないわ。絶対やってない」

「分かってるよ。まあ丁度いいじゃん、下品な奴だったし。明日首切られるところ、見に行ってやろ」

あはははは、と回廊に彼の笑い声が響き渡る。

「余計なことすんなよ。お前も首を切られたくなければね」

彼は楽しそうな足取りで、どこかへと消えてしまった。


残ったガーランドに、ディアナは向き直る。

未だ胸にもやもやとした思いが巣くっていた。

誰が見ても彼が犯人ではないことは明らかだ。そのことを、せめて最後まで言わせてほしかった。

「ガーランド、なぜ止めたの。……あの子はやってないわ。誰だって見れば分かるはずなのに」

「姫君」

どこか疲れた声で壮年の騎士は言った。その顔には困惑と安堵が浮かべられている。

「これはそう簡単な話ではないのですよ。グスタフ王の噂をご存知でしょう? あの方に目を付けられれば、終わりです」

確かにグスタフ王は、聡明でありながらひどく残虐な王だという噂があった。国のためならば、邪魔になる人間すべて殺すと言う、恐ろしい噂だ。

それでもディアナは、()に落ちないと思った。

国のために、罪を子どもに被せる。それが平和を維持するための、正しいやり方だなんて。


むっとしたままのディアナを、ガーランドが優しく覗き込んだ。

「御父上が二つの国を結ぶために、どれほど手を尽くしたご存知ないでしょう。――国の和平を守るためにも、絶対にこの同盟を揺るがす訳にはいかないのです」

視線を落としたディアナに、忠実な騎士はなおも穏やかな声で言った。

「あの騎士を殺したのは、同盟の締結を邪魔したい人間でしょう。手口から、犯人は用意周到だったと見えます。簡単に言えば、手ごわい相手なのです。こちらも隙を見せる訳にはいかない」

言い聞かせるように彼は言う。

「御父上もお辛いのです。分かって差し上げて下さい」

「……分かってる。本当は分かってるのよ」

ディアナは一つ息を吐いた。

グスタフとやり取りをした父の目を、自分はすぐ傍で見ていたのだ。葛藤を決意で塗りつぶし、悲哀を湛えた王の瞳。

静かに視線を上げ、ディアナはガーランドを見つめた。

「父上の邪魔はしない。約束するわ」



その日の夜、大広間で祝いの宴が行われた。

婚約と同盟、二つの国が結ばれたことを祝すものだ。

広間には壁際に沿うように長い机が並べられている。中央に空いた空間では、美しい踊り手たちが舞を披露していた。


白い布のかかった机には、前もって用意された豪勢な料理が並んでいる。

ガレドニアの料理は、穀物を使ったものが多い。緑豊かな土地であるため、独特の植物が育つのだ。ワインの原料となるリュアの実に、「馬の(ひづめ)」と呼ばれる変わった形の豆、ヴァルムートの好物「夜告(よるつげ)(ぐさ)」、他にも様々な物が連なっている。


食べやすく歯ごたえの良い穀物に、色鮮やかで瑞々しい果実。

華やかに飾られた大広間で、温かなスープを食べながら、ディアナは難しい顔をしていた。


ディアナの席は、中央を挟んで父たちの正面に設置されている。

向こうに側に見える二人の王の表情は、どこかうすら寒いものだ。

昼間に会った時はもっと穏やかな空気のはずだった。

騎士が殺された一件が尾を引いているのだろう。加えて、あの子どもの処遇について、双方が探り合いをしているようにも見えた。


お互いに穏やかな会話をしているように見えて、どこか緊迫感が漂っている。

グスタフ王一行はあと四日滞在する予定なのだ。

きちんと最後までもてなし、同盟を破綻させずに終われるのだろうか。

ディアナはちらりと彼らの後ろを伺う。


父の席の後ろにはガーランドが立っていて、他の騎士達と共に護衛を務めていた。

彼はこの仕事を誇りに思っているらしいのだが、今ばかりはディアナと同じ、難しい顔をしていた。

会話の内容ははっきり分からないものの、きっとひどく神経質な話をしているに違いないと、ディアナは手元にあったグラスに口をつける。


机に囲まれた中央では、古来の伝説をなぞった踊りが披露されていた。

演目はジルギスが選んだものだ。それは同盟を祝うにふさわしい、三つの国が手を結ぶ物語だった。

ディアナも何度か、古い文献で勉強したことがある。


世界には、この大陸ともう一つ、裏世界と呼ばれる未知の空間があると言われていた。

この世と冥界の境目にあるという、薄暗い世界。伝説では、表と裏の世界を一本の大樹が繋いでいるとされている。

かつてこの裏世界を支配したとされるのが、一人の美しい女神だ。

ずっと遠い昔のこと、彼女は暗い世界を疎み、表の大陸を手に入れようと目論んだ。そして大陸にやってきて、一人の男に、王にならないかと持ちかけた。

男はなんの地位も持たなかったが、女神は彼を愛し、共に大陸を支配しようと告げたのだ。


宴会の踊り場では、何人もの踊り子たちが舞っている。

その中でもひときわ目を引く、美しく妖艶な踊り手。

あの流れるような衣装は女神を表してるんだわ、とディアナはじっと視線を向けた。

女が扉を開けるような仕草をする。女神が裏世界からこちらへやって来たことを表現しているようだった。


彼女は衣装を翻して優雅に舞い、男の踊り手に近づく。男は彼女と踊りだし、手を取り合って楽しげに舞い始める。

途端に、周りの踊り手たちがばたりと倒れた。かと思えば、不自然な動きで起き上がる。

いびつで怪しい舞いは、どこか妖艶だった。

まるで死者が起き上がり、生を喰らっているようだ。

ディアナは唇を引き結んでそれを眺めた。

伝説によれば、裏世界には表の世界を歪める力があるそうだ。女神は死者を呼び起こし、大陸を壊滅へ追い込んだのだという。

ちらりと視線を向ければ、隣に座っているラルフは面白そうに笑みを浮かべていた。


やがて大広間の扉を開け、新たに三人の踊り手たちが入って来た。三つの国を象徴する剣を掲げ、それぞれ後ろに踊り手を引き連れている。三人の王が、それぞれの騎士団を連れてやって来たのだ。

東のガレドニアは渓谷に囲まれた国。その剣はヴァルムートを象っている。

北のオルグラントは魔水晶の特産地。水晶で飾られた剣は、煌びやかに光をはじく。

西のセグウェルは海の国。剣の()は貝殻を模しており、刃はしなやかな形をしていた。


三つの剣はどれも飾り物だが、美しく立派なものだった。王と騎士団たちは流れる旋律と共に、あっという間に死者の群れになだれ込む。そのまま激しく美しい剣舞を見せ、死者たちを翻弄し始めた。

ディアナは小さく息をついた。

三つの国がやってきて、死者たちと戦っている。

なんだかほっとしたのと同時に、舞の美しさに心を打たれ、広間の中央を食い入るように眺めた。


やがて死者たちは去り、三人の王が協力して、王位を狙った男を倒した。

男は広間から姿を消したが、女神はひたすら踊り続けている。その舞は妖艶でありながら苛烈で、狂気的な美しさを孕んでいた。

女神の力は強大で、三人の王ですら倒せなかったのだ。そこへもう一人、最後の踊り手がやって来た。長い三つ編みに白い衣をまとっている。ディアナはすぐに分かった。「扉の魔法使い」だ。伝説では、彼が三人の王を手助けしたことになっている。

彼が踊るたび、白い衣や長い三つ編みが翻った。手に持った鍵束が、じゃらじゃらと煌びやかな音を立てる。

やがて魔法使いは女神に近づくと、彼女へ鍵の一つを向けた。

それを捻った途端、女神が崩れ落ちる。彩られた絵画のように、古来の伝説が再現されていた。


かつて大陸にあふれた死者の群れ。それを三人の王が壊滅させ、首謀者の男も殺した。

唯一倒すことのできなかった女神も、「扉の魔法使い」が閉じ込めることに成功した。彼は繋がりの樹の扉を開けて、女神を裏世界へ封印したとされている。

その際強大な魔力を使った反動で、死んでしまったそうだ。

戦いの後は弟子が跡を受け継いで、今に続くと言われている。

大広間に、高らかな音楽が響き渡った。三つの国を体現した踊り手たちが、歓びの舞を披露する。それは華やかで美しく、宴会の場にぴったりだった。


だというのに、ディアナはやはり、うすら寒いものを覚えていた。

観客は皆笑顔を浮かべているが、どこかいびつな空気が流れている。

そのちぐはぐさが、自分を急激に現実へ引き戻した。

そもそもこの物語は、古来の伝説に過ぎない。

おとぎ話の(たぐい)なのだ。


「豪勢な宴会ですねえ」

隣でラルフが呟いた。彼と隣同士なのは、婚約者であるためだ。

一応自分たちは、この宴会の主役らしいのだが、ディアナはもうそんなことはどうでも良くなっていた。

今はただ、この同盟が何事もなく終わるよう願うばかりだった。

頭の中を巡るのは、月明かりの中こちらを見た父の顔だ。それから回廊で殺された死体、優しいガーランドの表情、食い入るようにこちらを見つめた少年の瞳。


考え込んでいるディアナの横で、ラルフが目を細めている。

「うん、素晴らしい食材……それに人材だ」

彼の視線は踊り子の女たちの胸や腰に注がれている。

自分もいつか成長し、あんな目で見られる日が来るのかもしれない。

しかしそれは喜ぶべきことなのだろうか。

ディアナは目を逸らし、果実の皿に手を伸ばした。


小さな果実を皿に取り分けた時、唐突に広間の扉が開かれた。ばんと音を立てて開いた扉に、広場の喧騒が静まり返る。

「申し上げます!」

黒い礼服。オルグラントの騎士だ。

その声は非常に切羽詰まっていた。

「先ほどの少年が脱走しました!!」

ディアナはハッとして顔をあげる。持っていたスプーンから、宝石のような果実が転がり落ちた。




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